沙羅と別れた望は部屋に戻ると、沙羅との一件のことを考えていた。

(……沙羅も、あんなこと思うんだ……)

 望は初めてみた沙羅の弱さを思い出し、その姿を思い浮かべる。

 それは当たり前といえば当たり前ではあった。

 いくら望の目からは強く見えても沙羅は望と同じ年数しか生きていない。また、望自身そうであるように、そういった弱味は簡単に他人へと見せたりはしないものだ。

「…………独りじゃないよ、沙羅」

 想像でしか沙羅の気持ちをわかることはできないが、沙羅がそう言っていたことが望にはショックだった。いや、ショックというよりも悲しかった。

(友達、だもん)

 珍しく強気になっている自分を少し意外に思いながら望は部屋の窓から校舎の方角を見つめた。

「一人じゃないからね」

 そして、また自分らしからぬ言葉を紡ぎ沙羅を思うのだった。

 

 

「……………」

 沙羅もまた望と別れた後、制服を着替えもしないままベッドに寝そべり望のことを思っていた。

(……こんなの、はじめて)

 初めて、だった。あんな風に本音を他人に話してしまったのは。今まで、辛いとは思っても、一人涙を流すことがあっても人の前じゃなんともないふりをしていたのに。

「でも………」

 少しだけ楽になってしまっている自分がいることが沙羅にとって不快でもあった。見られたくないところ見られ、言いたくないことを言ってしまったというのに、心のどこかでは確実に軽くなった部分がある。

 自分にとってあの苦しみはその程度のものだったのかと嫌な気分にもなるが、それと同時にもしかしたら誰かに言いたかったんじゃと思う気持ちも心の隅にはあった。

「……一人じゃない、ね」

 そんな中、らしくなく姿を見せていた望から言われたあるフレーズに沙羅は瞳を閉じて、まるで小ばかにするような言い草になった。

 友達とは認めている。

 それもいつのまにか仲のいいほうの友達だ。

 今日のことも本気で感謝している。

 誰かにはっきりと肯定してもらったのは初めてだ。望の前でこそ、素直になれなかったが本気で嬉しかった。ありがたかった。

 しかし

「……望に何ができるっていうのよ……」

 話を聞いてもらったところで一時的に楽になるだけ。何の解決にもならない。

 まして、望に何かができるとは到底思えなかった。今日こそ、沙羅と対照的な態度を見せたが、本来望は気弱で、あまり自分から人に話しかけたりすらしない。

 そんな望にどう頼れというのか。何を頼れというのか。望からすれば今日のことすら言い方は悪いが出来すぎだ。

「……かっこわる」

 そして、そんなことを思ってしまう自分に自己嫌悪。

 せっかく望が慰めてくれたというのに、その相手に憎まれ口を叩いてしまう自分がいる。そんな自分が望に見られたとは別の意味で嫌で沙羅はこの時点では望をその程度にしか考えられていなかった。

 

 

 お互いにらしくない姿を見せた放課後から丸一日が経とうとしていた。

 その放課後に望は自由になると、まっすぐに自分の教室へと向かっていく。

 放課後になりざわつく校舎の中、向かい始めるときこそ早足になっていたが教室が近づくにつれ、徐々に足取りが重くなっていく。

(……どきどき、してる)

 胸がざわついているのを感じる。実は今日幾度目かのことであるのだが、何回であろうとなれる事はなく、試験の結果を待つときのような気分で望はいつしかゆっくりといっていいペースになってしまっていた。

(……沙羅、大丈夫、だよね)

 教室が見えるところまでくると望は一度目をつぶって沙羅を思う。

「あ………」

 一端止めた足をまた進ませ、教室が覗けるところまでくると望は声をあげる。

 それは光景としては昨日も見た光景。

 沙羅が一人で教室にいる光景。

「沙羅」

 ただし、昨日とは違って机は整然と並べられ、隅々まで掃除がいきわたっている。

「望」

 望を呼ぶ沙羅の声は小さい。

 しかし、昨日やそれ以前に望が感じたような負の感情は感じられない声だった。代わりに、昨日とは別の意味で居心地悪そうにもじもじと、やはり沙羅らしからぬ様子で自分へと向かってくる望を待っていた。

「……望」

 望が目の前に来ると沙羅はもう一度、はにかみながら望を呼んだ。

「昨日、その……かっこ悪いところ見られちゃったわね」

 まず、まっすぐではない言葉から入っていく。

「だから、かっこ悪くなんかないよ」

「…………うん。ううん、望が思ってるのとは別の意味」

「??」

「…………………………………………望……その」

 必要以上に照れた様子の沙羅は、視線と右へ左へと写しながら中々望をまともに見ようとはしない。

「……ありがと。昨日のことだけじゃなくて、今日の」

「……うん」

 沙羅のその一言で望はここに来てから感じていた嬉しい予感を確信し、笑顔で頷いた。

「……みんなちゃんとしてくれた。望が話してくれたんだって、ね」

「……うん」

 今日、望は教室の掃除当番のクラスメイト一人ひとりを説得していた。

 それ自体、望の思ったよりも簡単というかあっけないことだったのだが、そこで望は少し意外なことを聞いていた。

「そのね、みんな沙羅のことが嫌いなわけじゃないの」

「………」

「でも、その……ちょっと、沙羅の言い方が、悪かったっていうか……」

 望が聞いた話では沙羅は望自身しっているとおりあまりよく思われていないところもあったが、今回は最初注意したときの沙羅の態度が、普通に注意をするという一線を越えていたらしい。

 また、最初サボったのは本当に用事があって仕方なかったことを沙羅が厳しく言ったものだから、感情的な対立が表面化し周りも巻き込まれていった形になった。

 本人たちも多少気が引けたいたのと、普段物静かでおとなしい望が積極的に働きかけてきたのが驚きだったのか望が沙羅に言ってくれということで落ち着くことになった。

「……そう」

 望から一連の話を聞いた沙羅は目を閉じると静かに頷いた。

「沙羅……沙羅は正しい、って思うよ、けどね、ちゃんと話を聞いてあげるのも、大切って思うの。それに、昨日も言ったけど、私だってこのくらいできるんだからね……友達だもん。頼ってよね」

「…………………うん」

「? 沙羅?」

 ほとんど無言で望の話を聞いていた沙羅だったが、そういった沙羅の声が震えているような気がして思わず顔を覗き込んだ。

「っは、見ないでよ」

昨日も聞いた拒絶の言葉。

 しかし、昨日はそれがそのまま拒絶の意味だったのに、今は羞恥や照れといったものがそのほとんどだった。

「っ!!?

 そして、なにより望が驚いたのは

「だから、みない、でって言ってる、じゃない……」

 沙羅が涙を流していたことだ。

 あふれ出る涙を何度かすくっては濡れた瞳でようやく望を見つめた。

「え、あ、あの沙羅? ど、どうして、泣いてるの?」

 望はまるで意味がわからず自分じゃ何かしたんじゃという不安に駆られてしまう。

「泣かした、本人がそれを聞く?」

「え……あ、…あの…ご、ごめん、なさい」

「……ふ、ふふ、何で、謝るのよ」

「だ、って……」

「この涙は、ありがとう、ってことよ……」

「え……?」

 相変わらず冗談が通じない望に沙羅は呆れながらも笑顔になった。

「自分でも、泣くなんて意外、だけど……でも、なんか嬉しくて」

「あ、ぅ、うん……っ?」

 まだどういう意味なのかしっかり把握できていない望だったが沙羅がそれを考えることを許してくれない、というよりも沙羅に困惑させることを沙羅はしてきた。

「あ、の、沙羅?」

「ちょっとこうさせて。望のこと感じたい」

 沙羅は望の手をしっかりと握っていた。昨日望がしたのとは逆だ。

 お互いに暖かな感触を感じたまま無言になる。

 沙羅は自分の中にある様々の思いに浸り、望は困惑しているものの力になれたということを嬉しく思っていた。

「……望」

 しばらくすると、沙羅は嬉しそうに望のことを呼ぶ。

「うん……?」

「ありがとう」

 思えば、これが沙羅の始まりだった。

 

 

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