「……ふぅ」

 天音はベッドに体を投げ出しながらため息をついていた。

 白い天井を見つめては悲しげな顔で昼間のことを思い出す。

 それは姫乃に言われたこと。

 玲菜への恋のこと。

 部活が終わってから、いや玲菜といる時ですらそのことが頭を離れなかった。

 というよりも

 ボン!

 天音はベッドに拳をたたきつけた。

(……そんなこと、あんたに言われるまでもないのよ)

 玲菜は自分のことを恋愛対象として見てくれてはいない。玲菜が考えているのは結月のこと。玲菜が好きなのは、大切に想っているのは結月。

 そんなのは知ってる。思い知っている。

 玲菜と接していればそんなことは誰でも気づく。まして、その人が好きでその人のことをわかろうと、もっと知りたいと思うのなら。

 玲菜の中には絶対の基準があるのだとわかってしまう。

 自分のしていることが無駄かもしれない。

 結月に勝てることはないのかもしれない。

 姫乃に言われるまでもなく、心の底ではそれを思っていた。そして、見ないふりをしていた。

 玲菜の気持ちを認めてしまったらもう玲菜への気持ちを保てそうになかったから。それほどに、玲菜と結月の関係は絶対に見えてしまう。

 正確には玲菜の結月への気持ちが。

(あれが、恋人とかだったらまだよかったのかも)

 最近そんなことを考える。

 玲菜と結月が恋人のようであったのなら諦めがついたかもしれない。もしかしたら、二人の関係が壊れるような期待だってできたかもしれない。

 しかし、結月の気持ちは知らないが玲菜の気持ちは、まるで忠誠を誓った騎士のようだ。生涯をかけて結月のために生きることを望んでいるように見える。

 そして、その関係が壊れることは想像すらできない。

(……諦めたっていいのにな)

 二人の間に入るのは不可能だと思っている。今も、これからも。

 だから諦めたっていいはず。このまま望みのない恋を続けてもいいことなんてきっとない。その時間が長引けば長引くほど後で傷つくのかもしれない。

 だが、理性はそう主張してもそうはならないのが恋。

 理屈じゃないのだ。

(それに)

 今度はシーツをぎゅっと握った。

(私は、あのいくじなしとは違う)

 言い聞かせるようにそれを強く思う。

 好きなくせに、達観して諦めたふりをする姫乃とは違う。

(あいつは……本当に好きじゃないだけ)

 本当に心から玲菜のことが好きなのなら諦めない。

 好きな人が望んでいることならその通りにさせるなんて負け犬の言い訳だ。

 姫乃にではなく自分を震え立たせるため姫乃はそう考えていた。そう考えるしかない。

 なぜなら油断をすれば自分もまた弱気な自分に取り込まれそうだから。

(……多分、ずっと好きだったんだろうな)

 それを考える。

 姫乃の気持ちは夏休みの前にはもう気づいていて、それがいつからかは知らないが少なくとも自分よりもずっと長く恋をしているんだということはわかった。

 玲菜のことも、結月のことも天音よりも知っている。

 もしかしたら、二人の関係のことも、その理由も知っているのかもしれない。玲菜の過去のことも。

 その姫乃の言葉が軽いはずはなかった。自分と同じ思いを自分よりも長く抱えた相手の言葉は天音に、姫乃が思った以上の効果を与えていた。

 あきらめない。あきらめたくない。

(……そんなの、あいつだって同じこと思ってたんじゃないの?)

 誰も絶望から恋を始めない。その人と一緒にいたいと、好きだと思うから、好きに思ってもらいたいから恋をする。

 姫乃も玲菜が好きで、結月の親友という場所から進もうとしていて、現実の前に膝を屈した。

 好きなくせにそれを伝える勇気も、今以上を期待することもなくなって結月と玲菜の関係を受け入れている。

 それなのに諦めきれない。

 それは絶対につらいことのはずだ。

 言ううなれば真綿で首を絞められるような、いつかくる本当の絶望を恐れながら苦しんでいく。

「……私も、あぁなるのかな?」

 天音は泣きそうな顔でつぶやく。

 好きだと伝えることもできず、二人の世界に近づくことをあきらめて、遠くからそれを眺めるだけに。

「……やだ。そんなの」

 自分を救ってくれた、また演劇を好きだと思い出せさせてくれて、道を示してくれた玲菜のことが大好きだ。

 玲菜の隣にいたい。

 玲菜の隣で玲菜を支えられるのが結月だけなのかもしれなくとも、それでも天音は玲菜の隣で同じものを見たかった。

(けど……そんなこと……できるのかな)

 望みよりも期待よりも、そのことが先に来てしまう。

このまま何玲菜にいくらアプローチをかけて行こうとも玲菜は天音の気持ちに気づくことはきっとない。心の天秤が天音へと傾くことはない。

 ずっとこのままで姫乃と同じになってしまう未来なら簡単に想像がつくのに。

「玲菜……先輩」

 姫乃の言うことが重く心にのしかかる天音は情けない声でそう好きな人を呼ぶことしかできなかった。  

 

 

 その日、天音は朝からあまり気分がよくなかった。

 心に靄がかかったようで、笑顔の一つも作る気にはなれずそれでも約束があって、その場所に向かっていた。

 今日は楽しみにしていた日だった。ほんの数日前まではこの日を待ち望んでいた。

 なにせ玲菜とのデートの日なのだから。玲菜と休みの日に会うのはすでに何回かあったそのすべてが部員と一緒であったが、それでも休みの日に会えるというのはただの先輩後輩の関係を飛び越えられた気がして嬉しかった。

 今日ももちろん二人きりではないがそれでも天音はこの日を待っていたはずだった。

 姫乃にあんなことを言われるまでは。

 姫乃に言われたことは自分でもわかっていたこと。今の姫乃は自分がいずれなる姿なんじゃないかという不安が天音にはある。それを覆せるだけの材料は天音にはないから。

(……こんなんじゃ玲菜先輩に変に思われちゃうかも)

 今日はいつものテンションを保てる自信がない。

 玲菜に積極的に向かって行けるだけの余裕と勇気がない。

 普段自分でも大げさに思うほど玲菜にはぶりっ子をしている。自分を作っている。そんな自分が笑顔の一つも作れなければ誰でもその様子に気づ、

(かないかも)

 それを本気で思ってしまう。

 気づかないかもしれない。玲菜は天音の様子など気にもしないかもしれない。

 これまでだってそうだ。玲菜と話しをしていても結月に何かあればすぐにそっちに気を取られてしまう。

(……あぁ…やばい。ますます落ち込んできた)

 玲菜が結月のことしか見てないというのは十分に身に染みているのに、その一つ一つを見つけるたびに心が沈む。

(あ、もうついちゃった)

 待ち合わせ場所である駅が視界に入る。

 三角屋根の駅舎の入口が待ち合わせ場所で、そこにはすでに一人の姿があった。

 いつも通り凛とした雰囲気を漂わせ、そこにいるだけで絵になるようなそんなことを思わせる。

(……やっぱり、綺麗だな)

 でも玲菜に感じるのはただ外見が美しいというだけの意味じゃない。

(それが何かって言われると困っちゃうんだけど)

 ただ、その何かは確かに存在する。

「おはよう。天音」

「お、おはようございます。玲菜先輩」

 天音が玲菜の【何か】に思いを馳せていると玲菜の方から挨拶をしてきて慌てて返す。

 と、そこで玲菜を見た時に感じた違和感に気づく。

「まだ他には来てないんですか?」

 玲菜がいるのに結月がいないこと、天音がついたのは待ち合わせ時間とほとんど一緒だったのに他に誰も来てない。みんなまじめで集合時間の五分前にはそろっていることが多いのに。

「ん? あぁ、これで全員だ」

「え? どういう、こと、ですか?」

 玲菜から意外な言葉を聞かされて天音はその意味を問いただす。

 姫乃は初めから来ないと言っていたが他のメンバーは全員参加の予定だったのに。

「香里奈は姉と出かけることになったらしくてな。洋子も家族で出かける予定があったらしい」

「そう、なんですか」

「結月は風邪を引いてしまってな。今は寝ているよ」

「え!?」

 玲菜は何気なく口にしたつもりだろうが、天音には衝撃的な言葉だった。

 結月が寝込んでいる。

 誰よりも玲菜が大切に想う結月が。

(なのに、こっちに来てくれたの?)

 考えられないことだった。どの程度なのかは知らないが結月が苦しんでいるというのに、天音のもとへと来てくれた。

(……………)

 心に、何かが灯る。それは以前だったら手離しに喜べていたことだったのかもしれない。だが、今はこの状況を整理しきれず心に宿った激情の種はまだ芽吹くことはない。

「天音はどこか行きたいところがあるといっていただろう。私と二人などではつまらんかもしれんが。付き合わせてもらうよ」

「あ、は、い」

 天音が呆けたようにうなづいていた。

 予想外に起きた望外の状況。

 玲菜への気持ちを処理しきれない天音に訪れた、待ち望みながら諦めもしていたデート。

 玲菜との

(二人きりの、デート)

 それは……待ち望んでいたもののはずだったのに。

 

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