「……っ、は、あ……」

 理々子は図書館の中庭でひとりため息をついていた。

 ベンチに座っていて、膝元には美織のお弁当。

 以前は、単純に嬉しいだけだった時間が今はただの苦痛になっている。お弁当がまずくなったとか、嫌いなおかずが入っていたとかそういうことではなく理々子の心の問題だ。

 美織のことそれがもう頭から離れない。

 これからの美織の、ことが。

 なんとか、しなければ。何かをしなければと思うのに、何もできず時間だけを過ごす日々。

 それは美織と出会う前、何もないと思い続けて日々に似ていた。

 心に焦燥感だけがあって、それをどうにかしたいと思うのに何をすればいいのかわからず、心が何かに追い立てられる言いし得ない不安が駆け巡る日々。

「……わさと」

(……だって、何をしたって、美織は傷つく、じゃない……)

「川里」

 どんな断り方をしても、断るという時点で美織を傷つけるのは確定事項となる。だからといって、今を続けても美織がじわじわと傷ついていくだけ。それに……今を続けてもいつかは、美織を傷つけなくてはいけなくなる。

(なんで……こんなことに……)

「川里理々子!!」

「っ!!?」

 いきなりの大きな声に体をびくつかせた理々子はその反動で、お弁当を落としそうになったものの、その声が誰だったかに気づきやっと顔を上げた。

「瑞樹、さん……」

「っ…そんなに驚いてるんじゃないわよ」

 瑞樹は若干いらいらしながら自分のお弁当を持って理々子の隣へと座ってきた。

「どうなの? 最近」

「何が、ですか」

「わざわざそれを言わなくてもわかるでしょ」

「…………」

 話しながらも理々子と違い、食事を進めていく瑞樹を理々子は一瞬視線を渡すがすぐにまたうつむいてしまう。

 わかる。

 わざわざ言われずとも、何を言われたのかくらいわかりはする。

(……美織の、こと……聞きにきたのよね……)

 実は最近理々子は瑞樹とほとんど話をしていない。美織のことに限らず、だ。

 お昼も少し前まではほとんど毎日一緒に食べていたのに今は、まったくと言っていいほど一緒にすることはなく、まして、美織のことなど一切離せなくなっていた。

 あの相談をした日から。

「……別に、何も、ありません」

 理々子は感情を抑えながら答える。

(……何もない、ないですよ)

 仮に何かがあったとしても今の理々子はそれを瑞樹に伝えるつもりはなかった。

 この前美織を抱きしめてしまったのを瑞樹にせいにするのはまったくのお門違いではあるがその時に感じてしまったのだ。思って、しまったのだ。

 やっぱり、この人もだめだと。

 自分の望む以上の何かをくれない人なのだと。そんな風に決めつけてしまったから、期待するのをやめてしまったから。

 だから距離を取った。

 何かをくれないのに、話していても無駄だから。

 それもまた理々子が嫌いな自分ではあるが、今更変えられないのだ。

「そう」

 瑞樹としては、自分が避けられているという自覚がないわけでもないのかもしれないが、それを気にした様子はなくうなづく。

「ところで、川里。美織ちゃんっていつも、いるの?」

「? どういう意味、でしょうか」

「確か、川里のところに居候してるだけなんでしょ。実家に帰ったりはしないの?」

「? え、一か月に一回は、帰ります、けど……?」

 美織のことに関して何かを話そうとは思っていなかったが、瑞樹が聞いてくるにしてはあまりに予想外だったことを言われ、思わず本当のことを返す。

「それって、いつ?」

「え? ちょうど、来週、ですけど……?」

「ふーん。そうなの」

(な、なんなのかしら?)

 美織のことに関し、聞くということはわからないでもないがいない日を聞くというのは理由がわからない上、この日瑞樹が美織に関して聞いてきたのはこれだけでありそれがまた理々子に瑞樹の意図をわからなくさせるのだった。 

 

 

 瑞樹がなぜ美織のことを気にしたのか、その日こそ家に帰るまでは頭の隅にあったものの、その日の終わりにはすでに瑞樹のことは頭から吹き飛ぶことになった。

 それよりも、優先して考えてしまうことができたからだ。

 

 

 なんでも過ぎたあとには思い返してみればという言い訳はできるのかもしれない。結果があったから、そう思えるだけなのかもしれない。

 だが、思い返してみれば予兆があったように思える。

 思えば、最近思いつめたような顔をしていた気がする。

 最近、【夜這い】もなくなった気がする。

 自分を見つめる美織の視線に今までとは違う何かが混じった気がする。

 でも、それを意識はしていなかった。

 すでにことがあってから思い返すから、そう思うだけで本当は気づいてすらいなかったかもしれない。それに気づいていたらどうにかなったわけではないだろう。

 それは、瑞樹に美織がいついなくなるかと聞かれた日の夕食のときだった。

 いつも通りに美織のお手製の料理を食べながら、会話よりもテレビの音のほうがよく聞こえる夕食も終わろうとしていたとき。

 食後のお茶を飲んでいた美織が真剣な表情で理々子を見つめてきた。

「……時間、いいかな」

 と、いつのまにかほとんど目を合わせることのなくなっていた瞳でしっかりと理々子をとらえ、

「なに、かしら……?」

「話したいことが、あるの」

芯の通った声を発した。

「っ!」

 この時、感じたものはもしかしたら理々子の勝手な思い込みだったのかもしれない。美織が言いたいことは理々子が感じたこととはまったく別の何かだったのかもしれない。

 ただ、それでも本能的に何を言おうとしているのかを察してしまった理々子は

「ごめんなさい。ちょっと今日はやることがあるんだけど、急ぎかしら?」

 何も気づかないふりをしてとぼけて見せた。

「あ、ううん……そんなことは、ないけど」

「そう。じゃあ、また後でいい?」

「…………あ、うん」

 真剣だろう。悩んで切り出してきたのだろう。

 だからこそ、逃げられる理由にも簡単に飛びついてしまえるのだ。

 その反応に理々子は自分の予測を確信に変えるとともに、確信するくせに席を立って美織に背を向けてしまう自分を苦々しく思いながら部屋を出て行った。

 その後も、美織は理々子に何かを切り出そうとしてきた。

 しかし、理々子はそれをすべてとぼけ、はぐらかし、美織にきっかけを与えようとしなかった。

 だが、美織とて子供ではないのだ。理々子が自分の話を避けようとしていることにも気づいているのだろう。

 断られたときに、ただ話を断られたのが悲しいというだけの表情をしない。もっと別の……諦め、のようなものの顔をしていた。

 さらに……

「じゃあ、行ってくるね」

 美織の帰宅の日。

 これまで通り玄関先で理々子は、それでも表面上明るく振る舞う美織の見送りをしていた。

「えぇ。ご両親と茜ちゃんによろしく」

「うん」

 こんな会話をしてればもう出て行ってもいいだろうし、美織が乗る予定の電車の時間もある。だから、すんなりと出ていくのが普通なはず。

「…………ねぇ、理々子さん」

 だが、この時の美織は一旦は理々子に背を向けていたものの、その場でくるっと半回転してもう一度理々子に向き直った。

「なに、かしら……」

「あのね、帰ってきたら……」

(っ!)

 また、美織の意図を察する。いや、おそらく今は隠そうとしていない。

「あ、そろそろ出ないと電車に間に合わないわよ」

 それがわかっても理々子は、とぼけて見せようとした。

「っ……理々子さん!」

そんな理々子に美織は今までのさけられてきたという不満をそのまま声にしたかのように理々子を呼んだ。

「っ……」

 理々子はそれにひるんで何も言えず、

「帰ってきたら……話、ちゃんと聞いてね」

 若干潤んだ瞳でそう訴えかける美織に

「…………えぇ」

 とうなづいてしまっていた。

 

 

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