知られてしまってからの一日をどうにか過ごし終えた玲菜は下駄箱を出ると
「ぶちょー!」
元気な声を聞いた。
「っ」
一瞬、呼ばれたことにびくっとしたが相手が誰かということは確認するまでもない。
「香里奈、何か用か?」
玲菜が声の方を見ると、予想通りの相手が一年用の下駄箱の方から小走りにやってきていた。
「ぶちょーこれから帰るところ?」
「まぁ、普通そうだろうな」
「じゃあ、途中まで一緒にかえろ」
「かまわんよ」
玲菜は即答する。
それは香里奈が事情を知らないということもあるが、それだけではない。玲菜は多少なりとも香里奈に親近感と保護欲を持っており、たとえ誰にも傷を知られていない状態だったとしても了承をしただろう。
喜ぶ香里奈とともに玲菜は帰路を往く。
賑やかな駅前通りを過ぎ、閑散とした住宅街へ。
「そういえばさー、ぶちょー」
その間ほとんどが香里奈から話を振ってくる。
「なんだ」
「今日ってどうして部活休みになったの?」
「……だからそれを私に聞くな。決定権を持っているのは結月だ」
「え、でもユッキーのことならぶちょーに聞いても一緒でしょ?」
「む……」
それは間違ってはいない。一心同体とは玲菜も結月も思えていないが周りからすればそう見えていてもおかしくはないだろう。
ただ、それを鈍そうな香里奈に指摘されるのは妙な気分ではあったが。
「確かに聞いてはいるが……よくはわからないな」
「どういうこと?」
「用ができたということらしい。それが何かまでは聞かなかったがな」
結月が玲菜に用件も伝えずに離れることは珍しい。その理由を玲菜は考えられないわけではなかったが無意識に考えるのをやめていた。
「ふーん、そうなんだ。あ、じゃあ、これから私の家に来ない?」
「……何が、じゃあ、なんだ」
「だって、今日はお姉ちゃんいなくて暇なんだもん」
「ふむ。君の姉上は在宅で仕事をしているのではなかったか」
以前香里奈の家に招待をされた時にそんな話を聞いた覚えがある。それがすべて香里奈が心配だからという理由でその愛の深さを羨んだ記憶がある。
「うん、けどたまに打ち合わせとかでどっか行ったりするんだ」
「まぁ、それはそうか。完全に家でというわけにはいかないだろうからな。どうだ? 一人で留守番できるのか?」
「むー、ぶちょー私のことバカにしてるでしょ。中学生の時からそういうことはあったんだから大丈夫にきまってるよー」
「それはそうか。失礼なことを聞いた」
何の意味もない会話。
だが、今の玲菜にはそれが心地よく感じる。
結月を含め香里奈だけが玲菜の傷を知らないから。それが玲菜の心を軽くさせてくれる。
「……一人でいるの好きじゃないけどね」
そして、香里奈が時折見せる傷を知る姿に玲菜は共感を覚える。
「………ふぁ。もう、またなでなでするー」
玲菜よりも背の高い香里奈を相手に軽く手を伸ばし、優しく頭を撫でる。
「仕方ない。それほど長くはいられないからな」
本当はこんなことをしている心の余裕などない。
(いや、ないからこそか?)
ないからこそ、何も知らない香里奈と一緒の時間を過ごそうとしているのかもしれない。
(……何の解決にもならないのはわかっているのだがな)
そのことを百も承知ではあるが今はそれでもわずかな安寧に浸りたい玲菜は香里奈との時間を過ごすのだった。