人というのは不思議なもので、何かつらいことがあろうと心に傷を抱えていようと人前では存外それを隠すことができるし、他にしなければならないことがあればそれを優先できるものだ。
だから玲菜はこの半年学校に問題なく通うことができたし、傷を見られた今でさえ一日を問題なく過ごしていた。
もちろん姫乃のことや天音のことは心に重くのしかかっているとはいえ、それでも玲菜はそれを除けば普段通りの一日を過ごすことができた。
だが、家に帰ればそれを考えなければいけなくなる。それに衝動的にまたしてしまうこともあって、それが更なる痛みにつながるのは経験で知っていることだった。
そんなことを思って玲菜は放課後、図書室にやってきていた。
静かな室内の中、奥の目立たない席で読みかけの文庫本を手にするが内容はまるで頭に入ってこない。
(……当然か)
さきほどから【傷】に関係することしか考えられていない。
姫乃のこと、天音のこと、結月のこと、これからのこと。
様々浮かんできてはすぐにそれを打ち消す。まともに向き合う勇気が足りなくて。
だからと言って本にも集中できず、結局は時間を浪費するのみ。
「ふぅ……」
と、ため息をついた玲菜はふと顔を上げると
(あれは、洋子か……?)
本棚を見上げ何かを探しているような洋子が目に映った。
(……そういえば、洋子は何も言ってこないな)
学年も同じなのだし、最初に来ることも考えられた相手だったが今日は一言も話していない。
(………………………まぁ、別にいいことだが)
自分の中で不必要に長い間を取ってから玲菜はそう思った。もともとそれを望んだはずなのだから、そもそも話していないなどと思う必要はない。
「……………」
玲菜の立場からすればここは洋子を避ける場面だ。こちらが洋子の姿を見られるということは向こうからも見ることができるということで、あのことを触れられたくないのだとすれば洋子から離れようとするのが自然なはず。
だが、玲菜はそれをすることはせずじっと洋子のことを見つめるだけだった。
「あ………」
こうなることは予想がつくに決まっているのに。
洋子と目があって、洋子は一瞬戸惑った様子を見せる。
「久遠寺さん……」
無視をするということはありえず洋子は数冊の本を抱えたまま玲菜のところへやってきた。
「め、珍しいね一人でいるなんて」
何をいうのかと身構えていた玲菜だったが、洋子が口にしたのは玲菜が覚悟したものとは異なっていた。
「……まぁ、な。いつでも結月と一緒というわけにもいかないだろう」
「そ、そうだよね」
「君は……何か探し物か? 先ほどから本棚を見ているようだが」
「う、うん……ちょっと……」
「そうか」
ぎこちない会話。
当然だろうが、忘れろという言葉には無理があって自然と以前とは異なる空気が出来上がってしまう。
「…………」
普段であれば取り留めもない会話が続くが今日はそうはならずに訪れるのは居心地の悪い沈黙のみ。
「…………さて、そろそろ私は行かせてもらうよ」
一分と経っていないのに玲菜はこの重さに耐えられずにそう言って立ち上がった。
「う、うん……」
洋子はそれを止めることもせずに、自分の横をあっさりと通り過ぎる玲菜を見つめるのみ。
その淡泊さが気になったわけではないただ、玲菜は
「……君は」
あの事を何も言わないのか?
と口にしかけて
(な、何を考えているんだ私は)
激しく動揺する。
自分で聞くなと言ったくせにありないことを口にしかけてしまった。
「久遠寺、さん?」
「い、いや……すまない。なんでもない。失礼させてもらうよ」
「う、うん。またね」
洋子がそれに気づくことはなかったが、玲菜は自分のしようとしたことが忘れられず呆然としながらその場を去っていった。