それから約束どおり美織は毎日理々子へお弁当を作ってくれた。これまでは朝、理々子より早く起きることはほとんどなく、理々子に起こされて朝ごはんを食べることも多かった美織だがお弁当を作るようになってから毎日理々子よりも早く目を覚まし、今までできたらという約束だった、朝ごはんも毎日作るようになっていた。

 美織はそれを辛いどころかどこか嬉しそうにすらしていたが、毎日作るというのも楽ではなくたまにはお弁当を作るのが間に合わないときもあって、そんな時には最初のときと同じように理々子の図書館を訪れていた。

「理々子さん」

 そんなときにはいつも同じ中庭で待ち合わせをして昼食を取っていた。

「美織」

「はい、おまたせ」

「ありがとう」

 今日も美織は図書館に届けに来ると中庭で待ち合わせた理々子とベンチでお弁当を広げる。

 一緒に暮らしていて、夜や休日はほとんど一緒にいるというのに意外に話すことは尽きないもので二人の間で会話が途切れる事はない。

 人の適応力というのか、相性の問題なのかはわからないがもはや家族といっても良いような関係だった。

「さて、と。そろそろ行かなきゃね。美織に怒られちゃうし」

 昼食を取り終えてからも話し込んでいた二人だったが、休み時間の終わりが近づくと理々子のほうが率先して立ち上がる。

「別に、私は怒んないけど……まぁいいや」

 理々子は保護者としての意識か最初の頃はせっかく来てくれた美織のために時間ぎりぎりまで話しこむことが多かったが、それで注意されたということを美織に言ってしまって以来、美織のほうが気を使うようになるようになっていた。

「美織は今日どうするの? また本でも読んでく?」

「んー、今日はいいや。買い物しておきたいし。まっすぐ帰るね」

「わかった。じゃあ、玄関まで送ってくわ」

 時間はまだ多少の余裕があったためそう提案して理々子は美織と青い絨毯を歩いていく。

「あれ、川里さん」

 丁度入り口のところまで来ると理々子は外から入ってきた、温和そうな女性に名を呼ばれる。

「先輩」

 その一言で美織にもどんな関係かは察することが出来る。

「これからお昼? もう時間ないわよ」

「あ、いえ。お昼はもう、今はこの子を……」

「この子……?」

 先輩と呼ばれた女性はその言葉を受け、美織をまじまじと見つめる。

「そういえば、たまに一緒のところ見るけど……妹さん?」

 普通であればそういう答えが出てきて当然であろう。

「あ、っと……」

 もちろんそうではないがなんと応えればいいか迷ってしまい理々子は口を止める。

「従妹、なんです。今ちょっと預かってて。ほら、美織、挨拶」

「美織って言います。理々子さんにはその、お世話になってます」

「そう。美織ちゃん。よろしくね」

「はい。よろしくお願いします」

 これから二度と会うかもわからない割りにはそんな会話をしてしまう。

「さて、私は行くわね。川里さん、遅れちゃダメよ」

「は、はい。だ、大丈夫です」

 前科があるだけに多少耳にいたいことを残して、先輩と呼ばれた女性を去っていく。理々子と美織はそれを別々の感情を持って見送り、二人もすぐに別れるのだった。

 

 

 美織は理々子のいない時間、することは多くはない。最近になって朝や、昼この日のようにお弁当で時間を使ったりもするがそれでも午後の大半は暇な時間となる。一応、理々子から多少のお小遣いは与えられているものの、それを使って何かをすると思える人間ではなく美織はたまに飲み物や軽いお菓子を買うことくらいだ。

 さすがに部屋にずっといると気が滅入ることもあるため散歩をすることも多く、図書館の帰りである今も美織は理々子のマンションの周りで時間をつぶしていた。

「……はぁ」

 ため息を、つく。

 川のせせらぎを聞きながら美織は土手の中腹に座り込んでいた。

 周りにさえぎるものもなにもない川辺では冷たい風が吹きすさび、美織の体を冷えさせる。

「……何、してるんだろ私」

 そして理々子の前では決してはかない台詞を呟く。

 いいながら何気なく手元にあった小石を川へと向かって投げるが、小さすぎたこともあり川原の別の石にあたりこつんと乾いた音を立てる。

(……何してるんだろ)

 それが一層思いを際立たせたのか今度は声に出さず心で呟く。

 やはり理々子の前ではしない淀んだ瞳ですんだ川を見つめる美織は理々子の前にいるときとはまるで別人で、それは本音の姿でもあった。

「妹さん、か」

 そう思われるのはおかしくはないことだろうし、美織自身もまんざらではない。

(……そうだったらよかったのにな)

 自分が理々子の本当の妹なら……いや、従妹でもいい。理々子のような【お姉さん】が本当にいてくれたなら。

 そしたら家を出ることもなかっただろう。今頃、普通に家にいて、普通に学校行って、こんな悩みじゃなくて普通に友達と笑って、泣いて、楽しく過ごせたはずだ。

(……学校とかどうなってるのかな?)

 今さら通えるものではないが、別に退学届けを出したわけではない。家を出たことすら未練はあるし、ましてや学校では友達ももちろんいた。会いたいと思う気持ちは小さくはない。

 しかし、ある程度衝動的ではあってもこういう状態を覚悟してここにきたはずだ。だから携帯すら置いてきた。居場所を特定されてしまうというのはさることながら、もしメールや電話が来てしまったら心が揺らいでしまうのはわかっているから。

(……つまり、その程度ってことか)

 戻りたくなってしまう。会いたくなってしまう。日常に、辛くはあったけど楽しくもあった日常に。

「……理々子さん」

 ありがたかった。途方に暮れて、でも家には帰りたくなくて、手を差し伸べてくれて。

得体の知れない自分を住まわせてくれて。服や身の回りのものまで買ってくれて、本当の妹のように接してくれて。

(理々子さんが、聞いてきたら、私はどうするんだろう)

 話す? それとも話さない? 話したとしたらどうするの? それでも置いてって言う? いつまで? 

 学校に行ってもいない。働いてもいない。ただ、理々子の身の回りの世話をしているだけ。それも、わずかなことでしかない。

(……いつまでもこんなこと、続けてられない。そんなこと、わかってる)

「わかってる、けど……」

 美織は膝を抱えながら顔を伏せ、悔しそうに呟く。

「理々子さん……私…………理々子さん」

 そして、すがるように理々子の名を呼んだ。

 しかし、それが何を求めているものなのかは自分でもはっきりしないのだった。

 

 

 理々子はこれまで家に帰るということがあまり好きではなかった。仕事に生きているという意味ではないが、疲れて家に帰って身の回りのことをして、ご飯を食べて、適当にテレビや雑誌を見て、明日の天気と予定を確認して寝る。

 繰り返しているだけの日々。

 そこに現れた謎の少女美織。

 美織は理々子の日々を変えてくれた。日々に張り合いと潤いをもたらしてくれた。帰っておかえりといってくれる美織のためにも毎日を頑張ろうと思わせてくれた。

 美織のために生きているなんてことは言わない。しかし、短期間で理々子にとって美織は少なくともいてもらいたいと思える相手になっていた。

「ただいま、美織」

「お帰り、理々子さん」

 何気ないしかし、心を暖かくさせてくれるやりとりをした理々子は美織には気づかれないように笑う。

 そして、いつものように美織の手作りの晩御飯を、笑いの溢れる会話しながら食べて、二人でテレビを見て、順番にお風呂に入って、次の日が休みだったこともありまた二人で話し込んだ。

「それじゃ、おやすみ」

「うん、お休み理々子さん」

 夜もふけて、別々の部屋に戻っていった理々子と美織。

「………」

 理々子は寝るために戻った部屋ですぐにはベッドに入らず、カーテンを開けて星を見つめる。

 冬の澄んだ空気の中窓からでも星は煌々と夜空を照らしている。

 理々子に星を見る趣味があるわけではない。ただ、美織のことを考えるときにはふとこうしてしまっていた。

 最初に思った美織の力になりたいという気持ち。それを失ったつもりはないが今は別の想いが強くなってきていた。

 すなわち、

(……美織を手放したくない)

 それは理々子にとってあまり面白くない感情だった。あくまで理々子が望むのは自分の都合で美織を手元においておきたいという気持ちだ。

 もしかしたら、美織である必要ですらないかもしれないという醜い感情。家事をしてくれて、慕ってくれて、寂しさの代わりに日々の充実をもたらしてくれた存在として美織を見ているだけという浅ましい気持ち。

 それをわかってはいても、今は理々子にとってあまりにも居心地がよすぎて、美織が日々悩んでいるということにも、美織の理由にも目を向けられないのだった。


2/三話

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