その後香里奈はすぐに元に戻っており、夕食後リビングでの団欒にはいつも通り見た目に反した子供らしさを振りまいた。
皆、夜遅くまで盛り上げるつもりはあったがやはり長時間の移動の疲れか十時を超えたくらいには眠いと言い出すものが現れ、十一時には各自部屋に戻って行った。
場所は違えど玲菜と結月は夜時間を同じ部屋で過ごす。
違うのは普段は玲菜のベッドに二人ともいるところが、それぞれのベッドの上にいることだろうか。
「ふぅ、なんだかんだで今日は疲れたな」
玲菜はベッドの縁に腰を下ろしながら、
「そうだねぇ。でも楽しかったよ」
結月は寝ころびながら互いを見合っている。
「そうか。それはよかったな」
玲菜は穏やかに微笑んだ。
「…………」
結月はその顔をじっと見つめる。玲菜は感情が希薄だったわけはないが、去年までは決して豊かとはいえなかった。
その玲菜最近はよく笑う。それがおかしなことでも結月からして珍しいことではないのだが。
(……………)
単純ならざる気持ちを結月は思っていた。
「さて、私は風呂に入らせてもらうよ」
そう言って玲菜は着替えを持って立ち上がる。
「あ、玲菜ちゃん」
「なんだ?」
「私も、一緒に……いいかな?」
それは結月にしては珍しく遠慮がちな言い方だった。
「いや、お前は香里奈たちと一緒に入っただろう」
実は一年生四人は一緒に入浴をしている。
この別荘の浴室はかなり広い。小さな旅館などならかなわないほどの広さがあり、十人ちかくは入れるものとなっていた。
それを知った香里奈はみんなで一緒に入ろうと提案し、玲菜と洋子だけが断っていた。
玲菜が一緒でないことに残念がるものもいたが、結局は一年生だけが一緒に入り玲菜はこの時間まで入っていなかった。
「そうだけど……ほら、みんな一緒だったのに玲菜ちゃんだけ仲間外れだと寂しいかなーって」
「洋子も一人だったが?」
「う、うん。そうだけど、そういうことじゃなくて………ほら、久しぶり、だし」
実家の浴室も負けず劣らず二人で入るには十分な広さがある。数年前までは一緒にはいることも多かったが、ある時期を境に一度も入っていない。
玲菜も結月もその理由を身に染みて知っている。
だが、結月は今日その提案をしていた。
その理由は複数ある。玲菜も結月も直接は言葉にできないものから、単純に玲菜と一緒に入りたいという理由、旅行先という開放感での玲菜の気の緩みへの期待。
「で、だめ?」
実のところ、結月は玲菜が頷いてくれるとはあまり考えていなかった。
しかし、結月は玲菜のことを一番に知っているつもりではあっても玲菜の自分への気持ちを見誤っていた。
「お前がそう望むのなら、断りなんてしないよ」
玲菜のその従うのが当然という言い方に結月ははっとなる。
ただ、それ自体には複雑なものを感じたもののほかの誰でも了承のでることのない一緒の入浴に結月は心の奥で優越感と安堵を感じていた。
「ね、玲菜ちゃん。体洗ってあげようか」
浴室に入っていくと結月は体を洗おうとしていた玲菜を捕まえてそう言った。
「なんだ、いきなり」
タイルの上をペタペタと音を立てて近づいてくる結月に玲菜は怪訝そうな顔をするが結月はにへらと笑い返す。
「ほら、私はもう洗っちゃってるし。昔みたいに、いいでしょ」
「…………わかった、お願いするよ」
玲菜はわずかに躊躇をした後頷く。
その躊躇の理由を結月は知っていて、だが頷かせられる自分を複雑に思う。
一緒に入浴をするのと同様、これをできるのも結月しかいない。
玲菜が許すのは結月相手だけだ。そして、玲菜はそれを断ることはない。いや、できないと思っているかもしれない。
「えへへ、玲菜ちゃんってやっぱり綺麗だよねー」
いいながら玲菜の背後に座り、丸めた背中を見る結月。
「私相手に世辞を言うのはやめろ」
気のせいでなく少し棘を含む言い方。
綺麗なんかではないことをお前は知っているだろう。
玲菜は誰もが飛びつきたくなるようなな背中を見せながら、そう語っているようにも見えた。
「きゃっ!?」
それが気に食わなくて結月は人差し指で玲菜の背中をくすぐるように上から下へと撫でた。
「ふふ、きゃ! だって。玲菜ちゃん可愛い。玲菜ちゃんって敏感だもんね」
「お、おちょくるな」
「おちょくってなんかないよ。こういう玲菜ちゃんの反応好きだなー」
言いながら結月は玲菜の背中を洗うこともせずに指でくすぐる。だが、その顔は口調とは裏腹に笑っていない。むしろ、不服すらあるような顔をする。
「んっ、はぁ…」
結月の指が玲菜のきめ細かくつるつるとした肌を滑っていくたび玲菜はくぐもった声を上げる。
その姿はやけに扇情的で同性であれど邪な気持ちをいだいてしまいそうなほど。
しかし結月は当たり前ではあるかもしれないがそれ以上何かをすることなく玲菜をくすぐるだけだった。決して背中以上に玲菜の肌を侵すことはなく。
「や、やめろ……」
いつしか、玲菜の言葉も耳に入らないほどに集中していた玲菜はその言葉も聞き逃し、
「やめろと言っているだろう」
振り向いた玲菜に腕を掴まれるとようやく我に返った。
「あ、ご、ごめん」
「ったく、ふざけてるのなら自分でするぞ」
「あぁああ、ちゃ、ちゃんとするよぉ」
それ以降は結月もふざけることなくちゃんと玲菜の体を洗っていった。
玲菜の体を洗い終えると二人では広すぎる浴槽にそれほど距離を取らずに身を沈めた。
「…………」
玲菜は黙ってどこというわけでなく視線を正面へと向け、結月はそんな玲菜の顔ではなく視線を下げて湯船の中にあるものを見つめていた。
「ね、玲菜ちゃん」
視線を玲菜の顔に戻し結月は明るく切り出す。
「なんだ?」
「今日楽しかった?」
「今日のお前は唐突だな。まぁ、素直に楽しかったよ。自分でも意外と思うほどにな」
「そっか。……楽しかっただぁ」
改めて結月はそこに感慨深いものを感じる。
この旅行にきたこともさることながら、部活の時間ではなくプライベートで結月以外とすごし、楽しかったと言う。
それは結月からしたら本当に考えられないこと。もしかしたら一生訪れることはないんじゃないかとすら思っていたことだから。
「なんだ? 今日はほとんどお前といなかったからいじけているのか?」
どちらかというと結月は喜んでいたのだが、結月の口調は確かにそう取れなくもないおもので機微にうとい玲菜はそんなことを言ってくる。
「へ……そういう、わけ、じゃ」
ない、と言おうとして続けなかった。
今日のことを寂しいなどとは思っていない。確かに、普段の日に比べれば玲菜と一緒にいる時間は少なかった。休みの日ともなれば、一緒にいない時のほうが珍しいというのに。
だが、玲菜が他の部員とすごし、楽しいと言ったように結月もまた玲菜のいない場所で楽しいと思っていた。
だから、いじけてなどはいないが
いないはず、だが。
「心配しなくても私はお前のものだと言っているだろう」
「れ、玲菜ちゃん」
取りようによっては危なくも感じる玲菜の言葉に動揺する。
玲菜は本気で言っているし、結月もまた玲菜が本気なことを知っているから。
(……体は、そうかもしれないけど)
「そ、そういうこと人前で言っちゃだめだからね」
一瞬湯船に隠れた玲菜の体を見つて結月は平静を装おうと常識的な言葉を口にしていた。
その裏で玲菜が自分以外と一緒の時間を過ごせる喜びと、寂しさの矛盾と本当の意味で玲菜のことを手に入れたいという願望を抱えながら。