暗く大きな部屋。周りにも人の気配。

 シンと静まり返った場所で私は布団の上で横になっています。

 あぁ、またこの夢だ。

 と、寝ている私は思います。

 そう、この夢。

 私の心の中に巣食う暗く大きな傷。そこにはかさぶたがかぶさっているだけで、今でも血がにじみ出てくるような根深い傷。

 こうして夢に見るのも珍しくはない。

 傷が膿んでいるような感覚です。

「…………」

 夢の中の私は身動きができません。

 ただ、横になってままその時を待つ。

 そうこの時を。

「っ……」

 冷たい、滑らかで小さな手。その手が頬に添えられたかと思うと

 その数秒後……

 

 

「…………っ……」

 嫌な、寝起きです。

 最悪な気分です。

 普段夢なんて見ても見たかどうかですら定かでなくなるのに、この夢だけははっきりと覚えているのです。

 ……誰にも話せない。私の……キスの、夢。

 夢、です。夢なんです。あれは、全部夢の話なんです。

「…………最悪です」

 一度目を閉じた私はそう呟きます。

 窓から光を受けたまま私はベッドの上で上半身だけを起こしました。

 もし、この夢がなかったら、私は……キスをどう思えていたでしょうか。

 彼女のキスを。

 あんな風に拒絶したりなんてしなかったかもしれないです。でも、逆になんというか、私はそういうものを嫌に思っていたからこそ、彼女を意識するようにもなりました。だから、そもそも彼女にキスをされるようなことになんてならなかったかもしれません。

 そう、ですね。私が彼女を好きになったのも遠因はここにある、というのは言い過ぎかもしれませんけど、嘘でもない気がします。

 でも、もしこの夢がなくて彼女を好きになっていたとしたら、私は彼女を……

 私は無意識に手を唇に当てました。

(……私は、彼女のキスを)

 どう、していたんでしょう。

 

 

 考えても考えても答えはわからなくて、それがまた思考に迷い込むことにもなって私はまた出口のない悩みを続けるのでした。

 彼女を気にして、彼女に無視されて、でも私はあきらめ、いいえ、納得できなくて彼女を見つめます。

「はぁ……」

 恋自体初めてではありませんが、恋というのは人を嬉しくさせてくれることもあればこうして苦しめてくれることもあります。

「はぁ……」

 さらには悩んでいればそれに付随して色々あるものです。例えば、夜よく眠れなかったり、物事に集中できなかったり、学校生活に悪影響を及ぼすこともあるのです。

 にしても……

「はぁ」

 ため息をついてしまいます。

 まさか私が委員会の会議中に聞いていなかったどころか眠ってしまうなんて。

 そのせいでわざわざ呼び出しで怒られてしまうなんて。普段怒られなれていない私には結構応えることです。

 今日は早く寝たほうがいいんでしょうか。でも、早くベッドに入ったところでどうせ彼女のことを考えて眠れなくなってしまいます。

 まぁ、でも今日は寄り道しないでさっさと帰りましょう。

「って、あ……」

 荷物を取りに教室に戻ってきた私は思わず声をあげてしまいました。

「……ん、う……くー」

 放課後の誰もいない教室で、眠っていました。

「すぅ……くぅ」

 腕を枕にしてうつぶせになっている彼女は規則正しい寝息を立てています。

 私は驚きを隠せないまま、彼女の側に近づいていきます。

「…………」

 そして、隣の席に腰を下ろしました。

「ん……スゥ、スゥ」

 そのまま彼女の不自然な場所で見る彼女寝姿を拝見します。

 ……彼女が居眠りをすることは珍しいことではありません。朝のホームルームが始まるまでの時間、休み時間、お昼休み、果てはいつぞやのように人が監督をしている補習の時間まで。

 しかし、ここ最近は見なかったことですし

 それに……

 ドクン、ドクン

 思わず胸に手を当てます。そんなことをしなくてもドキドキしているのはわかっていますけど、胸の高鳴りが抑え切れなくて……

 こんなに近くで彼女の姿を見るなんて久しぶりです。それに、こんなに無防備な姿を見るなんて。

 無防備、です。こんな人気のない放課後で、教室には私以外誰もいなくて、こんなんじゃ何をしても証拠なんて残らないじゃないですか。

(っ……ってなに考えてっ!!

「……んぅ……さやか……」

「っ……!?

 一瞬、ドキリとしました。名前を呼ばれて、彼女が起きたのかと思いました。

「……ふぅ、……くぅ……」

 しかし、そんなことはなく寝言だったようです。

 って、寝言で私のこと……を……?

 ど、どういうこと、なんでしょう。なんで私の名前、を……

(……やだ、胸が……)

 ドキドキがおさまりません。というよりもどんどん強くなってくる。

「深雪、さん……」

 思わず名を呼び返した私は、彼女へと手を伸ばします。伸ばしてしまいました。

 ピト

(あ、やわらかい…)

 まず頬に触れた私はそう当たり前の感触を思います。すべすべとした彼女の頬は触るとしっかりとした弾力を持って私の手を迎え、そうしているだけで私の胸はさらなる動揺を隠し切れません。

 これだけでも背徳感を感じます。彼女が気づかぬのをいいことに彼女に、好きな人に触れている。これは、いけないことなんでしょうか。

 いえ、考えるまでもなくいけないことです。好きならその人の気持ちを無視するなんて許されないことなのです。

 そう、頭ではわかってますけど。

 彼女の頬から手が離れません。離そうと思っても……ううん、離そうなんて思えない。もっと彼女を感じていたいと思ってしまいます。

 それどころか……

 胸の中で、もう一人の私が……とんでもないことを考え始めます。

 私は、この静寂に包まれた放課後の教室をもう一度見渡して、誰もいないことを確認します。

 そう、誰もいないのです。今、ここには私と彼女の二人だけ。しかも、彼女は眠っていて、何をしようとも証拠なんて残らない状況です。

 好奇心、なのか……単なる欲望なのかもう一人の私はあることを提案してきました。

 私はキスが、ダメです。キスをされるのは、だめなんです。

 でも、でも……もし、仮にもし、万が一、ですよ……?

(キス、するのはどうなんでしょう……)

 キスされるのは嫌です。怖い、です。

 でも、私から、なら……

 自分がなんて勝手なことを考えているのかわからないわけじゃないです。けど、一度考え始めてしまったらもう止まらなくて……

(いえ、でも……こんな)

 言葉ではそう自分の行為を制止しようとはしています。止めようとする自分もいるのです。

 けど、胸はおさまりを見せませんし、手は吸い付いたように彼女の頬から離れなくて

(……誰も、いないんです、よね)

 もう一度そのことを確認してしまいます。

 そして視線を戻したときにはすでに彼女のある部分から目が離せなくなっていました。

 すなわち、彼女の唇から。

 いえ、ダメ、ダメです。こんなのいけないことです。

 もはや心でそう考えるのはただの言い訳にしか思えず私は彼女との距離を縮めようとします。

 ふっくらとした瑞々しい唇。いつもちゃかしたような甘い言葉を囁くそこは今は閉じられ、私へと無防備な姿をさらすだけです。

「深雪、さん……」

 頬に手を触れたまま、私は彼女の名を呼び斜め上から彼女へと迫っていきます。

 放課後の教室、風は凪ぎ窓を揺らすこともなく静まり返った部屋の中で私はしてもいないのに罪悪感を感じ、それでもそれが逆に私を止められなくもしていました。

 ドクン、ドクン……

 迫っていきます。

 あまりに大きくなった心臓の鼓動をどこか遠くに感じながら、私は彼女へと。

(……深雪、さん……深雪さん)

 さっきまで言い訳をしていた心も彼女の名を呼ぶだけ。

 キス……唇……

 頭の中にはキスのこと、視界の中には彼女の唇。

 喉がかれるような感覚に陥り

「……ゴクン」

 生唾を飲み込んだ私は、目の前に迫った彼女に

(っ!!

 不意に、あの夢が頭をよぎりました。

 暗闇の中、眠気に体を支配された夢と現実の間で身動きのできなかった私は、今しているように頬に手を添えられたかと思うと

「っは!!

 わ、わた、私は……何を……

 ガタン! と彼女から離れた私は机にぶつかり大きな音を立ててしまいます。

 私、私は……こんな、何、して……

「っ……は、はぁ……はぁ」

 息を忘れていたわけじゃないのに、私は体中に嫌な汗をかいて荒く息を整えます。

「い、や……わた、私……何、……何して」

 心で考えたことを繰り返します。こんな、こんな……なんで、こんな……私は……

 罪悪感や背徳感すらさっきまでは欲望を満たすスパイスだったのに今はソレばかりがふくらんできて

「いや……いや……わ、私は……」

 何への拒絶なのか、私は茫然自失としながら何度も同じようなことを繰り返し、私は荷物すら忘れて彼女と自分のしようとしたことから逃げていくのでした。

 

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