背中を押してもらいたかった。
妹に会いに行ったのは結局それが目的だったのだろう。
最初から美織の答えはほとんど決まっていた。理々子に問いただしてみようと。
大切に想ってもらえてるのは知ってても、それを言葉にしてもらいたいときはある。気持ちは目には見えないのだから。
せめて言葉で伝えてもらいたい、そんなことを想ってしまうのだ。
それに、はっきりさせたいということも本音だ。邪魔になっていないか、どうして休みにいつも部屋にいるのか。
はっきりさせたい。はっきり聞きたい。
好きな人のことだから。
「え? 何でいつも休みに家にいるか?」
「う、うん。前いたときも理々子さんって、お休みのときはいつも家にいたしどうしてかなって」
茜に会いに行った日の夕食時。
初めて挑戦してみたビーフシチューを囲みながら、美織は自分でもあっさりだと感心するくらいにすんなりと話を切り出せていた。
「そうね」
理々子はその質問自体に別段反応を見せなかったが、何かを考えるかのように銀のスプーンをテーブルへと置く。
「……私って友達いないから」
そして、急に人が変わったかのような陰りのある表情になった。
「え……」
あまりに予想していなかった答えに美織は思わず固まってしまう。
「って、なによそれ」
が、次の瞬間には理々子は呆れ顔になる。
「へ?」
そんな理々子にまた美織は何がなんだかわからないといった顔をして、この数秒間の間に二人でころころと表情を変えていた。
「冗談よ。冗談。もっとそれっぽく言おうと思ったのに、いきなりそんな反応されたら続けられないじゃない」
「じょ、冗談?」
「そ。友達くらいいるわ。でも、休みの日とかは会ったりしてないわね」
「どうして?」
「さぁ」
「さぁって……」
「自分でもよくはわからないのだけど、あんまり好きじゃないのよ。休みの日に誰かと会うのって。たまには会いたいかなって思うときがないわけじゃないけど、でも昔から一人でいるの好きだったし。いつのまにかこうするのが普通になってたわね」
「一人、で……」
ほとんど、つぶやきに等しかったそれを理々子は敏感にキャッチしては何事もなかったかのように美織の作ってくれたビーフシチューを口にしてから、美織を見つめなおした。
「でも、美織といるのは別よ?」
「え!?」
「美織といるのは好き。なんて言ったらいいのかしらね。私って友達相手でも結構気を使っちゃうタイプなんだけど、なんだか美織にはそうしなくてもいいっていうか、自然にしなくてすむのよ」
「そ、そう、なの。……あ、ありがと」
あまりに自分が理想としていた展開に美織は思わず頬を染め上げていく。
「でも、どうしたの。そんなこと急に聞いてきて」
「あ、え、えっと、理々子さんいつも家にいたりするからもしかしたら、気を使わせちゃってるのかなって」
あっけらかんとしている理々子に対し、美織はさっきまでの台詞が予想外に嬉しくて顔を赤くしたままだ。
「バカね。私は好きで美織と一緒にいるだけ。気なんか全然使ってないわよ」
しかも、理々子はどこまでも美織が望んでいる言葉を発してくれるのがたまらなかった。
「というか、美織こそ好きなとこ出かけていいのよ? 休みの日くらいは家事休んでくれたっていいし」
「う、ううん。私も好きでしてるだけだから。私も理々子さんと一緒にいるの好きだし」
「ふふふ、可愛いこといってくれるのね。まぁ、私も美織のこと好きだけど」
なごやかな雰囲気の中、時たま食事をすることも忘れず二人はまるで初々しい恋人同士のような会話を交わしていたが。
「なんせ、大切な【妹】だからね」
「っ……」
おそらくそれほど意味を込めていったわけではないであろう台詞に美織は胸を貫かれたような気分にさせられた。
これまではうきうき気分で山を登っていたものが、急に足場から崩れるような感じだった。
「…………」
思わず食事の手を止めてしまう美織だったが、逆に理々子は食事に集中して美織の変化には気づいていないようだった。
「そうだわ。せっかくこんな話になったんだし。明日はどこか行かない? そういえば、美織がまたここに来てからは出かけてないし」
「あ、う、うん」
内心はショックを受けていながらも、本能的にそれを悟られたくないと思った美織はどうにかすぐに頷きながら、【現実】を感じていた。
理々子が誘ってくれた【デート】は楽しかった。
二人でお昼を食べに行って、商店街でウィンドウショッピングを楽しんで、欲しいと思っていたCDが丁度理々子と一緒で嬉しかったりもしたし、本屋でもこういうのを読むんだなんて普段家じゃあまり話さないことをいっぱい話したりもした。
それは間違いなく嬉しい時間だった。
美織にとってそれは確かに【デート】だったのだから。
たとえ、理々子が美織のことをただの【妹】にしか思っていないのだとしても。
当たり前といえば当たり前。
理々子は自分にそれ以上の感情なんて抱いていないし、またその理由もない。
年は離れているし、同性であるし、それに理々子の立場からすればそうあるべきにも思う。
理々子は、美織の姉で、母で、保護者なのだ。まして、家族公認で美織を預かっている身だ。
家族になれても、美織の望む、恋人の関係になることは考えられない。
(……ありえない)
と、思ってはいる。
いや、美織は恋人になりたいと思う一方で、そう思い込もうともしていた。
「あ………」
デートから帰ってきて、少し休むと美織はいつも通りの夕方を過ごしていた美織は夕食の下ごしらえを終えたところで、リビングへとやってきた。
そして、そこでソファのすみで眠る理々子の姿を見つけた。
「ん、すぅ……すぅ」
いつも美織を見守る優しい瞳は閉じられ、たまに美織をなでてくれる手を頬に添え気持ちよさそうな寝息を立てている。
「…………」
美織はその無防備な姿に近づいていく。
無防備な姿。
寝ているところというのは人間一番、警戒していない姿だろう。
そんな姿を見せてくれる。
妹だから。
(……ありえない)
恋人になることはあり得ない。そう思い込もうとしていた。
そうでなければ想いが爆発してしまう気がしていたから。だから、無理だと思い込もうとしていた。
しかし、
「大切な、妹」
昨日の理々子の言葉。
妹でしかないことはわかっていたが、昨日の嬉しかった会話に、茜と話したことではっきり好きだと思ってしまって。
近づいていく。
姉ではなく。好きな人の傍らに。
「……………」
こういう機会はいくらでもあった。だが、いつもはまだこれほど好きと自覚していなかったことと、ありえないという戒めのため手を伸ばすことはなかった。
何をしても気づかれないような無防備な姿に、何もしてこなかった。
だが、
「ん、っく……」
生唾を飲み込んだ美織はソファで眠る理々子に寄り添ってその頬に、
手を伸ばした。
「あ………」
初めて意識して触る好きな人のほっぺた。
さらさらでぷにぷにで、磁石が吸い付いたように離れられない。
「……わかってるよ。理々子さん」
座っている理々子と視線を合わせるためかがみこんだ美織は、悲しそうにつぶやく。
「私は理々子さんの【妹】なんだって。……わかってる」
目にかかる髪を払うと、美織はいったん自分の胸に手を置く。
そこはうるさいくらいにドクンドクンと音を立て、緊張しているんだっていうのを嫌が応にもわからせてくる。
そう、緊張して当たり前、ドキドキして当たり前だ。
これからすることを思えば。
「でもね、理々子さん。やっぱり、私……」
頬に手を添え、美織は理々子との距離を縮めていく。
(私は……理々子さんのことが……)
こんなこと、するつもりはなかった。好きなだけというのならきっと我慢できていた。
しかし、自分が理々子にとっては妹でしかないという諦めが逆に美織の衝動を強めていた。
「…………好き」
そして、好きな人にする口づけ。
寝ている相手に、もちろん同意など得てはいない。
寝姿という何も知らない、何もできない状態での一方的なキス。
「…………」
初めてのキスだった美織だが、緊張と罪悪感と焦がれに立っているのすらつらく感じたが、顔が赤くなることもなく、表情は一方的とはいえ好きな人とキスをしたわりには明るくない。いや、むしろ暗いといってもいい。
呆然とした様子で唇に手をふれ、今度は苦しそうな表情になって理々子の唇を見つめた。
「あ……お鍋見に行かなきゃ……」
数分ほどそうしていた美織は、ポツリと自分に言い聞かせるようにいって自分の罪から逃げていった。
その背中を理々子の瞳が見つめていたとも知らずに。