なんてことをしてしまったんでしょう……
昨日、鞄すら忘れかえってしまった私は家に帰ってもその罪悪感に苛まれ結局ほとんど眠れぬまま朝を迎えてしまいました。
頭のほとんどを彼女にしようとしたことで埋め尽くされたものの、すべてが支配されたわけでもなく眠れなかったこともあり私は校門が開く時間には学校にやってきていました。
鞄を置き忘れていることもありほとんど手ぶらでやってきた私は校舎へ向かうために歩いていきます。
(……どんな顔をすればいいんでしょう)
彼女に顔向けできる気がしません。
どうして、あんなことをしてしまったんでしょう。
……いえ、未遂ですけど、どうして……
「………どうしてでは、ないんでしょうか」
自転車置き場から出たところでポツリとそう呟きます。
私は彼女が好きなのです。好きな人にキスをしたくなってもそこまで不思議なことではありません。まして、このところまともに話すら出来なかった相手にあんな姿をさらされては。
しかし、
勝手に、あんな、こと……キス、なんて。
相手の気持ちを無視してキスをする。そんなこと、いけないことです。尊厳を踏みにじることです。
ズキン、と胸が痛みます。
あんなの心に傷を負わせることです。してはならないことなのです。
それを私はわかっているじゃないですか。……経験、しているじゃないですか。なのに、私は……
「……はぁ……」
ため息をついて私は歩き出します。
(謝ったほうが、いいんでしょうか)
いえ、違います、ね。謝りたいです。謝って楽になりたい。
こんなトラウマをもう一つ抱えるようなことを続けていきたくない。すべてを彼女に打ち明けて、楽になりたい。
でも、そんなことをすれば……彼女がそれをどう思うかはともかく、気持ちが知られてしまいます。
彼女を好きだという私の気持ちを。
「……そんなの、怖い、です」
怖い。
「あ………」
自責の念を感じながら校舎へと向かっていた私はある場所で足を止めました。
そこは、私が彼女を……好きになるきっかけとなった校舎にはさまれた中庭です。
「…………」
何を思ったのか私はあの時、彼女がいた場所に足を止め、彼女がそうしていたように教室を見つめました。
ここでこうする彼女を見かけなければ、おそらく今までのように彼女と話をするなんてしなかったのでしょう。小学校、中学校とそうしてきたように。
しかし、ここで彼女の抱える何かを見てしまった私は、彼女を気にするようになり……いつのまにか好きになり、今こうして恋にうなされています。
彼女はここから何を見つめていたんでしょうか。誰を想っていたのでしょうか。
「……深雪、さん」
私、であって欲しい。そんな予感はするのです。勝手な考えですけど、彼女は私に何かを抱いているような気がするのです。だって、そうじゃなきゃこんな風になるなんて彼女の性格からしておかしいじゃないですか。キスを拒絶したりしたくらいじゃ、普段の彼女であればこうはなりません。それってつまり……
(……でも……)
たとえ、今私が妄想したことが正しかったとしても。……彼女が寝ているのを良いことにあんなことをしようとする私に彼女の側にいる資格があるんでしょうか。というよりもあるはずがありません。
「……深雪さん」
「なーに?」
「えっ!? ひゃあああ!!」
いきなり聞こえてきた声に振り返った私は情けない悲鳴のようなものをあげてしまいました。
「み、深雪さっ……」
「おはよ、清華」
だ、だっていつのまにか深雪さんが私の目の前に……
「お、おはようございます」
驚きすぎて逃げることも忘れてしまった私は、反射的に挨拶を返してしまいます。
「で、どうしたのそんな叫び声なんてあげちゃって」
「い、いえ、べ別に……」
と、というよりもどうしたんでしょう。昨日まで私のことなんて無視していたのに、何故今日はいきなり、以前のようになんて。
「ふーん、ところで何で教室見てたの?」
「い、いえ、その……別に」
うぅぅ、言い訳のレパートリーがないです。同じことを言ってしまいました。
私はしどろもどろになりながらも彼女の様子を勘ぐります。
彼女はどうやら普通に登校してきたばかりのようで、鞄を地面に置いてここからすぐには立ち去ろうとしない気配を見せています。つまり、私と話をするというつもりなのでしょうか。
「……あのさ、清華」
「は、はい!?」
彼女が話をしてくれるというのは嬉しいことのはずなのですが、昨日のことのせいで今度は逆に私が話せる状態にないです。
「…………昨日、私に何かした」
「え………………?」
一瞬、脳を直接叩かれたような衝撃が訪れ、次にいっきに血の気が引き凍りつきました。
き、昨日? 昨日何かって……昨日も彼女とは一言も話してませんし、昨日彼女にしたことなんていったら、したこと、なんて言ったら……
「…………」
私はあまりにも混乱して、彼女が何かを考えるような目で私を見ていたことに気づきませんでした。
「……夢かと思ったけど、夢じゃないみたい、だね」
「っ………」
そ、それは、つまり……
「ご、ごめんなさい!!! あれは、その……ごめんなさい! わ、わたし……」
嫌、嫌、嫌!
あんな、あんなことしたなんてことがばれたら、絶対に嫌われてしまいます。こんな謝ったって無駄に決まってますけど、でも、怖くて……
「理由、聞かせてもらっても、いい、かな?」
「え……あ、……」
「どうして、あたしにキス、しようとしたの?」
「そ、それは……」
そ、そんなの決まってるじゃないですか。キスする理由なんて。
「……………………」
あーもう!!! こんな、こんなのって……う……
「…き……から……に、決まっ……じゃ……か」
「え?」
「好きだからに決まってるじゃないですか!!」
あんな風になったら黙ってられるわけないじゃないですか!
「他にどんな理由があるっていうんですか! 私は深雪さんが好きなんです!! だから、避けられて悲しかったですし、昨日は……昨日は………っ!!」
混乱していた私は妙な言い回しの告白をしてしまいました。これまであんなに悩んで苦しんでいたというのに、こんなあっさりいえてしまうなんてなんだか、今までの私がバカみたいです。
「……清華が……あたしを」
いえ、バカなのは昨日の私と、今の私です。
好きな人の気持ちを無視してキスをしようとして、挙句におかしな告白をして……
視界が、滲んできました。涙が今にも溢れてしまいそうです。今すぐに逃げ出したいですけど、あんなのとはいえ告白をしたんです。返事は決まっていても逃げるわけにはいきません。
私は行き場のない想いを抑えるようにぎゅっと制服が皺になるほどに握り締めて彼女の返事を待ちました。
拒絶されるに決まってるであろう。返事を。
「………あたしもさ、清華のこと大好きだよ」
「え?」
しかし、帰ってきたのは予想もしていなかった言葉でした。
「本気の好き。ずっと、清華のこと好きだったの」
正直言って、現実とは思えないです。だって、こんな都合のいいこと、あるわけ。
でも、彼女の顔は真剣そのもので、とてもいつものからかいには思えません。
「ず、ずっとって……」
「ずっとは、ずっと。そうだね、幼稚園の頃からかな?」
「っ!!」
頭にきました。私はこんな状況でも真剣なつもりだったのに彼女はそうではないとしか思えません。
「わ、わけのわからない冗談はやめてください」
「冗談じゃないよ。本気」
彼女は言っている事はとても本気とは思えないのに雰囲気は確かに本気にも思える矛盾したものを感じます。
「まぁ、確かに幼稚園からって言うのは言いすぎかな。好きって自覚したのは小学校の頃だしね」
「それでも、十分冗談に聞こえますよ……」
「かもね。でも、これは本当」
「………嘘。なんなんですか。幼稚園とか、小学生って……大体、ほとんど話したことだってないじゃないですか」
「……うん。でも、さ、ちゃんと理由はあるんだよ」
「な、なんだっていうんですか」
「清華は知らないかもしれないけどさ、あたしって生まれたのはこの町じゃないんだよね。幼稚園のときに引っ越してきたの。そん時のあたしは暗いっていうか、周りとあんまりなじめなくて全然友達もできなかったんだ。そんな時話しかけてくれたのが清華だったの。一緒に遊ぼうって。そのおかげで友達も出来た。清華とはクラスも違ったしその時くらいだったけどさ」
「…………」
そんな、そんなことで……?
私は、覚えてない、です。でも、嘘を言っているとは思えない。考えたくありません。
「あたしはそれをずっと覚えてたんだけど、清華とは一回もクラス一緒になれないし、全然接点なくて、中々話もできなかった。でも、ずっと清華のことは見てて、小学校五年生くらいのときかな、好きだって自覚したのは。その後もほんとクラス一緒になれないし、共通の友達とかもいないから全然話せなかった。……まぁ、あたしに勇気がなかったってだけの話かもしれないけど。だから、今年初めて一緒のクラスになれたのはすごく嬉しかったよ。友達にもなれて、さ。本当、嬉しかった」
彼女の顔は、なんといったらいいでしょう。うまく言葉にできないような顔をしています。懐かしそうにはしていますけど、嬉しそうには見えずむしろどこか苦しんでいるようにも見えて……
「じゃ、じゃあどうして、……いつも他の子といたりなんてしたんですか。今年になってからだって、最初は全然話しかけてくれなかったじゃないですか」
「まぁ、それには色々理由もあるけどさ………」
彼女は、まるで耐えられなくなったかのように私に背を向けました。
すらっと背筋の伸びた背中は美しくもありますが、今は非常に頼りなくも見えます。
「……あたしは清華を傷つけたから」
そして、それは気のせいではなかったのでしょう。