美織が【家出】をしてきた日以降は意外にも話は簡単に進んでいった。家出といったが、その日から美織が居候することもなく、後日には理々子も美織の両親に挨拶にいった。
美織の両親は美織が本気で家を出るということを理解していていたらしく、理々子のほうに頭を下げて娘をよろしくお願いしますと、深々と頭を下げられてしまった。
唯一、美織の妹である茜だけは美織と離れたくないといった様子を見せていたが、それも美織が事前に話してはいたのか表立って口にしてくることはなかった。
そして、丁度美織が本来なら二年生になる予定だった四月、美織は理々子の家へと引っ越してきた。
それからはまだ一週間しか経っていないが、すでに数ヶ月ここで過ごしていたこともあり以前のいつもの生活に戻りつつあった。
「? どうしたの? 理々子さん?」
仕事から帰ってきて、いつものリビングで【妹】の作ってくれた夕食を食べていた理々子は、急にその妹、美織に迫られて意識を戻す。
「あ、ううん。なんでもないわ」
「……もしかして、おいしくない?」
「そんなことないわよ。とってもおいしい」
前からだが、美織は料理の出来をよく気にしていた。家事をするという条件を最初に持ち出したこともあり、その結果が出やすい料理に関しては他のこと以上の関心がでるのかもしれない。
「そう? じゃあ、どうしてぼーっとしてたりなんかしたの?」
「ちょっと、美織が来たときのこと思い出してたのよ。今日で丁度一週間だし」
「あ、もうそんなになるんだね。そっか……ふふ」
「?」
家のことでも思い出したのか一瞬なつかしそうな顔になった美織だったが、急に不自然な笑いをこぼした。
「どうかした?」
「あ、ううん。たいしたことじゃないの。ただ、あの時の理々子さん面白かったな」
「あの時って、美織のご両親に挨拶に行ったとき?」
「うん。だって、理々子さんいきなりプロポーズみたいなことをいうんだもん。びっくりしちゃったよ」
「別にそんなことは言ってないでしょう」
「だって、娘さんを私にくださいっていったじゃない」
「くださいじゃなくていただけますかって言ったの。全然違うわよ」
「あんまり代わらないと思うけど……」
確かに思い返せば、最初それを言ったときには美織の両親は一瞬何がおきたのかわからないといった顔をされてしまったが、それがプロポーズでないことくらいわかりきってくれてもいいと理々子自身は思っていた。
「それよりも、ちゃんと勉強やってる? こういうのは最初が肝心なんだからね。言っとくけど、もう大学受験の勉強なんて教えてあげられないからね」
「や、やってるよぉ。今日だってちゃんと問題集一つ終わらせたんだから」
そういうと美織は食事中だというのに、その問題集を取ってきてはいと理々子に渡してきた。
それは、まだ見た目こそ綺麗なものだったがページは少しよれてつかっているというのは見て取れるものだった。少なくても、真面目にはやっているらしい。
「うん。よし」
かってにそう判断した理々子はそれを美織に返した。
「頑張ってるみたいね。約束どおり、ちゃんと頑張ればご褒美もあるから、この調子で頑張るように」
「うん。楽しみにしてるね」
二人の生活が再開して一週間。
今のところ、二人生活は以前のものと変わりないように思えた。
美織の一日は家事で始まる。
朝ご飯を作ることもあり六時過ぎにはベッドを抜け出し、理々子へのお弁当と朝食を作る。
一緒に朝ごはんを食べた後は理々子を送り出し、掃除と洗濯を行う。
掃除は毎日しないくてもいいといわれているので、今日は勉強を行っていた。
いつも食事をするテーブルの上に教科書と問題集、辞書などを広げ美織は真面目にそれと向き合っていく。
「……うーん」
理々子が昔使っていたという伊達メガネをかけながら、シャープペンシルで頭をかいてうなり声を上げる。
最初、学校を行かないのであれば勉強する時間なんていくらでもあるから意外に楽に進んでいくんじゃないかと思っていたが、これがなかなかそうは行かない。
そもそも学校では基本勉強をしていたのだし、勉強時間は家事をやっている分むしろ減っているといってもいいのかもしれない。
それに授業を受けているのとは違って自主学習というのは数時間で、その結果にかかわらず頑張ったという達成感が湧き上がってしまう。それが意外にやっかいなもので、成果を見えづらくしていた。
「はぁ」
しかも、こういうときにため息が出やすいのも仕方のないことだろう。
この状況を端的に説明するなら、楽しい状況ではないということだ。
「…………でも、頑張らなきゃ」
しかし、何も知らなかったときの自分、または多くの同年代が何のために勉強するのかわからないといった疑問を抱くのに対し、今の美織には動機がある。
それは理々子にも語った、理々子のように一人だちできるような女性になりたいということはもちろん、他にも理由があった。
一つは、理々子が言ったご褒美だ。これは理々子がまた同居が決まったその日に提案してきたもので、理々子が頑張ってると判断したときや、まだ先になるだろうが模試や、大検など、目に見える結果を残したときにも理々子が【ご褒美】をくれるとのことだった。
それが何かは教えてはくれなかったが、何をもらえるに限らず目標としている理々子に認めてもらうということは美織にとって大きな原動力になっていた。
それに、ある意味一番大きいといえるのが、ここにいられる理由になるからだ。
この前と違って、逃げてここにいるわけではないし、理々子専用のメイドとしてここにいるわけでもない。これからを見据えるために、将来のためにここにいるというのが少なくても両親や理々子に対する理由なのだ。
勉強をおろそかにしてしまってはここにいる理由を認めてもらえなくなってしまう。
たとえ、美織に別の理由があったとしても。
「あ……もうこんな時間かぁ」
時折、別の思考に飛びながらも順調に問題集を進めていた美織はふと壁にかかった時計を見てそんなことをこぼす。
もう、昼の十二半を超え、そろそろ一時といってもいいような時間だ。
(お昼、どうしようかな)
朝食の残りがあることもあるが、今日は朝を昨夜の残りで済ませてしまったので特に食べるものがなかった。
「あんまり、食材も残ってなかったし買い物ついでに外でもいこっと」
勉強は決して楽ではないが、以前にここにいたときとは比べ物にならないほどに充実した生活を送っているななどと思いながら、昼食と夕飯のメニューを一緒に考えて美織は外へと出て行くのだった。