望の部屋を訪れるのはもう何回目だっただろうか。
数え切れないというほどではないがぱっと思いつけるほど少ない数でもない。
これまでは何も気にすることはなかった。普通に他の友達の部屋を訪れるのと同じだった。
しかし、まだ自分でも気づいていない秘めた想いを抱えた今の沙羅にとっては、
「っ……!!」
(……なに……?)
放課後、望と下駄箱で待ち合わせをして寮の望の部屋を訪れた沙羅は今までになく胸が跳ねるのを感じた。
ドクン、ドクンと、異常なまでに血の巡りがよくなってくる。
「沙羅? どうかしたの?」
先に中へ入っていった望は何故か部屋の入り口で止まる沙羅を不思議そうに見つめる。
「な、んでも、ない」
「? そう?」
望は釈然としないながらも、そこまで気にすることじゃないと判断したのかそのままクローゼットの側へと立った。
「…………」
一方沙羅は、何をそんなにドキドキしているのかと自分に問いかけながらそれなりに見慣れたはずの望の部屋を見回す。
見慣れたはず、物が少なく面白みすらない望の部屋。何も目を引くものなんてないはずなのに改めてまじまじと見つめてしまう。
パサ。
「っ!!?」
軽い音がした方向に目を向けた沙羅は思わず目を見開く。
「な、何してるのよ!!」
「え……?」
制服を脱ぎかけていた望は沙羅の思わぬ声に驚いて手を止める。
「何、ってもう外でないだろうから着替えようかなって」
「あ、…そ…そう」
「? どうかしたの?」
「な、なんでもない。ごめん」
「別に、いい、けど……」
着替えを再開し始めた望に沙羅は確実に自分がおかしいという自覚を持ちながら意識的に望の着替えから目をはずす。
(……おかしい、おかしいわよ)
しかし、今度は衣擦れの音がやけに大きく聞こえ、沙羅の心は落ち着きを取り戻すことはない。
まるで小学生のような恥じらい方をしていることに沙羅は気づいてはいるが、その理由が一向に見えてこなかった。
「よし、っと。あ、そうだ忘れないうちにようかんとってくるね」
「あ、いって、らっしゃい」
着替えを終えた望はそそくさと部屋を出て行く。確か階共用となっている冷蔵庫に向かったのだろう。
「………………」
取り残された沙羅は部屋の中央に向かいその場に立ち尽くす。
そして、また部屋を一望し、あるものに目を留める。
(望の、ベッド……)
ふらふらとそこに迫っていく。
真っ白なベッド、シーツに多少しわがつき、それが生活感を感じさせる。
(そういえば、ねぞう悪いとか、言ってたわね)
「………どんな風に、寝てるんだろ」
ポツリと思わず口をついた言葉。
(っ!!? なに、言って……!!)
自分がとんでもないことをいってしまったような気がしているのに頭の中はそれを振り払うどころか、ベッドで眠る望の姿を想像していた。
(待ちなさい、よ……こんなの……)
浮かぶ、泉から水が湧き出るように望の眠る姿が次々で浮かんできてしまう。
おかしい、おかしい、おかしい。
望はただの友達、いや、親友で、何故そんな相手の寝姿なんて想像しなきゃいけないのか。
(なんで、よ……さっき、だって……)
着替えをあんなに気にしてしまった。
望の着替えを部屋で見るのは初めてではあったが、体育のときなどには着替えを見ている。なのにさっきは恥ずかしくてたまらなかった。見る側だったというのに。
「……着替え」
そして、ベッドの次はそちらに思考を移す。
(いつも、ここで着替えしてるのよね……)
そう思うと、今度はこの空間にいること自体が妙に恥ずかしく……
「あ………」
自分の中にうずまく気持ちを整理できないままベッドから目を離せなかった沙羅はベッドの隅に置かれているあるものに目を奪われた。
それは望が脱いだブラウスだ。洗濯には後で出すこともあり今は綺麗にたたんでおいてあるだけ。
(ちょ、ちょっと、待ちなさいよ……)
心ではそう訴えていた。
しかし、
まるで蜜に誘われる蝶のように沙羅の手は望のブラウスに伸びていき、
ぎゅっと、まるで恋人を抱くかのように愛しく純白のブラウスを抱きしめてしまった。
それはまだほんの少しだけ暖かく望のぬくもりが感じられた。
(望の……)
抱きしめたままブラウスに顔を近づける。
(のぞみ、……望の……っ!!!!!!)
何の疑いも望を感じていた沙羅は思わず香りをかごうとしていたところではっと、ブラウスを離す。
「な、なに、何して……」
床に落ちたブラウスを茫然自失と見つめる沙羅は今自分がしようとしていたこと、していたことに驚愕する。
おかしいことが、いつの間にかしてはいけないないことに変わってしまっていた。
そう、いけないことだ。こんなこと、普通じゃない。いけないこと。
(なのに!!!)
また、手がブラウスに伸びようとしていた。
吸い寄せられてしまう。誘蛾灯に集まるがごとく、望に……
「あれ? 沙羅どうかしたの?」
「っ!!!!???」
ブラウスを拾おうとかがんだ沙羅の背後から戻ってきた望の声が響いた。
「あ……あ、あ」
(見られた!? 見られた、の……?)
冷静になら、何してるのとあっけらかんと言ってきた時点で見られてないことは明らかであるが沙羅には万が一という可能性しか考えられなかった。
(あんなの見られたら、嫌われ……)
嫌われる。
(嫌われる……嫌われる……? 望に………望に?)
その言葉が頭をよぎった瞬間。
(いやっ!!!)
なによりも先にそれが思いうかんだ。
「あ、の、望……」
嫌われてしまうかもしれないという恐怖に支配された沙羅は震えながら望へと振り返った。
「ん? なぁに?」
望は持って来たであろうようかんを机に置くと、
「あれ? それ」
「っ!!!」
床に落ちていたブラウスに気がついたらしい。
「あ、望、これ、は……」
(いや、見ないで望……)
心ではそう思っても口に出せるはずもなく沙羅は唇をわななかせるだけで精一杯だった。
「あ、拾ってくれてたの?」
「っ!!」
ただ、望は見てなかったのだから当たり前だが沙羅にとって救いの言葉を述べる。
「あ、そ、そう……落ちてた、から、拾おう、って……」
緊張していた体が弛緩していく。それはつまりどれだけ安心したかということであった。
「そうなんだ、ありがとう」
言いながら、ブラウスを拾うとまた丁寧に畳んで同じところに置く。
それを見ているのにも罪悪感を感じた沙羅は視線を散らす中でここに来た目的のものを見つけ、
「……望」
「ん?」
「ごめん、今日、用事思い出した、から……もう、帰るわ。また、明日」
あわてておかしな文法になりながらも机にあった望に貸していたCDケースをとって
「あ、沙羅!?」
逃げるように望の部屋から飛び出していっていた。
「はっ、はぁ、……はぁ、は、あ……」
望の部屋を出てから早足になっていた沙羅は寮を出る頃には駆け足となり学校の敷地を出る頃には限界がきて、おぼつかない足取りとなっていく。
学校を囲う塀に手をついた沙羅は乱れに乱れた呼吸と心を整えようとする。
「っ、は、……ふ、……はぁ……ふ、ぅ」
しばらくすれば呼吸は落ち着いてくるが、体全体は熱いままで、望の部屋で感じたマグマのような熱さはおさまることがない。
「どうしたって、いうのよ……」
目を閉じながら空を仰ぐ沙羅はひどく動揺したままの心がまるで自分のものではないような錯覚すら受けていた。
ここ最近自分が望の前でどこかおかしいというのは自覚していたものの、今日のはさらに圧倒的だった。あのことが気恥ずかしいだけなんて言い訳は微塵にも通じないほどに今日とってしまった行動がおかしいことをわかっている。
「しんじ、らんない……」
望の着替えに動揺し、寝姿を想像し、ブラウスを抱いてしまった。
思い出すと多少は落ち着いていた心がまた激しく揺さぶられる。
しかも
(……いい匂い、だった、な……)
と、わずかにかいでしまった望のブラウスの香りを思い出し
(っだから!!)
また自分の理解できないことを考えてしまったことを叱咤する。
(なに考えてるのよ! 望はただの友達なのよ!?)
そんな相手が目の前で着替えをしていようが、どんな姿で寝てようが気にすることじゃないというよりもどうでもいいことなはずだ。
頭ではそう理解しようとするのに心はまた考えてしまったことにゆさぶられる。
まるで心だけが不安定な場所に置かれているかのようにふとしたことで心はバランスを失う。
(……友達、……友達。望は、ただの、友達)
ようやく歩きだした沙羅は心にそう言い聞かせることでどうにか平静を保とうとするが、望を思うだけで心は果てしなく揺らいでいく。
(そう、よ。望はただの友達で……あんな、こと思う必要はないのよ。そう。やっぱり、まだあのことを引きずっているだけ。大丈夫)
こんな言い訳はすでに意味を持たないことをわかっていながらも沙羅は今胸にある気持ちを無意識にごまかそうとしていた。
が、
(そう。好きな人の部屋にいったわけじゃないん、だか、……ら)
ふと、自分をごまかすために思った言葉がまだ自覚していなかった確信をつく。
「好きな、人………?」
そして、沙羅はその言葉にとらわれていくのだった。