傷つけた。
意味がわかりませんでした。
確かに彼女には困らせられることが多かったですし、好きと自覚してからは他の子と一緒にいるのを見せられ傷つけられたといってもいいかもしれません。
でも彼女が言っているのはそういうことではないはずです。
「あの、どういうこと、ですか?」
せつなそうな背中に私は回りこむこともなく問いかけました。
「……覚えてはないかもね。ううん、覚えているのは知ってるんだ」
「は、はい?」
何を言ってるんでしょう。
「こ、この前のことですか? あ、あれでしたら、その……あれは、深雪さんが嫌だってっていうわけではなく……、その……あれは、キ、キス、が……ちょっと怖くて……その……」
「……つまり、それってあたしのせいなんだよね」
「い、いえ! だから、そういうことでは。っ!?」
「……あたしのせいなんだよ」
そう言って振り返った彼女の瞳は、潤んでいました。
まるで告解をする罪人のようにも、神にすがる受刑者にも見える普段の彼女から想像もできない姿。
「……清華のファーストキスっていつ?」
「っ!!?? それ、……は……」
頭によぎるのはあの夢です。
暗い布団の中で、誰かに頬に手を添えられ、そして……
あれは、夢なんかじゃ、ないってほんとは………
「そ、んなの……ま、まだ、で、す……」
「……………小学校、六年のときじゃないかな?」
「っ!!!??」
「修学旅行、一日目の夜」
「っ………」
胸を叩かれたような衝撃と心を揺さぶる彼女の言葉。
「覚えてる、よね」
それ、は……それって、つ、つまり……
あの夢、いつも誰かはわからなかった。覚えているのは手と………………唇の感触だけで……でも、あの暗闇の向こうに誰がいたのか、わかってしまいました。
あれは、
「み、深雪さん………」
信じられないものを見るような目で彼女を見つめ、震えた声で彼女の名を呼びました。
「……………ごめん」
(っ!!!??)
なんて、言ったら、いいんでしょう……
(あれが、深雪さん、だった、なんて……)
嘘……嘘……うそ!!
「……あの時にはもうさ、清華のこと、好きで。でも、全然話もできなくてずっと悩んでた。清華と話がしたいとか、手を繋ぎたいとか、抱きしめたいとか、キスしたい、とか……毎日悩んでたんだ」
まさに彼女の告解を聞きながら私はどうすればいいのかわからないでいました。私は彼女が好きで……でも、彼女は……彼女の、せいで……?
「そんなとき修学旅行になってさ、はじめは清華と話せないこんな旅行になんの意味があるのかなって悩んでたけど、あの旅行、部屋が二クラスで一緒だったじゃない」
そんなことまでは覚えてないです。私があの旅行で覚えてるのは、アレだけです。だって、その後はもう旅行のことなんて全然考えられなくて……
「あの時、布団が隣になったのは覚えてる?」
「………」
うまく考え事すらできない私ですが、問いかけには素直に首を振りました、
「そ……あたしはさ、すごくどきどきした。お風呂上りとか見ちゃったりもしたし、清華の隣で寝るんだって思ったらね。全然眠れなくて、……眠れなくて………いつのまにか、部屋も静かになっちゃってた。……誰も起きてないみたいでさ、あたしだけがあの部屋で起きてるみたいで……」
それ……なんとなく、覚えて、います。
最初は騒がしかった部屋も一人、また一人と眠気に襲われていって、私の友達もみんな眠っちゃって、でも、私は眠くはあったのに中々寝付けなくて……
「そんな時、清華のほうを見たの。……いけないことだっていうのは、もちろんわかってたよ。どうかしてたっていうのもわかってる。でも、あたしはずっと悩んでたんだ。……このままずっと気持ちを伝えられないんじゃって怖くて……」
彼女は泣いて、いました。知っているんです。
「……思い出が、欲しかったの」
罪の重さを。
「清華は、寝てるって思った。証拠も残らない。………キス、して、あたしの中で止めておけば誰にもばれないって。だから……………キス、したの」
震える声で、怯えたようにも見える彼女はそう告解をしました。
「でも、清華、起きてたんだよね。……だって、清華、次の日から全然笑わなかったもん。誰といても、どこにいても清華、全然笑わなかった。びくびくしてさ、涙は見せなかったけど……泣いてたんだよね。ずっと。あたしのせいで」
「……………」
彼女の言うとおり、です。
起きて、ました。あの時、眠くて夢かと思いたかった、ですし。
でも、覚えてました。頬に添えられた手、拭きかかった息、やわらかく熱い、唇。
怖かった、です。眠くて、眠くて、最初はなんだかわからなかったです。でも、キスされた瞬間、一気に目が覚めて、でもその時には目の前からいなくなっていて……誰高はわからなかった。だから、本当に夢だと思った。思い込もうとしました。でも、頭から全然離れてくれなくて、修学旅行中はひどいものでした。キスのことしか頭になくて笑うどころか、人と話すのすら怖かったです。
誰が【犯人】なのか、怖くて……不安で、恐ろしくて。次の日にも全然眠れませんでした。それからしばらくは一人でいることも多くて、一時期には孤立していたとも言える状態でした。
時間が経って、そのことも薄れ、夢と思い込もうとしまして、どうにか人といるのが大丈夫になりましたけどでも……やっぱりあれは私の心の傷そのもので……それを作ったのが……
「……この前、教室にいた清華と目があったでしょ? あれって、結構してることなんだ……なんで今さら、清華と一緒のクラスになれたんだろうとか。話せるようになってからも、清華はこんなあたしをどう思ってるだろうって……謝らなきゃいけないのかなとか……でも怖いなとか……色々考えてた……」
「っ……」
また、衝撃を受けます。彼女は予想通りに私のことを考えてくれていました。でも、その理由は全然予想外のもので……
「や、っぱり……おかしいじゃないですか……そんな風にいうなら、なんで……他の子とデートしたりしてたんですか……キス、まで……」
「……………」
彼女は辛そうに、せつなそうに私から顔を背けます。
「……だって、もう無理だって思ってたから。清華と両思いになるなんて絶対に無理だってううん、そんな資格ないって思ったから……寂しかった、もん。紛らわせたかったんだもん。目を背けたかった。それに…清華から見て価値のない人間になりたかった。そうやって、楽になりたかったの」
「……そんな、そんな気持ちで、色んな人とキス、したりなんかしたんですか。そんなの、……可哀相です」
「……わかってるよ。あたし、付き合ったりとかはしたことないもん。デートして、キスしても、絶対にそこまで。求められても、拒絶した。遊び、だったの」
「なんで、ですか」
「あは、矛盾してるけどさ……清華が好きなんだもん。付き合ったりなんかできないよ……」
「……なんなんですか、それ。最低……自分勝手なだけじゃないですか」
「…………ごめん」
謝って許されることでないことはわかっているはずです。私にも、その人たちにも。
だからこそ深雪さんは部屋の隅で震える子猫のように心細そうにしているんでしょう。
そんなこと絶対にありえるわけもないのに触れるだけでそのまま崩れていってしまいそうなそんな儚さが今の彼女にはありました。
でも、
「深雪さんっ」
「え……っ!? さや、か……?」
だからこそ私はあえて彼女の手を取りました。
こんな、感触なんですね。彼女の体。やわらかくてでも、しっかりとしたぬくもりがあって。
「信じられないです! こんなの」
「っ……ごめん」
「私、ずっと、怖かったんですよ。初めてだったのに、あんな誰かもわからなくて……誰が犯人なのかって、友達だって信じられなくなった。ずっと、ずっと……怖かった」
声が震えます。心が滲んでいるのを感じます。
「それが、深雪さんだったなんて……」
「………」
「なのに……信じられない。ずっと、許せないって思ってたのに、本当に怖かったのに……嫌いになるのが当然なはずなのに……」
「…………っ?」
ぎゅ!
力を込めます。
想いを込めて。
「嫌いに、なれない!! 好きなのが……変わらない……信じられない!」
よくわからない、です。嬉しいような、悔しいような……とても言葉であらわせられないような気持ちが心にあるだけで……
「……約束、してください」
「なに、を……?」
「もう、絶対にそんなことをしないって」
「っ……うん…ごめん、…ごめん、ね」
この時私もさることながら彼女は特に冷静ではなかったです。彼女は私がどんな意味でそれを言っているのかに気づかず泣き出していました。
「……もう、勝手にキスなんてだめですからね。私が、いいって言う時じゃないと」
「……ごめ、……………え?」
やっと、彼女は私がどういう気持ちだったのか気づいてくれたようです。
「あの、清華……? それって……」
「……言った、じゃないですか。私は深雪さんのことが好きだ、って」
「う、うん…でも、私は……」
「関係ないだなんていわないです……怒っては、いるんですよ? でも……でも……っ!!」
私は彼女を引き寄せると
「んっ!!!???」
硬直していた彼女の唇に口付けをしました。
(あ……柔らかい)
キス……これが、キスなんだ。
好きな人に好きって想われての本当のキス。
「はぁ……」
あ、今、息がかかってしまったかもしれません。
「さ、さやか……?」
突然のキスに目を丸くしていた彼女は呆然としながらも無意識にか唇に指を当てていました。
「私は今、あなたのことが好きなんです。怒ってはいます。許してなんかないです、でも……運命じゃないですか、こんなの。私が好きになった人が、……【犯人】で、ファーストキスの相手だったなんて……」
「清華……」
「私、前を見たいんです。今あなたを好きな気持ちを持って、あなたと一緒に前が見たい。未来を歩きたいんです」
過去は抱え続けなきゃいけない。でも忘れられないトラウマを抱えても、誰にもいえない秘密を抱えても……今を歩んで、未来を見つめなきゃ生きてはいけないんです。
だから私は彼女と前を見つめます。大好きな気持ちと一緒にトラウマも罪も抱えながら。
「大好きです、深雪さん」
「……うん、あたしも清華が大好き」
ほんと、おかしな関係です。
私の覚えてもいないことが彼女の心に残り、私を好きになって。
私の忘れられないトラウマのせいで、彼女は私に嫌われるように振舞って、でも、それが逆に私を惹きつけることにもなって。
そして、
「深雪さん」
「清華……」
『ん………』
こうして、想いを通じ合わせてキスをしてるんですから。