「はぁ……」

 教室に荷物を置いた私はため息をつきながらふらふらと教室を出ていた。

 そのまま、広い校舎の中を当てもなくさまよう。

 教室のある三階から、何となく人のいない場所を求めて、ふらふらと学年のクラスがない上の階に上がる。

 階段の踊り場から外を見ると、目に入るのは元第二校舎だった部活棟。下には、広い中庭。校舎から視線を外すと大きな校庭と体育館が目に入って、やっぱり広いなぁって思う。

 私立虹花学園。

 それがこの学校の名前。ちょっと変わってるなとは昔から思ってた。虹の花って書いて「ななは」。生徒を花にたとえて、虹のように個性的な色の花を咲かせようとかそういう理念を一年生の時に呼んだ生徒手帳でみたことがある。

 理念はともかく、特徴としてはとにかく敷地が広い。この町が田舎にあるっていうのが大きな理由だけど、校舎が二つに、体育館が二つ。校庭とは別に運動場もある。他にも、映画館みたいなホールに、大きなプールなんかもあって慣れないうちは迷子になっちゃうくらい。

 ……一年生の時に本当に迷子になって泣きそうになったことがあるのは葉月ちゃんと藍里ちゃんにも内緒のこと。

(………葉月ちゃんと、藍里ちゃん)

 ふと、二人のことを思い出して私は窓ガラスに手を付きながらそのまま視線を落とした。

(無理だよ……やっぱり)

 今まで通りなんて、できないよ。

 だって、知ってるんだもん。知っちゃったんだもん。

 二人がお友達なんかじゃ、親友なんかじゃないって、知っちゃったんだもん。

 そしたら、もう今まで通りになんかいられないよ。今まで普通に思えてたことが普通に思えないもん。

 朝おこしに行ってることも、着替えを手伝ったりするのも、お泊りをしたりするのも全部知ってたけど今までみたいに仲がいいなぁ、だけじゃ終わらないもん。

 ベッドで眠る藍里ちゃんを見つめる葉月ちゃん、ベッドの上で藍里ちゃんを着替えさせる葉月ちゃん、お泊りをして……

(うぅぅぅ)

 そんなこと考えちゃいけないのに、いけないことなのに……

「は、っぁ………」

 私は胸に入ってきたいけないことを吐き出すかのように大きな息を吐いた。

「う、ぅ……」

 何もしてないのに体が熱くてたまらない。

(二人は、何にも変わってないのに……)

 変わったのは、変わっちゃったのは私。

 あのキスを見て、私のいる場所は変わっちゃったの。

 変わった世界から見えるのは、今まで考えることすらしてなかったこと。考えちゃいけないって思ってたこと。

 それは私には刺激の強すぎる世界。

 だから、どうしたらいいのかわからない。知らないふりはできないけど、そういうことに目を向けるのも無理で。

(どうしよう………)

 二人と今まで通りにできる自信はなくて、でもお友達でなくなるのもできない。そういうのを知っても仲良くしたいとは思う、から。

 けど、前と同じみたいにはできなくて

(わかんないよぉ……)

 泣きそうになっちゃった私は心でそうつぶやいていて、背後から迫る人影に気づけなかった。

「なーでーしーこーちゃん〜」

 がば

「ふぇ!?」

 間延びした声で名前を呼ばれたかと思うとぎゅ〜って抱きしめられた。

 柔らかな感触が私の体を包んで、甘い匂いが鼻をくすぐる。

「み、みどり、ちゃん……」

 髪を引っ張ってくるのが藍里ちゃんなら、こうしてくるのは一人しかいなくて私はすぐにその名前を呼んだ。

(は、恥ずかしい)

 今までにない羞恥心を感じながら。

「は、離して……」

 力のない声でそう訴えると、みどりちゃんは素直に離してくれた。

「っはぁ……は」

 抱きしめられただけにしては異様に激しく息を整えて、私は回れ右をして抱きしめてきた相手と向き合った。

 日比野みどりちゃん。

 私の一番のお友達で、昨日キスを見る前に一緒にいた相手。

「撫子ちゃん、おはよ〜」

 人懐っこい笑顔に、それと対照的な豊満な体つき。それと、いつもののんびりした声。

 小学校からのお友達のみどりちゃん。いつもこんな風にほわ〜っとしてて、それでいて誰にでも優しくて自慢のお友達。

「お、おはよう。みどりちゃん。ど、どうしたの? こんなところで」

 【こんなところ】にいたのは私だけど、普通朝に来るところじゃないからそうやって聞いちゃう。

「ん〜、と、ね」

 ぴょこんと跳ねた髪を揺らして、指をほっぺに当てながら一旦間を置く。みどりちゃんが何かを言いだすときによくするポーズだ。

「教室に来たら〜、撫子ちゃんが来てるみたいだから、探してたの〜」

「そ、そうなんだ。な、何か用、なの?」

「ん〜、とー。昨日撫子ちゃんの様子が変だったから〜。大丈夫かなぁって〜」

「そ、う……」

(昨日………)

 それはあの後のこと。

 みどりちゃんと一緒に帰るために忘れ物を取りにいってたから、その後はみどりちゃんと一緒には帰った。

 はっきり言ってその時のことはほとんど覚えてない。

 キスの衝撃が大きすぎて、何を話したかも、いつみどりちゃんと別れて、いつ家についたのかも全然覚えてなかった。

「あ、ありがとう、ね。もう、大丈夫、だから」

 全然大丈夫なわけないんだけど、でも話せるわけはなくてそうやっていうしかない。

「そう〜?」

「う、うん」

(そうだよ。昨日のこと、はなせるわけ……)

 昨日の……

(……なんで、抱き着いて来たりしたんだろ?)

 ふと、そんな考えがよぎった。

 葉月ちゃんと藍里ちゃんがキスしていたことと、みどりちゃんが抱きしめてきたことが勝手に結びついて……

(ううん!)

 みどりちゃんが抱き着いてくるなんていつものことだよ!? 今更そんなこと思うなんて駄目だよ。

 それを意識的に否定した。勝手に想像するのに、消すのは必死にならないとできない。

「撫子ちゃん〜?」

「な、何でもない、よ」

 顔を覗き込んできたみどりちゃんに私はまた頬を赤くして顔をそらした。

(駄目)

 顔が見れないよ。

 恥ずかしくなっちゃう。さっき、葉月ちゃんと藍里ちゃんと一緒にいるときもそうだったけど、顔を見るとどうしてもキスのことが浮かんじゃって、体が熱くなっちゃう。

 みどりちゃんがキスをしてくるとかそんなこと全然これっぽちも考えてないけど、

(でも……抱き着いて)

「っ……」

 じわり、となんでか涙が浮かんだ。

 みどりちゃんは、そんなこと考えてないよ? みどりちゃんが抱き着くのは昔からのことだし、それは友だちだからで、葉月ちゃんと藍里ちゃんみたいなそういうことをしたいからじゃ、ない……

(……同じ、だ)

 葉月ちゃんと藍里ちゃんから逃げてきた時と同じ。

 今までと変わらないことなのに、今までとおんなじには考えられない。

 どうしても、行為通りに受け取ることができないの。

「ん〜」

「きゃ!!?」

 心細さを感じる私は目の前にみどりちゃんがいることも忘れて泣きそうになっていたけど、みどりちゃんがおでこに手を当ててきてまた悲鳴に近い声をあげちゃった。

「熱はないのかな〜?」

「あ、う……」

 手、みどりちゃんの手が私のおでこに……

 おかしなことじゃない、何してるかもわかってる。

 でも、肌が触れ合う感触に今までと違う何かがまざっている。ううん、自分でそうしてるの。

「だ、大丈夫、だよ。ほ、ほら、教室、いこ? もうすぐ先生来ちゃうよ」

 それに耐えられない私はさっきと同じように逃げるようにしてみどりちゃんの横をすり抜けて行った。

「あ……」

 会話もないまま教室に戻ると、葉月ちゃんと藍里ちゃんが私の机ところにいてまた不意に声を上げる

『撫子』

 二人は同時に私のことを呼ぶと、私のところによってきて

「さっきは悪かったわね。髪、勝手にいじくっちゃって」

 まず、藍里ちゃんがそう言って来て

「これ、お詫び」

 葉月ちゃんは小さな飴玉を渡してきた。

「あ〜、いいなぁ」

 それをみどりちゃんはうらやましそうにして

「あ、ありがとう」

 私は小さくうつむきながらそれを受け取った。

 それは、私にとっていつもの日常。

 【私以外】の三人にとっては、きっといつもの。

 もう、私はそういう風にしか思えなくなっちゃってた。

 

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