夕食の時間は実に和気あいあいとしていた。
これまで多くの時間を一緒に過ごしてきたが、喫茶店などはともかくまともな食事を一緒に取るというのは初めてのことで、思いのほか話弾んだ。
皆玲菜の料理をおいしいといい、玲菜は珍しくそれにありがとうと素直に返した。基本褒められるのを嫌うというよりも信じない玲菜ではあるが、料理に関しては多少の自信もある。
もともとは恩返しと、引け目から始めたものであるが結月においしいと言ってもらえるように努力をしてきたものだ。数少ない自負が玲菜にもあった。
だからそれをある程度とはいえ心を赦した仲間たちに褒められるのは素直に嬉しかった。
夕食後、玲菜は当然自分が片づけもするつもりでいたが結月たちがやると言ってきかず、仕方なく玲菜は部屋で休めということを受け入れた。
だが、周りが働いている間に自分だけ休むということはどうにも居心地が悪く、様子を見に行こうと廊下を歩いていた玲菜だったが
「ん?」
二階の階段近く、山を一望できるバルコニーに人影がある。月明かりと中から漏れる光しかないその場所だがそこにいるのは誰なのかすぐに分かった。
「こんなところで何をしてる」
「あ、ぶちょー」
玲菜もバルコニーへと出て一番外見のわかりやすい相手、香里奈へと話しかける。
夜でも涼しくならない生ぬるい空気の中玲菜はバルコニーの手すりの前に香里奈の横に並んだ。
「片づけをしていたんじゃないのか?」
「そうだけど、人がいっぱいだからいいって」
「なるほど、それで追い出されたのか」
それだけではないような気がする。
こういっては失礼だが香里奈は家事ができる気がしない。見た目に反し、中身が子供というだけでなくいつもお姉ちゃんがと言っているし家でも甘え放題と玲菜は考えていて
「あー、ぶちょー私が邪魔だから追い出されたって思ってるでしょ」
不覚にもそれを香里奈に見抜かれた。
「そういう、わけ、では」
心をそのまま言い当てられさすがに玲菜も歯切れ悪くなる。
「私だってお姉ちゃんのこと手伝ってるんだからね。料理だってできるし、ちゃんと洗濯とか、掃除だってするんだよ」
「そ、そうか」
それは意外だった。言葉を疑っているわけではないが香里奈が家事をしているというイメージはすんなりと浮かんでは来ない。
「あー、また本当かどうか疑ってるー」
「い、いや、そんなことはないぞ」
ついでに言うのならこうして心を見透かすのも香里奈からは想像していなかった。
「そ、それよりもここでは何をしていたんだ?」
まるで普通の少女のように話を逸らすことしかできなかった玲菜だが、香里奈は存外それに素直に反応してくれた。
「んー? ちょっと、ぼーっとしてた」
「ふむ?」
香里奈には珍しい発言だ。確かに何も考えてない様に見えることは多々あるが、一つの場所で佇むということは似合わないような気がする。
「何か考え事でもしていたのか?」
「考え事じゃないけど、楽しかったなぁって思ってたの」
「ふむ。そうか、それはよかった」
「うん。私………」
その時、少し強い風が吹き木々がざわめいた。
「っ」
そして、何気なくみた香里奈に横顔に玲菜は思わずドキリとした。
「……こんな風に旅行するのって初めてだから。すっごく楽しかった」
外見にふさわしい大人っぽい切なげな横顔。それは玲菜が初めて見る香里奈の表情だった。
「友人たちだけの旅行など、ほとんどが初めてだろう」
ドギマギとしながらも玲菜は普段通りに返すことができた。
が、香里奈はそれに変わらぬ表情のまま首を振った。
「んーん。旅行するのがっていう意味」
切なさと悲しさを同居させるその言葉に意味に玲菜はようやく気付いた。
(そうか………)
香里奈の家庭の事情を思い出す。
記憶にある中では本当に初めてなのかもしれない。こうした旅行というものは。
ずっと、祖母と姉とだけ過ごしてきたのだから。
「ふあ? ぶちょー?」
気づくと玲菜は香里奈の肩を抱いていた。
自分より大きな香里奈をしっかりとひきよせ子供のように暖かな香里奈の体温を腕の中に感じる。
「ぶ、ぶちょー?」
それから優しく頭を撫でると香里奈はさらに戸惑った声を出した。
「な、なにするのー」
「いや、なんとなくな」
玲菜自身こうした理由ははっきりとはわかっていない。だが、香里奈に対して何かをしたかった。
このいつも能天気で、子供で、しかし心に痛みを感じている幼い少女の心を少しでも包み込んであげたかった。
もっというのなら、守ってやりたいと思った。
「ほぁ……」
香里奈は自分がなぜ玲菜に抱き寄せられ撫でられているのかまるでわからない。だが少なからず好意を持っている相手にそうされるのは悪い気分ではなかった。
「香里奈」
玲菜は名を呼んでその顔を見つめる。
「ぶちょー………」
香里奈も玲菜を見つめ返す。
(ぶちょー、かっこいい)
自分を見つめる玲菜の表情に香里奈は心でそうつぶやいた。
いつもよりも凛々しく見える玲菜の顔。背は香里奈よりも小さいが、年上なんだということを思い知らされるようなそんな表情だった。
「これからは私のことをもう少し頼ってくれてもいいぞ」
「え?」
「私などでは大した力にはなれないかもしれんが。何か力になれるのなら全力で力になろう」
「う、うん」
結月ならばともかく、玲菜を知らない香里奈には玲菜がなんでこんなことを言っているのかまるでわからなかった。
それでも玲菜にそう言ってもらえるのは嬉しくて視線を外せないまま素直にうなづいた。
(??)
自分を見つめる玲菜の瞳どこかせつなげなものに変わっていることに気づいて香里奈は頭にはてなマークを浮かべる。
そして、玲菜の手がまた動こうとすると、それをありえぬことに結びつけて
「だ、だめ」
と言ってしまっていた。
「な、何が、駄目、なんだ?」
自分が何か駄目なことをしようとしたつもりのない玲菜は突然の香里奈の拒絶に戸惑ってしまう。
「ぶちょー今キスしようとしたでしょ」
「なっ」
あまりにふっとんだ思考に玲菜は完全に言葉を失った。
「この前読んだ本で同じシーンがあったもん。キスは駄目なの。私が好きな人でもお姉ちゃんがいいよって言った人とじゃないとダメなの」
続いて出てきた香里奈らしい理由にも返す言葉がなかったが、
「ふふ」
少しすると玲菜は楽しそうに笑った。
「香里奈は本当に姉上のことが好きなのだな」
「うん。だって、お姉ちゃんだもん」
言葉は足らないが理由はわかる気がする。香里奈にとって姉は絶対の存在なのだろう。
姉であり、母であり、友であり、時には師のようなものだったりもしたかもしれない。
親がいない中、唯一ずっと一緒にいた香里奈の絶対の味方。
状況が同じではないが、玲菜にとって結月のような存在。いや、それ以上なのかもしれない。
「ふわわ」
それを思うとまた玲菜は香里奈を愛しく感じて頭を撫でる。多少なりとも自分が共感できる相手への玲菜が初めて感じる保護欲。
「も、もうなにーぶちょー?」
「いや、なんでもないよ。ところで、姉上がいいと言わなければ駄目と言ったが、そんな言葉が出るということは仮にいいと言われたら私はキスをしてもいいのか?」
玲菜らしくない冗談だった。もしかしたらこんな類の冗談は結月にも言ったことがないかもしれない。
それほど今の玲菜は気分が高ぶっていた。
「ふぁ。ぶちょー、と、キス?」
陶然としながら香里奈はそうつぶやいて、
「ふあ……ふあぁああ」
いきなり顔を赤くしていく。
「香里奈?」
さっきはされると思い込んで駄目と言ったが、実際にされるところを想像していたわけではない。
しかし、今は玲菜に言われたことで意識してしまったのか香里奈はこれまでにない羞恥を感じて。
「そ、そんなのわかんないよー」
と、玲菜の手から逃れて建物の中に戻って行ってしまった。
「……逃げることはないだろう」
残された玲菜はそうつぶやく。
当然のごとく香里奈が赤くなった理由など想像もできずに。