自分は醜い。

 姫乃はそう考えている。

 外見がという意味でなく心がという意味で。

 今姫乃は天音のことを快く思っていない。

 天音が姫乃に何かをしたということでもなく、人柄などが嫌なわけでもない。

 天音を嫌う理由。

 それは、玲菜へと積極的になれていることだ。

 姫乃は天音の気持ちを、玲菜を好きという気持ちをわかっている。

 自分と同じ目で玲菜のことを見ている。

 そう、姫乃と天音は同じものを見ている。

 玲菜のこと、結月のこと。

 玲菜と結月の二人の絆のこと。

(……なのに)

 昼休み、さっさと昼食を済ませた姫乃は行くあてもなく校舎をさまよっていた。誰かと話す気分でもなく、机で寝る気にもなれない。誰ともいたくないくせに、独りの今は嫌なこと考えてばかりだ。

(なんであんな風にできるのよ)

 姫乃は昨日の天音のことを思い出して苦々しい顔になる。

 遊びに誘い、お昼に誘い、好意を隠すことなく玲菜へと向かっている。

 玲菜は人とは違う思考を持っているおかげもあって、天音の気持ちになど気づいていないだろうが姫乃には天音の意図がわかって、それが心の中で黒い気持ちを作る。

 普通はあんなことなんてできない。

 玲菜と結月の間にある絆は、圧倒的なものだ。

 入り込む余地どころか、触れることすらしてはいけない気がするのに。

(私には、できなかったのに)

 姫乃はそれに立ち向かえなかった。怖気づいてしまった。それに触れることで結月の親友という自分の立場が保てなくなるような気がして何もできなかった。

 二人の絆は本物で、自分は結月の親友だから。

 だから、何も……しなかった。

 結月にならとその言葉を心の重しにして、結月の親友として玲菜の側にいることしかできなかった。

 本気でそれでいいと思っていた。

 思い込もうとしていた。

 のに、天音は姫乃にできないことをしている。

 同じものを見ているのに、違うことをしている。

 したかったことを天音は姫乃に見せつけている。

 妬ましかった。うらやましかった。

 ……みじめ、だった。

 ただ、その中でも姫乃は自分を慰められた。

 天音もいつかは現実に気づくだろうと。太刀打ちできないのだと諦めるのだろうと、そんな達観にも諦観にも……願いにも似た気持ちがあった。

 そうでも思っていなければ本当に自分がみじめで耐えられなくなりそうだから。

 そう思っているからこそ天音にもどうにか心を隠して向かうことができた。

 だが、こうして嫉妬していることからもわかるようにそのバランスは非常に危ういもの。何かのきっかけがあればこの醜い気持ちが噴き出してしまうだろう。

 たとえば

「っ………」

 二人きりの姿を見てしまったりもすれば。

 姫乃は何気なくみた中庭のベンチにくぎ付けとなる。

 そこには昼食をとる玲菜がいる。天音がいる。

 結月は、いない。

(やめ、てよ)

 当然のように一緒なのだと思っていた。二人きりになるなど考えていなかった。結月はいつでも玲菜の隣にいる。いや、玲菜はいつでも結月の隣にいるはずだと。

(二人きり……なんて)

 痛い。心が痛い。

 そんなこと姫乃には一度もない。自分が誘って二人きりになれたことなどない。

 いや、違う。してこなかった。どうせと諦めていた。

(なんで私じゃないの?)

 ああしてお弁当を広げ一緒の時間を過ごすのはなぜ自分じゃないのか、なぜまだ出会って半年も経っていない天音なのか。

 そんなのは決まっている。

 自分は何もしていないから。諦めているから。

(やめて……やめてよ。これ以上私は……みじめにさせないでよ)

 いやな気持ちが心に広がっていくのがわかる。

 苦しい。悲しい。

 いろんな負の感情が渦巻いて気持ち悪い。

 それでも姫乃は二人から目が離すことができずに奥歯を噛みしめた。

 

 

 恋は人を醜くする。

 初恋をいまだに続ける姫乃が恋から教わったのはそのことだ。

 天音にだけじゃない。結月にすらその醜さをもよおしてしまったことはある。

 それでも、その時は結月にならと姫乃は自分を抑えてきた。結月と先に出会い、結月を親友と思っているから、だから諦められて……諦めたふりをしていられた。

 だが、この想いを捨てない限りは自覚するのも嫌な感情はどこまでも付きまとってくる。本当に諦めてしまえればいいのに、それは……できない。

 そして、それは姫乃の中で順調に育ち悪意となってしまう。

「…………」

「…………」

 部室の中に二人。天音と姫乃がいる。

 天音は玲菜の定位置となっているソファに座り、姫乃はそこから少し離れた位置いる。

 二人はお互い厳しい顔でにらみ合い、シーンと静まり返った部屋の中には緊張した空気が漂っている。

 この状況は姫乃が作り出したものだったが、意図的にこうなったのではない。

 突発的なものではあったが、きっかけと呼べるようなきっかけですらない。

 姫乃は先に部室にいると、天音と玲菜が一緒にやってきた。

 ただそれだけのこと。

 それだけで、姫乃は夏休みに入る前から少しずつためてきた不満を、情けない自分への怒りを、恋の醜さを天音へとぶつけることになった。

 それでも玲菜が目の前にいればこんなことにはならなかっただろうに、玲菜は忘れ物をしたと部室を離れてしまうから。

「いつまでそんなことしてるつもりなの?」

 楽しそうに玲菜と会話をする天音があまりにも憎たらしくて、それを見てる自分がバカみたいで姫乃はついそんな言葉を口にしてしまった。

「どういう意味?」

 天音もすぐに態度を変えた。

 二人はもともと仲が良かったわけではないが、悪かったわけではない。少なくとも普通の友だちと言ってもよかったかもしれない。

 しかし、いつからか二人の会話は減り、あったとしても簡素なものになっていた。

 それは姫乃が天音の気持ちに気づいていたように天音もまた姫乃の気持ちに気づいていたからかもしれない。

「言わなきゃわからないほど鈍いの?」

「だから、なんのこと? はっきり言ってみてよ」

「じゃあ言ってあげるけど、玲菜さんに付きまとったって無駄なのがわからない」

 玲菜さんとあえて学校では呼ばない呼び名で姫乃は天音を挑発した。

「ふーん。【前は】そう呼んでたんだ」

 それに鋭く気づいて挑発を返す天音。

「で、名前呼ぶこともできない人が私に何が言いたいの?」

「……自分が結月に勝てるって思ってるの?」

「なにそれ。意味わかんないだけど?」

「玲菜さんのことばっかり見てるくせに、そんなことにも気づけないの。玲菜さんはあんたなんて眼中にないのよ」

「……………」

 肯定も否定もせずに瞳に力を込めたまま天音は姫乃を見返す。

「玲菜さんが見てるのは結月だけ。あんたと仲よくしてるのだって、結月のためにしてるだけ。結月がいなかったら話してだってもらえない」

「……………」

 この場合否定できないというのは肯定にあたる。

「正直言って、笑っちゃう」

(やめて……)

「自分のこと見てもらえてないくせに、あんなに楽しそうにして」

(もう言いたくない。とめてよ)

「仲良く慣れたつもりなの? いつか結月よりも上になれるだなんて都合のいいこと考えてるの?」

(何か言い返してよ)

「そんなこと絶対ないよ」

(これ以上私を……私をみじめにさせないでよ)

「っ………」

 心が悲鳴を上げて姫乃はそれ以上続けられなくなった。

 いや、そもそもこんなことを言うつもりなんてなかった。こんなことを言っても何にもならない。天音との仲をこじらせてしまうことはもちろん、他の誰かに聞かれたとしても全面的に姫乃が悪いと思うだろう。

 天音が何かを言い返してくれれば途中で止められたかもしれないのに。天音が黙っているから口の滑りが止められなかった。

(何言ってるのよ! 何しちゃったのよ!!)

 ここまで自分が情けない人間だとは思わなった。自分ができないことをする相手に八つ当たりをするような人間だとは思わなかった。

 姫乃はそうしてしてしまったことを後悔しながらも謝ることもできずに天音をにらみつけ、天音は姫乃の言葉を受けながら厳しい表情で姫乃を見つめ返す。

「……………」

「……………」

 そのまま数分にらみ合い、その沈黙はきっかけとなった相手により破られる。

「すまない。待たせたな」

 忘れ物を取りに行っていたという玲菜が戻ってくる。

「ん?」

 一瞬玲菜はその場にある不穏な空気に気づいたものの

「玲菜先輩♪」

 天音の変わり身にそれを見過ごしてしまう。

「……………」

 対照的に姫乃は自分の言ったことの醜さに落ち込むことしかできなかった。

 相手もまた傷ついていることにも気づけず、ましてこれによってもたらされる結果になんて思いが及ぶはずもなかった。

 

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