翌日、沙羅は登校をしていた。

 一日休んだだけだというのにもう何日も離れていたような気さえする。

 何も変わっているはずもない校舎の入り口は始業のチャイムが近いこともあり、人で溢れていた。

 沙羅はそんな毎日変わることのない朝の喧騒を横目にしながら校舎へと入っていこうとした瞬間

「お、おはよう沙羅」

 急に隣から声をかけられた。

 その声が誰だかわからないはずはない沙羅は。

「おはよう。望」

 ここしばらくは出していなかった明るい声と笑顔でそう返していた。

「っ……。お、おはよう……」

 まさか沙羅にそんな風に返されるとは思っていなかったのか、望のほうが動揺しながらもう一度そう返していた。

 丁度校舎の入り口だったこともあり、すぐに向かいの下駄箱で背中合わせになった二人は靴を履き替えるわずかな間に各々の思考へと入っていく。

(……よく挨拶なんてできるものね)

 さっき望に挨拶をしたのとはうってかわり、また苦々しいといった顔をした沙羅は上履きに履き替え終えると、トントンとつま先で床を叩いた。

(……どうでもいいわよ。望の考えなんて)

 そんなものはもう考えたくない。望がどんな意図であんなこと言ったのか、昨日あんな別れかたをしたのに、どの面下げて挨拶なんてしてきたのか。

 そんなものはどうでもいい。望の気持ちなんていちいち考えていたら壊れてしまう。

(いや……壊れてるのよね。もう)

 今沙羅にとって大切なのは、いや、沙羅の目的は。

「お、おまたせ。沙羅」

 少し遅れて靴を履き替えた望に沙羅の思考は中断される。

「さ、いくわよ」

「あ、うん」

 遅れた望を気遣うわけでも、嫌悪するわけでもなく歩き出す沙羅に望はただついていくのみ。

「そ、そうだ。この前のテストだけどね、昨日返ってきたんだけど沙羅のおかげでいつもよりよかったよ」

 口に出すのが不自然というわけではないが、唐突な望の話題。

 ただの友達ならほかに話すことはいくらでもあるだろうに、望が口にしたのはこんなことだった。

「そう。よかったわね。教えたかいがあったわ」

「う、うん。ありがとう」

 結局、階段を二つ上がって教室のある階につくまでにしたのはこれと天気の話題だけで、友達とは言えないような二人の時間。

 だが、二人の間にあったことを思えばこんな会話をしていること自体奇跡のようなものだろう。

 もっとも、二人には二人の目的のようなものがありそれが今のいびつな時間をもたらしているのだが。

 それをお互いに察することはできず、階段から近い沙羅の教室へとついてしまう。

 沙羅がまだ白いドアに手をかけていない間に望は

「そ、それじゃ、またあとでね」

 どこか安心したようにそういって自分の教室に向かおうとしたが

「望」

「っ」

 沙羅は望の腕を取って引き止めた。

「あ、な、何っ?」

 背筋に伝う冷たい感触を望は感じないふりをして、取られた腕を振りほどこうともしない。これまでのことを思えば反射的に身を引いてもよさそうなものなのに。

「今日、お昼一緒に食べない?」

「え、あ……お昼?」

「そう。もう誰かと約束ある?」

「う、ううん。大丈夫、だよ」

「よかった。じゃあ、お昼に迎えに行くわね」

「あ、う、うん……」

 沙羅は約束を取り付けると望の手を離し、ドアを開けて教室へと入っていった。

「………沙羅……」

 望は沙羅に触れられた腕を見つめると、今度はその手を自分の胸に当てた。

 そこは不規則な鼓動を刻んでおり、望は改めて自分がいかに緊張していたかを思い知らされた。

「……うん」

 それでも沙羅と【友達】な時間を過ごせたことに自己満足をする望は別れ際に沙羅が何を思っていたかなど考えられもしないのだった。

 

 

 その日は一緒にお昼を食べ、その後も友達としてはおかしくない、しかしどこかよそよそしい会話をしてそれ以降、沙羅は望と会うことはなかった。

 それは当たり前といえば当たり前で、クラスが違うのだから朝、おそらく沙羅を待ち伏せした望や、昼を誘ったときのように意識的に会おうとしなければ会うことはほとんどない。

 だから、それから一週間望と沙羅は必要以上に会うこともなく二人にあったことを思えばありえない時間を過ごしていた。

 朝会えば、挨拶をするし昼を一緒にしたこともある。それは二人で食べることもあれば、何も知らない友人たちが一緒なこともあった。

 しかし、この一週間二人きりで過ごした時間はない。

 二人で何かをすることはあっても、他の人間の目の届かないところで【二人きり】になることはない。

 何でも言うことを聞くといった、二人きりの時間は一度もなかった。

 それは望はどこか安心していただろうし、それは沙羅も例外ではなかった。

 沙羅もこの一週間、意識的には二人きりにならないようにしていた。

 友達としての時間を惜しんだわけではない。

 ただ、沙羅は痛感している。生半可なものではだめなのだと。

 望に現実を想い知らせるには普通じゃだめだ。言葉はもちろん、普通に嫌われるようなことをしても、おそらく望はあきらめない。

 あの能天気で、人の気持ちも考えられない、いやそういうことに対して障害があるとすら思える女に思い知らせるには普通じゃ、だめなのだ。

「あ…沙羅」

 この日も、この一週間とあまり変わらない時間を送った二人は放課後偶然に出会ってしまった。

「……望」

 そろそろ、かと考えていた沙羅は自分がこれから好きな相手に何をしてしまうのだということを自覚しながらもそのことに対し、罪悪感も感じずスクールバックを持って望の少し先をいく。

 放課後で人気は減ったものの、まだ人の目のある廊下を二人は並んで歩く。

「あ、そうだ。沙羅……」

 会話をしようとするのはいつも望だ。

「そう」

 沙羅は反応はするものの、それ自体は鈍いし自分から話をすることもめったになかった。それが二人のいつもになってしまっており、もしかしたらそんな時もこの一撃だけで終わるかもしれないと、自分を遠くから見ようとする自分が淡々と語っている気がしていた。

「あ、と……それじゃ、また明日ね」

 ほとんど会話になっていなかった会話をしながら下駄箱を出たところで望はそう告げた。

 これも当たり前のことだろう。

 望が何を思っているかまではわからないが、沙羅が部屋に行っていいかと言ったならどうかはともかく、自分から誘えるはずもない。また、自分でどこかに誘うことだって容易ではないだろう。

 だから、望はそう別れを告げて、一日を終えるつもりだった。

「望」

 しかし、沙羅はそれを許さない。

「え? な、何?」

 ようやく陽のかげってきた時間、放課後になって人気の減った校内。しかし確実に校内に人は残っていて、部活の声や、周りにも同じく下校をしようとしている生徒たちはいる。

 二人がいるのは校舎の入り口から少し離れたところで、出てきた人間から必ず目につくというわけではないだろうが、誰に見られていてもおかしくない場所だった。

 そんな場所で沙羅は

「ん……」

「っ!!!!???

 軽く望に口付けをした。

「あ……え……?」

 いつかのように自体を飲み込めていない望とは対称的に

「それじゃ、また明日」

 沙羅は何事もなかったかのようにそうつげるのだった。

 これが、沙羅の考えた始まり。

 嫌われるための、第一歩だった。

3/八話

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