週の明けた月曜日、姫乃にはショックな出来事があった。

 それは姫乃の恋に関係することからであるが、直接の相手ではない。

 だが、むしろ玲菜でなく天音であったからこそここまで沈んでことになったのかもしれない。

 天音を見た時、体がすくんだ。

 そこに自分の姿を見た気がして。

 天音は泣きはらした瞳で学校にいて、すべてが上の空といった様子だった。

 授業中も休み時間も、昼休みもここではないどこかに思いを馳せそして、それに押しつぶされてしまいそうなそんな不安気な様子を見せていた。

 それは、姫乃が通った道。

 玲菜を好きで、しかし太刀打ちできない壁にぶつかり、それでいて方向転換もできなくなったそんなどうしようもない気持ち。

 気持ちの行き場を失くしながらも気持ちを捨てることもできない不安と焦り。

 手に取るようにわかる。

(……私、なにやってるんだろう)

 その原因を作ったのが自分であるとわかっている姫乃はその後悔に苛まれた。

 玲菜へ向かえない嫉妬から姫乃にあたって言わなくていいことを言って、自分と同じ不幸を抱える人間を作り出しただけ。

 しかも、

(……私が言わなくても、いつかそうなったはずよ)

 その罪に耐え切れずに言い訳をしてしまう自分が本当に嫌になる。

 そうして姫乃もまた一日を落ち込みながらすごし、それでも放課後になれば部活へと向かった。

「……はぁ」

 部活中も当然のように集中できない。声が出ていないと結月に何度も注意されたし、セリフを忘れてしまうことも多々あった。

 だが、それでも天音よりはましであったかもしれない。姫乃は注意されれば、しばらくは治ったが天音の場合は何を言われてもそれに対する返事すらあやふやだった。

 さらに、玲菜が「何かあったのか?」と無責任に問いかけたのは天音にも姫乃にも重い言葉となった。

「私ちょっと職員室行ってくるからー」

 しばらくして休憩に入ると結月がそう言って、部室を出ていくと部屋の中は姫乃と天音、洋子と玲菜の四人となる。

 普段であれば、誰かと話したりすることが多いが今日はとてもそんな気分になれず姫乃は玲菜のいるソファの後ろでペットボトルに口をつけながら他の人間の様子をうかがうことくらいしかしていなかった。

(……何か、あったんだろうな)

 ソファから少し離れた場所にいる天音とソファで洋子と会話をする玲菜を交互に見つめてから姫乃はそう思う。

 天音は相変わらずぼーっとしながら玲菜を見ることもしない。

 一方玲菜は、普段と変わらず洋子と話しをしている。

(……自分のせいだなんて絶対気づけないんだろうな)

 皮肉を込めて心で玲菜につぶやいた。

 自分のせいで天音が落ち込んでいる。玲菜にはその自覚はまるでない。自分が自覚なしに人を惹きつけその相手に絶望的な壁を見せて、相手を傷つける。

 玲菜にはその自覚がない。もともと無茶なことではあるが、玲菜には気づけという希望すら抱けない。

 それほど玲菜は結月しか見ていないから。

(……小学校のころから何にも変わってない)

 この胸の痛みは、もう何年も心に住みついている。

 そして、この痛みが癒えることはないのだろう。気持ちそのものを捨て去りでもしない限りは。

 もしくは、玲菜の心に触れる何かが起きたりでもしなければ。

(…もっとも、そんなこときたいもできないけど……)

 この数年何にもできなかったのに今更……

「あっ!!?」

 落ち込む一方だった姫乃はペットボトルを飲もうとしてつい手を滑らせてしまう。

 姫乃の手を逃れたそれは重力に引かれ逆さまとなって落ちていく。ただし、地面ではなく近くにいた玲菜に向かって。

「っ!!!??」

 ビシャ。

 と、中身が玲菜の体に降りかかり、ついでカランと地面へと落ちる音。

「す、すみません!!?」

 いくら落ち込んでいたとはいえ自分がまずいことをしたのはわかり姫乃は玲菜の正面に回るとすぐにそう謝罪した。

「い、いや、驚きはしたが大したことはない。服が少し濡れただけだ」

「ぬ、脱いでください。すぐに拭きますから」

 打算もなにもなくただ申し訳ないという気持ちから姫乃はそう言って玲菜の制服に手を伸ばした。

「っ!?」

 掴んだ制服を逆側へと引っ張られる。

「い、いやっ! だ、大丈夫だ。この程度なら問題ない」

「そういうわけにはいきません。びしょびしょじゃないですか」

 自分の不注意で玲菜を濡らせてしまったと焦る姫乃は玲菜が過剰なまでの力で制服を抑えていることに気づけない。

「だ、だから大丈夫だと言っているだろう。気にしないでくれ」

 玲菜もまた肌をさらすことを必要以上に拒絶しようとしていることに気づいていない。

 お互い意地になってしまったと言えるかもしれない。

 姫乃は申し訳ないという気持ちから、玲菜はあるものを隠すために。

 それは偶然の産物。姫乃がペットボトルを落としたことも、玲菜の触れてほしくないほうの腕を掴んだしまったことも、濡れた床の上に立ったことも。

 すべては誰の意図でもない。

 そんなどれか一つ欠けても起きえなかった偶然が、姫乃が待ち望みしかし想定もしていなかった玲菜の心を垣間見るきっかけとなる。

 姫乃が玲菜の制服を強引に剥ごうと足に力を込めた瞬間、濡れた床にすべり

「きゃ!?」

 ビリリ。

 転んでしまう。不吉な音を立てながら。

「ったぁ……」

 床に尻餅を姫乃と

「っ!?」

 ソファに背中を打つ玲菜。

「っーーー」

 そして、一番初めにそれを見た洋子の息を飲む音。

「?」

 それがなんなのかわからなかった姫乃だが、視線を正面に向けるとすぐに

「ぁっ………」

 同じように息を飲んだ。

 信じれないほど衝撃的なものを見たから。

「………れ、な、先輩?」

 こちらの様子をうかがっていた天音も呆然と玲菜を呼ぶ。

「っ…………」

 そして、玲菜に苦渋の表情が滲む。

 破けた制服。玲菜が初めて人前にさらした素肌。

 そこにあったのは

 

 傷痕。

 

 玲菜の心と手首に深く残る傷痕だった。

 

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