そう、理々子は美織の気持ちに応えるつもりは、ない。

 それは、美織の気持ちに気づいたことから思っていた、いや、決めていたことだ。

 たとえ、美織に真正面から気持ちを伝えられたとしても理々子はそれを断るという選択肢以外を用意していなかった。

 それには、様々な理由があるが。

「……美織は、まだ子供なんですよ」

 この部分がそのほとんどを占めるだろう。

「まぁ、私たちに比べればね」

「そういうことじゃなくて……」

「わかってる。なんとなく言いたいことはわかるから」

 運ばれてきた料理もそこそこに、【美織のこと】に関して話を理々子からの聞いた瑞希は、理々子の悩みが極当たり前かつ、重いものであるということを理解していた。

 それは、美織には不可能な理々子と同じ立場の人間であるからのことなのだろう。

「本当は、断ろうかとも思ったんです。美織がもう一回家出してきたとき。美織を私のところに置くことは、美織を縛ることじゃないかって。家族からも、友達からも離れて、私と一緒にいるなんて。それは、やっぱり美織のためじゃないって思いはしたんですよ」

「でも、できなかった」

 コクンと小さくうなづく理々子は、やはり美織が見たことのない、いや理々子が見せようとしてこなかった弱さをもつ姿だった。

「美織が言ってたのは、たぶん本当なんでしょうね。周りから自分だけ孤立したような感覚っていうのは。でも、私のところに来たって、それは変わらない。ううん、むしろ私のところになんかいたら、美織は……独りになっていきますよ」

「……川里が受け入れないのならそうかもしれないわね」

「っ……できませんよ! そんなこと」

 適度に食事を取る瑞希とは異なり、飲み物以外に口をつけない理々子は瞳に涙を浮かべながら語気を強めた。

「できるわけない……そんなのは、美織の可能性をつぶすことになるんですよ」

「………ふむ」

 可能性をつぶす。

 唐突で、しかも大げさにも聞こえてしまう言葉に瑞希は神妙にうなづいた。それは、当事者ではない瑞希としても理々子の気持ちをある程度理解できるからなのだろう。

「……かも、しれないわね」

 実感のこもる相槌を打って、瑞希もまた飲み物に口をつけた。

「私が受け入れたりなんかしたら、美織は……ずっと私のところから離れられなくなる。大学だって、あそこから通えるところを選ぶだろうし、仕事だってそうするかもしれない」

 理々子の心配は、好きな人の、というよりは親のそれに近いものかもしれないが、本当の親ではないというところが理々子の悩みを余計に重くしていた。

 よく人生に遅いことはないとか、やり直しがきくなど都合のいい言葉をきいたりもするが、そんなものは成功したからこそいえる都合のいい言葉だ。大半の人間はそんなものに自分を、自分が大切に思う相手を預けることなんてできない。

 ほとんどの人間は、年を追うごとに可能性も、選べる選択肢も少なくなっていき、また選択肢があったところでそれを選ぶ勇気も月日を追うごとに大きくなってしまうものだ。

 それが普通の人間であり、理々子も、瑞希も自分を特別などとは考えられずに生きている。生きてきた。

 小さいころには無限に広がっていた未来の一部分しか見えなくなってしまい、あるいは見えていても手の届かないところにある。

 そんな自分をどう思っているかはともかくも、理々子には実感がある。

 人は可能性を選び、捨てて、日々を生きているのだと。

「そんなのは、美織のためじゃない。本当なら美織は、自分で何でも決められるんです。でも、私が美織を受け入れてしまったら、美織は私のためになる。私しか見えなくなる。きっと大学でも、人付き合いそんなにしなくなるだろうし、私を優先してこれからを生きていく」

 今、美織の生活が理々子にあわせて動いてるように。

「……私はそんなこと、美織にさせられない」

 理々子は美織の姉であり、保護者であり、友達であり、好きな人だ。

 理々子には美織への責任がある。少なくても理々子はそのことを何よりも重要視し、それが美織を受け入れられない大きな原因の一つになっていた。

「……でも、川里といたいって思うのが美織ちゃんの選んだことなんじゃないの。川里の言い方をすれば、そこからだって可能性は広がるんじゃないの」

 それは正論ではある。誰からを好きになるのは、自分で選ぶことであるし、その気持ちが自分の新たな可能性を開くことも十二分にありえることなのだろう。

 一人でどれだけ考えてもわからないことが、誰かと一緒にいるだけで一瞬で悟りえてしまえることがあるように。

「……違い、ますよ」

 理々子もそのことを知ってはいるものの、それでもあえてそれを否定した。

 いや、正確には恋を否定したわけではなく、否定したのは

「美織は、私じゃなくても、いいんです」

 美織の気持ちだ。

「私はずるをして美織の心を奪ったんです。私じゃなくてもよかった。たまたま美織を助けたのが私だっただけ。そんなのはフェアじゃありませんよ」

 これもまた理々子が美織に応えられない要因の一つだった。

 自分のつらいときに側にいてもらえ、それもそのつらさを解決してくれたのなら心を惹かれて当たり前だ。それが悪いことではないのだろうが、ここでもやはり年の差と、責任を考えてしまう。

 が、それは理々子の視点でしかない。

「それでも、結果的に美織ちゃんのことを助けたのは川里なんでしょ。フェアじゃないとしても別に卑怯なわけじゃないと思うけど?」

「それは、そうでしょうけど。でも……」

 ついには何も手をつけなくなった理々子を見て、瑞希は理々子にとって何が大きいのかを理解していた。

 理々子は理々子で美織のことが好きなのだろう。たぶん、理々子が別の出会い方をしていれば美織の気持ちを受け入れるほどに。

 だが、それ故、美織が好き故に理々子は美織を受け入れることが出来ずにいる。

 結局は、責任を考えているのだろう。

 瑞希も理々子の言っていたことの大半は理解し、実感している。普通の恋愛とは異なり、保護者という立場が理々子に美織の将来への責任を背負わせてしまっている。

 仕事はもちろんのこと、大学を選ぶことは将来を選ぶことに通じている。それで人生が決まるわけではないが、その選択で開かれる未来もあれば、閉ざされる未来も確かに存在するのだ。

 それを一時かもしれない恋愛感情などで決めさせてしまっていいのかと、いや、少なくとも理々子はそれを良しとしていないのだろう。

「まぁ、川里がしたいことにケチつけるつもりはないわ。でも、じゃあ、どうするわけ?」

 それの答えが出ていないから、自分の前にいるということを承知の上で瑞希はあえてそれを切り出す。

「受け入れるつもりないくせに、手元においていつかそれを言うの?」

「…………」

「言わないの?」

「……いえませんよ。だって、そんなことしたら美織は頑張れなくなっちゃう。私がいるから、私に認められたいから、美織は頑張ってるんです」

 最初は違ったのだろう。だが、今はそれが真実で、もしかしたらあの家から通える場所で大学を目指そうとしているのかもしれない。

「なのに、気持ちに応えるつもりがないなんて言ったら、美織は……もう何も出来なくなっちゃう」

「……はぁ」

 悲痛そうに訴える理々子に瑞希は、大きなため息をついた。

「私が言わないでもわかってるだろうけど、矛盾してるって自分でもわかってるよね」

「っ……」

「美織ちゃんの将来に責任を持ちたいから、応えない。でも、それはこのままだって同じなんでしょ。今のままいたって、美織ちゃんはあんたのためにって生きてる。それは、あんたが縛ってるのと同じことでしょ。しかも、余計に悪い形で。でも、それを美織ちゃんのためにそれをやめられない? あんたこそ自分のことしか考えてないじゃないの」

「そんなこと、わかって」

「ないわよ。川里のはわかってるつもりなだけ。たとえ、本当にわかってたとしてもそれを実行しなきゃわかってないのと同じなのよ、結局あんたは自分の都合で美織ちゃんの未来をつぶそうとしてるんじゃないの」

「わかってます! そんなこと」

 思わず理々子は声を荒げたが、それこそ瑞希の言葉を認めるようなものだった。

 涙をこらえるような顔で理々子は悔しさのようなものに唇を噛んでいた。

「………別に、今日帰ってからすぐ言えとは言わないわよ。でも、応えるつもりがないならいつかは言わなきゃいけないことなのよ?」

「……そんなこと、わかって、ます」

 三度そう口にする理々子に瑞希は理々子の苦しみが伝播してようにうつむき加減になって、もう一つの道を照らすことをためらった。

 すなわち、そういう義務感や責任を別にして美織を受け入れるつもりはないのかと、その上で美織と一緒に将来を見ていくことも選択肢の一つではないのかということを。

 しかし、今それを口にして理々子を迷いの森の深くに導くだけのような気がして、結局は理々子に対し理々子が望む以上の何かを与えることはできないのだった。

 

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