休日の朝、理々子はめったに早起きをすることはない。
お昼近くまで寝て、起きた後は着替えもせず、寝癖も直さず、特に見たいものがあるわけではないのに音が欲しくテレビをつけて、朝食とも昼食とも取れる食事を取るのが常だった。
その後は掃除をしたり洗濯をしたりと様々だが、この日は違っていた。
その日、理々子はまだ名前しか知らない美織を泊めていたにも関わらず起きたのは十一時を過ぎていた。
「んあ……?」
ダイニングキッチンのソファで目を覚ました理々子は、のっそりと体を起こして周りを見渡した。
「…………………あー、そっか」
しばらくぼーっとした後自分が何故ここで寝ていたかに気づくと、気だるそうにソファから出た、ところで異変というか普段ならありえない光景を目にした。
「あ、おはようございます」
妹といっても差し支えないような愛らしい少女が昨日見たのと同じ格好で、キッチン前のテーブルに座っていた。
「あ、―と……」
テーブルにはご飯と、簡単なサラダと、味噌汁とから揚げ。それにも視線は言ったが、
「美織……」
ちゃんというべきかさんというべきか迷った挙句、
「ごめんなさい、着替え用意してなかったな」
口から出てきたのはあまりこの場に似つかわしくない言葉だった。
「え……?」
そんなことを言われるなんて予想してなかったのか、美織は言葉に詰まる。
「あ、いや、別にそんな気にしなくても……」
「そう? とにかくごめんね」
「あ、はい……」
理々子は会話はしながらも毎朝しているようにコップいっぱいの水を飲んで、ようやく今度こそテーブルにちゃんと目を向ける。
テーブルの上に乗っているものはさっき見たとおりだが、それが二組ある。
「それ、作ってくれたの?」
「あ、うん。勝手に冷蔵庫とか開けちゃいましたけど……」
「そんなのは気にしなくていいけど……」
昨夜の残りを朝食にすることは多いが、昨日は家では何も用意せず寝てしまった。となれば、ご飯や、から揚げなどは冷凍しているものをそのまま使ったと思える、それに味噌汁の茶碗インスタントがあったが、その茶碗からは湯気はまったくあがっていない。
(……私が起きるの待っててくれたのかしら?)
「いえ、ありがとう。いただくわ」
「あ、今暖めますね」
二人でご飯やおかずを温めなおして、テーブルにつく。
「いただきます」
そうして食べ始めた二人は最初無言だったが。
「…………あの」
二人とも大体半分ほど食べ終えたところで美織が重苦しそうに口を開いた。
理々子は待っていたというわけではないが、箸をおいて美織を見返した。
「どうして、私があんなところにいたか、わかってるんですよね?」
「なんとなくはね。なんで私の部屋の前にいたかは知らないけど」
「それは……」
「待った」
「っ?」
決意を込めた目をしていることは察したものの、理々子はそれでもあえて美織を制した。
「一応、言っておく。泊めてもらったことを恩に感じる必要はないわ。私がそうしたかったからそうしただけ。そうじゃなくて、話したいって思ってくれたのなら話して」
「…………考え、ました。いろいろ」
「そう。なら、聞かせて」
「……はい」
頷いてから美織はしばらく俯いたまま黙ってしまった。だが、その沈黙はおそらく必要なものなんだろうと理々子は先を促さない。
「……私、家出、してきたんです」
「…………」
搾り出すように吐き出された美織の言葉に理々子は無言で頷いた。
予想していた通りといってしまえばその通りだが、美織が覚悟を持って言ってくれたことやはりそうかなどとはいえない。
「……………」
「……この部屋の前にいたのは、偶然、です。ふらふらと歩いていたら……雨が降ってきちゃって、傘盛ってなかったし、近くにお店もなかったから……このマンションに入って一目を避けてたらいつの間にかここにいました」
なるほど、たしかに最上階の隅であることもあって理々子が来れば逃げ場もないが他の住人からは目立たぬところだ。
「……もう、外にいけるくらいにはなってました、けど……どうすればいいか、わからなくて」
やはり衝動的なものなんだろうかと理々子は考えた。何かきっかけがあったのかまではわからないが、少なくとも準備をしていたわけではなさそうだ。
「今は、どうしたいの?」
「…………」
「……帰りたい?」
「……………いいえ」
顔は俯いたままだったがそのいいえにははっきりとした意志がこもっている。衝動的だったにしろ、一夜で帰りたいと思うほど半端な気持ちではないらしい。
「じゃあ、どうしたい?」
「……………」
あてがあるとは思えない。そもそも、普通家出をするのなら誰かを頼るはずだ。昨日はこの部屋に知っている人がいただの言っていたがあれは聴いた瞬間に嘘だとわかっている。この部屋は理々子が大学に入ってからもう何年もすんでいる部屋で、理々子が入ったのは新築のときだ。自分以外にこの部屋の住人はいない。
友達にすら頼らないというのは、よほど親に捜されたくない事情を持っているのだろう。もしかしたら、結構遠いところからきているのかもしれない。
「…………」
美織は黙ったままだった。本当に途方に暮れているのかもしれない。当てもなく、頼る相手もいなく、着替えすらない。
しかし、帰りたくはない
「……よかったら、少しの間ここにいる?」
その言葉は唐突に出たものではなかった。小さくなっている美織に差し伸べた言葉、昨夜寝る前に考えていたことだ。
家出を告白した美織は自分の中で大きな決断を要するものだっただろうが、理々子も簡単に出た言葉ではない。
どんな気持ちで家出をしてきたのかは知らない。しかし、その気持ちはわかる。理々子自身家出をした事はないがそれを考えたことはある。
もっとも考えたことのない人間のほうが少ないかもしれないが。
理々子は本気で考えていた種類の人間だ。しかし、実行に移す事はできなかった。それをしている少女が目の前にいる。
「え?」
「少しくらいならかまわないわよ」
自分が出来なかったことをしている少女を応援したい。もはやそんなことは自分にはできないのだから。
それに
(……寂しさは知ってるつもりだもの)
一人の寂しさは知っているつもりだ。実際に家出を実行した美織とは比較できないかもしれないが、その辛さは知っている。
「いいんです、か?」
「ダメなら誘わない。いつまでもっていうわけには行かないけど、気持ちの整理がつくまで面倒見てあげることくらいは出来るよ」
「…………」
「……まぁ、とりあえず好きなだけいてもいいっていう意味よ」
最初の言葉は美織にとって面白くないであろうことを察し理々子は言い回しを変化させる。
「だけど、ただで住まわせるつもりはないからね」
「え……? あの、私……」
「お金持ってないのは想像できる。体で払ってくれればいいから」
「か、体……」
テーブル越しにでも、美織がいっきに不安を増大させたことはわかった。
(……うわ、まずい言い方したな〜)
「よ、要は洗濯とか掃除とか家事手伝ってもらうってこと」
「あ、そ、そう、ですか」
「簡単にいうと私専用のメイドさんってことね」
「メイド、ですか……」
またも若干怪訝そうにする美織を見て、再度しまったと反省する。
まだ初対面に等しいのだ。まして美織の立場からすれば、冗談も冗談に聞こえなくなってしまうこともある。
「ま、まぁ、どうする?」
「……お世話に、なります」
「了解」
主従契約を結んだ二人はその後、美織に関しての事情に関係ないところの話を聞きながら朝食を取り終えた。
まず、美織に関しわかったことがいくつかある。高校一年ということらしいが、今は当然というべきか通ってはいない。素性を知られたくないのか学校の名前も教えてはもらえなかった。
まだ深くは聞く段階ではないのであとは、頼もうとしていた家事に関してや、趣味に関してだった。
料理などはできないかとも考えていたが、この朝食を見ればわかるように簡単なものは作れるということで思ったよりも任せて大丈夫みたいだ。
「あ、そうそう」
一緒に食器洗いなどをしながら家に関しての説明をしているところで理々子はずっと気になっていたことを口にした。
「はい、何でしょう?」
「それ、やめてね」
「……? 何を、ですか?」
「敬語。一緒に住むんだし、堅苦しくしてもしょうがないでしょ」
「えっと……」
美織が言いたいことはわからないわけではない。しかし、やはり敬語を使われるというのはそれはそれで理々子にとっては疲れることでもあった。
「いいから。じゃないとお嬢様とか呼ばせちゃうよ?」
「……は、はい。あ、っと……うん」
「うん。それでよし。それでさ」
「は、…うん」
「今日は買い物いかない? 服とか色々あるでしょ。なんでもってわけにはいかないけど、まぁ、とりあえず着替えとか歯ブラシとかね」
「……メイド服とかじゃない、よね?」
「欲しい?」
自業自得かもしれない妙なイメージをもたれてしまっているようなのは気になったが、あえて否定はしない。
そんな格好をしてくれるのであればそれはそれでうれし……面白いものだ。
「理々子さんが望むのであれば」
「え? ほんとに?」
「ふぅ、冗談。もぅ、理々子さんってば」
「なぁんだ、残念。ま、いいや。そういうわけちょっと休憩したら行きましょうか」
「うん」
可愛らしく頷いてくれる美織を見て、理々子はこれからの生活に期待を感じるのだった。
そして二人の生活が始まる。
今に不安と寂しさを持ちながらそこにとどまるしかない理々子と、今から逃げてきた美織。
二人の生活が。