「それで、話って何? お姉ちゃん」
美織もまた出かけることは多くはない。ただ、美織の場合はこの二度目の家出からは一ヶ月に一度は実家に顔を見せるという約束はしている。
その一回目は一週間前にしたのだが、今日は約束とは違う件で家族の一人と会っていた。
「あー、うん。ちょっと、ね」
その相手は、妹である茜。
まだその体に馴染んでいないセーラー服を身にまとい、くりくりとした子供っぽい瞳で突然呼び出してきた姉の下へとやってきていた。
もっとも、呼び出しといっても実家の傍で、学校帰りの茜を喫茶店に誘ったので、呼び出しとはいえないかもしれないが。
コーヒーに入れたミルクをかき回しながら、美織は少しばつの悪そうな顔をして窓の外を見ていた。
「あ、もしかして戻ってきたいとか? なら、すぐお母さんに話して」
少し興奮したようにそういう妹を見て、美織は
「……違うの。そうじゃない」
はっきりと否定の言葉を発していた。
家を出るといって一番反対したのは、何を隠そうこの茜だ。昔から、茜はお姉ちゃん子で何でも美織の真似をしたし、着るものだって美織が中学生になるくらいまでおそろいのばっかりを選んでいたほどだ。
そして、程度の差はあれ美織が受けたショックを茜もまた受けているはずだった。
「……そうなんだ」
明らかに意気消沈した茜を見て、やはり相談相手を別にするべきだったかとも思うが、他に適当な相手はいなかった。
「私って、どう、見える?」
意を決して、いきなり自分としては核心を突く質問をしたつもりだったが。
「え?」
それだけを言われても美織の言いたいことをわかるわけもなく
「お姉ちゃんは、いつでも、綺麗、だよ」
的外れなことを返す。
「……ありがと。でも、そういうことじゃなくて……私のしてること」
「してること、って……あのおねーさんのところに住んでるってこと?」
「そう。図々しいって思わない。理々子さんとはまだ会って半年も経ってない。なのにさ、多少家事とかするからってこれからも家に置いてなんて」
「……えと……」
「……理々子さんが迷惑って思ってないのは、わかるつもり。そのくらいは、わかる。でもさ、どうしても理々子さんは私に気を使うよね。理々子さんからすれば預かってるって立場なんだしさ」
「あ、うん……」
茜の返答は鈍い。最初に、戻ってきたいというのを否定されてなければ、じゃあ戻ってくればいいと素直に言えるのだが、先にそれを封じられてはどうすることもできなかった。
「……最近、考えるんだよね。理々子さんって私がいないときはいつもどうだったのかって」
「どう、って?」
「理々子さん。私が来てから一回も休みに出かけたりしてないの。平日だっていつもまっすぐ帰ってくる」
「…………」
「それって、私のせいなのかな。私がいるから理々子さんはそんな風に人と関わらないようにしているのかな」
実際、本当に理々子が誰かと会っていないのかなど美織は知ってはいない。たとえば、職場の人間と円満にいっていて職場で話せていれば十分かもなのかもしれないし。失礼なことながら理々子はあまり友達がいないということも考えられる。
ただ、美織としてはとにかく不安なのだ。真実ではなく、理々子が休日出かけないという事実が美織の心の陰を落としている。
「え、っと……」
茜は本音ではどう答えればいいのかと思いながらも、美織が自分に話してきた理由を察していた。
「あのおねーさんがどうなのかってほんとのことはわかんないけど、でもあのおねーさんは、お姉ちゃんのこと大切にしてくれてるんじゃないの?」
「それは、まぁ……わかってるけど」
「だって、あのおねーさん。お姉ちゃんのことでうちに来たときだって、私にもまでちゃんと挨拶してくれたし、それにお姉ちゃんのこと幸せにするって言ってたよ」
「し、幸せ!?」
まるでプロポーズのようなことに美織は思わず、頬を染めるが、それを確かめることはしないとわかっている妹である茜は姉の欲しい言葉を続けていく。
「それに、私やお母さんたちにちゃんとお姉ちゃんがどんな様子かって知らせてくれるし。お姉ちゃんのこと大好きなんだって、私でもわかっちゃうくらいだよ」
「そ、そう……」
「お休みの日とかに出かけないのとかだって、外で他の人に会うよりもお姉ちゃんと一緒にいたいからなんじゃないかな?」
「そ、そう、かな」
「うん。きっとそうだよ」
こういうやり取りは珍しくなかった。
本当の姉妹のように過ごしてきた二人だ。いや、血のつながりなど関係ない。
少し話せば、姉が何を望んでいるか。それくらいわかってみせる。
今、茜が話したこと嘘かといわれれば違うかもしれないが、誇張したものであることは間違いない。
だが、茜は美織がそういう言葉をかけて欲しかったのだと察知した。不安な自分を安心させてくれる言葉を。
だから、茜はこの場はこれでいいのだと思ったが。
「……でも、それってやっぱり理々子さんに気を使わせてるってことにならない?」
美織はさらに不安気にそういってきた。
(む……)
茜はそれに少し不満を持つ。
「そりゃ、本当に理々子さんが自分でいたいって思ってくれてればうれしいけど、理々子さんの時間を邪魔してるのは、変わんない、よね」
欲しい言葉を渡したはず。望んでいることをいえたはず。
しかし、茜の言葉は美織の不安を取り除くことはできなかった。それ以上に、理々子のことを気にしてしまっている。
わかってはいた。家を出て行くくらいだ。自分よりも理々子のほう存在が大きいのだと。
妹としては面白くない。
ただ、同時に
(……本気なんだ。お姉ちゃん)
姉の心をわかる茜はそれを感じていた。
今までこんなことがあれば、自分の言葉で行動で道を示せていた。それが叶わないほど姉の理々子への気持ちが大きいということを妹として敏感に感じてしまう。
茜は少し目を閉じたあと
「……私。お姉ちゃんがどうしたいか知ってるよ」
確信のないことをあたかも確信しているように言い放った。
「え?」
「お姉ちゃんは、今怖がってるの」
「こわ、がってる……」
「本当は、素直に邪魔じゃないのって聞きたいくせに、勇気が出てないの。ううん、聞きたいんじゃない。言って欲しいんでしょ。大切に思ってるって、あのおねーさんから言ってもらいたいんでしょ? でもそれがすごく図々しいんじゃないかって怖がってるの」
実際、美織に邪魔なんじゃないかと聞かれればそんなことはないと絶対に言うだろう。何で休みの日に外に出ないのかを聞いても、事実はどうであれ美織と一緒にいたいからと答えるかもしれない。
それは、恋人とか家族であれば恥ずかしいというだけでそれほど気にすることではないかもしれない。
だが、美織はあくまで居候で遠まわしに想われているということを言わせることに罪悪感と羞恥を感じてしまっているのだ。
「いいと思うよ。聞いちゃっても。言わせちゃっても。だってそうじゃないとお姉ちゃんきっと【前】に進めないよ」
「まえ……」
それがどういう意味を持っているのか、美織はわかっている。
今のこの気持ちを前に進めるということ。
はっきり、好きだと思うこと。
「どうするかを決めるのはお姉ちゃんだけど。でもね、きっとその方がお姉ちゃんにとってはいいと思うな」
茜の言葉はすんなりと美織の中へと染み渡っていく。
おそらく想い人である理々子ですら不可能な、一緒に過ごした時間がそれを可能にしている。
そして、そんな相手から言われることだからこそ
「……うん」
素直にうなづけるのだった。