姫乃に一番仲の良い相手はと聞けば、姫乃は迷わずに結月と答える。

 想い人は玲菜であるが、親友としてもっとも気の置けないのは結月だ。

 だからこそ姫乃は自分の気持ちに嘘をつくこともできていた。

 結月は他の誰とも違う大切な相手で、たとえ玲菜への気持ちを諦めなければならない時がきたとしても結月への気持ちは変わらない。

 そう、思っていた。

 

「それで、話ってなぁに? 姫乃ちゃん。わざわざ姫乃ちゃんちにまで呼んだりなんかして」

 放課後になると姫乃は結月を誘い自分の部屋へと連れてきていた。

 玲菜とは朝以降話すことはなかった。それ以上にしなければいけないことができたから。

 学校の人気のないところでもよかったかもしれない。しかし、確実に二人きりになりたかった。

 その理由は誰にも邪魔されたくないというのはもちろんだが、それ以上に

(……何する気かしらね。私は)

 何をしてしまうのかわかったものではない。

 この親友【だった】相手に。

「……………」

 姫乃はカバンを床に置くだけで、腰を下ろすこともせずに結月に背中を向ける。

「………どうして結月は黙ってられるの?」

 単刀直入に切り出したい。だが、姫乃もまだまだ子供で真実を知ることを躊躇してしまう。

「? 何が?」

 結月は当たり前ではあるが、何のことかわからずに首をかしげる。

(っ……)

 今の一言で気づくなんて無理だ。そんなことはわかっている。わかっているが、もう親友と思えない姫乃は玲菜のことに対して敏感になれない結月にいらいらする。

「……結月は、玲菜さんのこと好きなのよね」

「な、何いきなり?」

 さすがの結月も何のことかと訝しむ。だが、まだ何のことだかわからずその心当たりを探すと

「……………………そっか」

 意外にも簡単に見つかって、結月はため息をつくようにいった。

「だから昨日玲菜ちゃんの様子が変だったんだ」

「っ!!」

 その達観したような言い方に姫乃は、結月のことを親友だと思う自分がいなくなるのを感じた。

 それからゆっくりと結月に向き直り、結月をにらみつける。

(わかってた……わかってたけど!!)

 一緒に暮らしているのだ。気づかないはずはない。知っている決まっている。

 結月は玲菜がリストカットをしていることを知っている。

(……知ってるくせに)

 自分の中で憎しみが育っていくのを姫乃は自覚する。

「……どうして、そんな態度が取れるの? 結月は知ってたんでしょ? 玲菜さんが自分のことを傷つけてるって知ってたんでしょ」

「………そりゃね。何年も一緒に住んでるのに気づかないって言うほうがおかしいし」

「なんで玲菜さんはあんなことしてるの?」

 姫乃は今自分が冷静でないのを知っているし、口調が攻撃的になっているのもわかっている。

「……………さぁ?」

 そして、結月もまた触れられたくない部分に触れられ心に余裕がなくなっていた。

(っ! なによそれ!)

 そのぶっきらぼうな態度に姫乃はどんどんと怒りをためていく。

「知らないの? 【一緒に住んでる】くせに」

「っ………。どこで知ってたのか知らないけど、玲菜ちゃんはその話しないで欲しいって言ってたんじゃない?」

「………結月は、それで黙っちゃったわけ?」

「……どういう意味?」

「玲菜さんがそう言ったから、あんなことしてても何にも聞かなかったの? あんなことしてるのに何にもしなかったの?」

「………………」

 姫乃の挑発的な物言いに結月の表情が変わる。先ほどまでは申し訳なさを滲ませていたが、今は怒りが表に出始めていた。

「いつも玲菜さんといるくせに、玲菜さんのこと好きだって言ってるくせに」

(玲菜さんにあんなに想われてるくせに)

「その程度だったんだ結月の気持ちって。好きな人を助けようともしないんだ。そんなのが結月の好きなんだ」

 こんなのは友人に向かって言うべき言葉じゃない。

 でも止められない。

(だって! だって!!)

 許せない。

 諦めていた。好きだけど諦めていた。玲菜のことを好きだけど、結月がいるから諦めていた。

 結月だから諦めていた。

 他の誰でもない親友の結月だから。玲菜が好きな結月だから。

(なのに! なのに!! なのに!!!)

 玲菜にリストカットを許している。

(私なら絶対にそんなこと………)

「……やめてよ」

 結月を睨みつけながら心の中で決意をしていた姫乃だが結月の暗い感情を響かせる声にそれを中断させられた。

「まるで、私が玲菜ちゃんに何もしてこなかったみたいに言わないでよ」

 結月のその一言はさらに姫乃を激昂させる。

「何にもしてないじゃない。好きな人が自分の手首を切ってるって知ってたくせに、ずっとそれを止めさせなかったんでしょ。やめさせられなかったんでしょ。……何にもしてないじゃない。見捨ててるんじゃない」

「っ………」

 数瞬結月は姫乃の言葉に狼狽え、その後涙を浮かべた瞳で相手を睨み返し

 パン!!

 反射的に頬を叩いていた。

「っ……何すんのよ!!」

 パン!!

 姫乃も同様に結月の頬を打つ。

「何にも知らないくせに……私のことも玲菜ちゃんのことも何にも知らないくせに!!」

 パン。

「知らないわよ! あの人は何にも話してくれないから。でも、知ってたら見捨てたりなんかしない!!」

 パン。

「私は! 玲菜ちゃんのことを見捨てたりなんかしてない!!」

 パン!!

「おんなじなのよ! 玲菜さんがあんなこと続けてるなら、見捨ててるのよあんたは!!」

 パン!!

「っ…………」

「…………っ」

 お互いに激情をぶつけ合って涙を浮かべ、荒い呼吸を隠しもせずににらみあう。

 滲んだ視界にうつる【親友】の姿。

 姫乃も結月も互いに言い分はあり、それは当人にとっては絶対のもの。

 先に手を出したのは結月だが姫乃もこんなことまでするつもりはなかった。本当は話を聞くつもりだった。玲菜のことを少しでも聞き出すつもりだった。

 だが、玲菜を好きになってからずっと心の閉じ込めていた、ずっと閉じ込めておくつもりだった結月への不満、嫉妬が抑えきれなかった。

「……あんたがこんなやつだとは思わなかった」

 何のためにこの数年我慢をしてきたのかわからない。結月だからと自分の気持ちに嘘をついてきたのかわからない。

 これまでの自分が否定されているような、すべて無駄だったようなそんな脱力感と空虚な気持ち。それが結月への憎しみに変わっていく。

「………………………」

 一度間をおいても激情を抑えられない姫乃対し、結月は一転して押し黙る。

 姫乃には想像もできないが、姫乃の言葉は結月の心の奥深くにある結月が見ないふりをしていた気持ちを刺激していた。

 だから結月はもう何も言い返すことができない。

「私は……私は逃げない」

 それを無視して姫乃は結月を追い込む言葉を続ける。

「絶対に玲菜さんのことを見捨てたりしないから」

「…………………………………は」

 長い沈黙を守っていた結月が笑った。

 姫乃を笑った。

 それからクルリ回って姫乃へと背中を向けて

「……やれるものならやってみなよ」

 そう冷たく言い放ち姫乃の部屋を去っていった。

 その背中はできるものならねと語っているようで

「……やってやるわよ」

 姫乃は力強く言い返した。

 結月が跳ねのけられた壁がどれほど高く厚いのかということも想像できずに。

 

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