私は彼女のことを不思議な人って思ってた。

 すらっとした長身に、二つに結わえた髪をさらに肩のところでわける可愛い髪型。同じクラスでもあんまりお話ししたことはないけど、灰根さんは他の人たちとはどこか雰囲気が違ったって思う。

 いつも笑顔だけど、その笑顔はみどりちゃんみたいに周りを和ませたりするものじゃなくて、笑顔の裏には何かがあるようなそんな感じがしてた。

 それがなんなのか、今までは全然わからなかった。気にしてもなかった。でも、あの笑顔の裏にあったのは、もしかしたら

 

 

「来てくれて嬉しいわ。撫子さん」

 こういうことだったのかもしれない。

「あ、ああの……」

 背後から首に手を回されて、胸の前で交差される。背中には柔らかい感触があって、それは考えるまでもなく、灰根さんのむ、胸の感触。

(……こんな、感じなんだ)

 ふにって背中に当てられるのがどこか新鮮で……少なくても悪い気持ちじゃないけど、そんなことよりも後ろから抱きしめられてるっていうのが私の羞恥心を誘う。

「ふふ……」

「ひゃ!?」

 灰根さんの手が、私のほっぺを優しく撫でる。

(うぅぅぅ……)

 胸がどくんどくんっていってる。すごく恥ずかしくて、すごくドキドキして、

(き、聞こえちゃう、かな?)

 なんて思うと余計に胸の音が大きくなっちゃう気がする。

「は、灰根、さん……」

「聖」

「え?」

「聖って、呼んで。じゃないと、離してあげない」

「え、えと……」

 急にこんなことをされて、頭が真っ白だった私は離してくれるっていうところに素直に反応する。

「聖、さん」

「聖ちゃん。仲のいい人にはちゃんて呼ぶよね。私、撫子さんと仲良くなりたいなぁ」

 耳元でささやかれる声。湿ったように心に絡みつくような声に私はくらくらしてきちゃう。

「……ひ、聖ちゃん」

「ごーかく」

 宣言通りにひ、聖ちゃんは私を開放すると軽やかな足取りで私の正面に回ってきた。

「これからもそう呼んでね」

 それから、私が不思議だって思ってる笑顔。

「う、うん」

 それに呑まれて私は思わずうなづいちゃってた。

「さて、と……」

「あ、あの」

「まずは、どうして欲しい?」

「ふぇ!!?」

 こ、今度は聖ちゃんは正面から私の腰に手をまわしてぎゅっと聖ちゃんの体にひきよせられた。

 ベッドやお布団、お風呂とかとは違う人の体温が感じさせるぬくもりと、聖ちゃんの甘い匂いが私の頭をくらくらとさせる。

「やっぱり、キスからがいい?」

「っ!!?」

 く、唇に柔らかい感触。

「ふふふ……」

 聖ちゃんの指が私の唇をなぞる。

「それとも……」

(あ……あ……)

 聖ちゃんの指が唇から口元、顎、首筋、鎖骨と伝っていって胸の手前で止まる。

「こっち、しちゃおうかなー?」

 くるくると胸の周りを指でくすぐるように触ってきた。

「や、め、て……」

 私は頭が真っ白で、何もわからなくて……怖くて、そんな言葉をひねり出した。

「ん?」

「や、やめて!」

 怖かったけど、このままなのはもっと怖いっていうのがわかるから私は大きな声を出すことができた。

「あ、らら……?」

 聖ちゃんはそれにびっくりしたみたいで私から手を引くと、二歩、三歩と私から離れる。

「な、なんでこ、こんなことするの? へ、変だよ」

「んー?」

(?)

 なぜか聖ちゃんは何を言われてるかわからないって顔をする。私は、それが予想外で次に言葉を続けるのを躊躇する。

「わかってて、来てくれたんじゃないの?」

「え? ど、どういう、意味?」

「だから、私の誘いにオッケーしてくれたから来てくれたんじゃないの?」

「だ、だから、それって」

 さ、誘いって? キ、キス、とかすること?

「ふーん……そこまでわかってるわけじゃないのかな?」

「え?」

 聖ちゃんは勝手に納得したようにうなづく。

「私が、白いハンカチで手紙渡すって、そういう意味なんだけどなぁ。そこまでは知らなかった?」

 い、意味はよくわからないけどなんだか焦燥感だけが募っていく。

「葉月さんたちとか、藤枝さんだちとか、麻紀さんたちのこと、そういう目で見てたから知ってるんだと思ってたけど、残念。まぁ……そんな気もしてたけど」

(っ!!?)

 今、聖ちゃんが口にした人たちって、わ、私が【そういう関係】だって、思ってる子たち。葉月ちゃんたちのことがあってから、そういう目でしか見れなくなった子たち。

「ふーん、その様子だと、やっぱりある程度は知ってるみたいね。こういうのに興味があるから気づいたのかと思ったけど、あれかしら? 誰か……撫子さんなら、葉月さんたちのことを知っちゃったからとかかしら?」

「っ!!!?」

 聖ちゃんの言うことがあまりに的中してて、私はどんどん混乱していく。

「図星みたいね。……そっかぁ。私のことがわかってきてくれたんじゃないんだ………」

 聖ちゃんはちょっと大げさに落ち込んだ様子を見せて、そのまま私に近づくとニヤリと口元をゆがめる。

「でーも。アレ渡してここに来てくれるっていうのは、私からすればオッケーしてもらえたってことなのよね」

「ぅ、あ!」

 今度も正面から聖ちゃんは私の首に手をまわしてまた距離が詰まった。それからいたずらっぽく笑って。

「このくらいはもらわないと、おさまり、つかないなぁ」

(ふぇぇ!?)

 ゆっくりと顔を近づけてきた。それが、どういうことかってわかるのに体は突然のことに動いてくれなくて、どうにか顔だけはそむけた。

「……………」

 その姿を聖ちゃんが誰にも見せたことがない瞳で見つめてるのには気づかず、私はどうすればいいのかわからないまま小さく震える。

「ふふ、冗談よ、冗談」

 ふと、聖ちゃんのぬくもりが離れ、明るい声でそんな言葉が聞こえた。

「………え?」

「知らなかったり、嫌だっていう子に無理やりなんてしないわよ。撫子さんが可愛かったらちょっとからかっただけ」

「え、えと……」

 本気でされるんじゃないかっていう恐怖すら感じてた私には聖ちゃんの言葉がどこか遠くに感じられた。嘘じゃないんだろうけど、本気でもないようなそんな感じがするの。

「………あ、ありがとう?」

「っぷ、なんでそうなるのよ。撫子さん貞操の危機だったのよ?」

「あ、そ、そうだよね」

「はは、納得されるのはそれはそれできついけど。まぁ、いいわ。ほんとごめんなさいね。私の勝手な勘違いでこんなところに呼び出しちゃって」

 いつもクラスで見せてる時みたいな、どこか一線引いたような笑顔をして聖ちゃんは私の横を通り過ぎるとドアに近づいてカギを開けて、ドアを開いた。

「さ、もう行っていいよ。怖い思いさせちゃってごめんなさいね」

「あ………うん」

 聖ちゃんが呼び出したんだからもうここにいる理由がないのはその通りで、言われたとおりにするべきなんだろうけど、なぜか足は動いてくれなかった。

 何も知らない時に呼び出されて、あんなことされたんだったらすぐに逃げて行ったかもしれないし、もう聖ちゃんとお話ししたいとも思えなくなっていたかもしれない。

 でも、私は今、いっぱい悩んでて、聖ちゃんは……そういうことに関してなんでも知ってるようなそんな雰囲気があった。

「撫子さん?」

 いつまでたっても動こうとしない私を不思議がった聖ちゃんはドアから離れるとまた私のほうに近づいてきた。

「あ、あの、聖ちゃん!」

「わっ、っと。な、なにかしら?」

 聖ちゃんは、知ってる気がする。私が、今の世界と付き合うためのヒントみたいなものを。

「聖ちゃんは……その、いっぱい……知ってる、んだよね」

「ん?」

「そ、その……えと……あの」

「葉月さんたちがしてるみたいなこと?」

「………っ」

 はっきりそう言われると、かぁあって体が熱くなった。

「ふふふ、やっぱり教えてほしいの?」

「え!? あ、そ、そうじゃなくて」

「はいはい。わかってるわよ。まぁ、人よりは詳しいでしょうね」

「そう、だよね。………そういうのって……みんな、してるの、かな?」

「どういうこと?」

「み、みんな……キスとか、したりしてるの、かな」

「んー?」

 いきなりこんなこと聞いて、聖ちゃんもなんのことだかわからないって思う。でも、私にとってはすごく大切なこと。それがわからなくて、私は世界での孤独を感じてるんだから。

「みんな、ってわけじゃないと思うけど」

「そ、そうなの!?」

 それは私が誰かから欲しかった言葉で、思わず大きな声で聞き返しちゃった。

「まぁ、私も全部を知ってるわけじゃないけど、みんなってことはないわよ。というか、撫子さんにも大体わかるんじゃない? 誰が【そう】なのかって」

(っ……それ、は……)

「わかる人ってやっぱり違うわよ。同じこと見ても、聞いても知ってるって反応するし、それに見てわからない?」

「…………」

「葉月さんたちもだけど、ちょっと違うでしょ。そういう人たちって」

「………う、うん」

 その通りだって、思う。知ってから、葉月ちゃんたちを始め私がそう思ってる人たちのことを見ると違うっていうのがわかる。

 普通にお友達と話すよりも少しだけ距離が近かったり、スキンシップが多かったり、髪とか触ってたり、会話の端々にそういうのを思い起こさせるようなものがあったり、違うなとはなんとなく思ってたの。

 でも、他のことを何も知らない私はそれに自信も持てなくて、結局人といるのが怖くなっちゃってた。

「そ、っか……うん。ありがとう、聖ちゃん」

(そっか、私……【一人】じゃないんだ。)

 みんなが葉月ちゃんと藍里ちゃんみたいなことをしてて、私だけ何もしないでいるのかと思ったけど、違うんだ。

 聖ちゃんは私なんかよりも全然そういうことを知ってるからこそ、説得力があって私を不安の海から引き揚げてくれた。

「お礼を言われるようなことはしてないと思うけど……あ、というかね」

「なぁに?」

「キスとか、そういうのに興味ないんだったらあんまりそんな目で見ないほうがいいと思うわよ。私みたいに勘違いしちゃう人もいるかもしれないし、そういう人がみーんな私みたいに優しくはないだろうからね。問答無用でキスとかされちゃうかもよ?」

「う、うん……聖ちゃんは優しいもんね」

「あはは、それは別に頷いてもらうところじゃないんだけど……まぁ、いいわ。キスは残念だったけど、今日話せてよかった。撫子さんって思ってたより面白いわよね。それに可愛いし」

「そ、そんなこと……」

「そうやって、照れてるところも可愛い」

「う………」

 もし、聖ちゃんじゃない人にこんなこと言われたらまた変な想像をしてたかもしれない。でも、今はただ純粋に恥ずかしいって思うだけ。

 そう思えるようにしてくれたのは聖ちゃん。

「はいはい、っていうか、そろそろここでよっか。可愛い撫子さんと二人きりでなんかいたら、抑えきれなくなっちゃうかもしれないし?」

「も、もう!」

 怒りながらも私は笑顔になれていた。ここしばらく愛想笑いしかできてなかった私にとって久しぶりの本当の笑顔。

(今日は、よく眠れそう)

 色々びっくりしたけど、聖ちゃんと話せてよかった。

 って、今は単純にそう思ってた。

 

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