聖ちゃんが何を言ってるか、理解できなかった。
ちゃんと聞いてたけど、意味がわからない。ううん、わかりたくなかった。
「あは」
「?」
私が真っ白になってると聖ちゃんはこの場には合わない声で笑った。
「別に撫子さんが想像してるようなことじゃないわよ。……ほとんど無理やりだったのは本当だけど」
「聖ちゃん……あの……」
何か言った方がいいのかな? それとも言わないほうがいいの? 聖ちゃんに話させて、思い出させて、いいの?
だ、だって………だって! 無理やりって言ったんだよ? そんなことを思い出せさせていいの?
「……撫子さん。聞いて、私なら大丈夫だから」
「っ、……」
聖ちゃんの目。
さっきと同じ決意と哀しみと恐怖を混ぜた瞳。
そうだ。私がこんなにあたふたしてどうするの。聖ちゃんは本当は誰にもはなしたくないはずなのに、私のことを信じて話してくれてるんだから。
私は、うんってうなづくのと同時に聖ちゃんの手を握る手に力を込めた。
「その日は、何か嫌なことでもあったんだと思う。あの音楽室で待ち合わせしてて、なかなか来てくれなくて……来たと思ったらずっと黙ったままで………急に、キスされちゃった」
私とほとんど同じだ。ううん、あえてそうしたのかも。
「それは、びっくりしたけど。嬉しかった。もうその頃には大好きだったから。キスしたいとも思ってたから。けど……」
手の中にある聖ちゃんが震える。
「そのまま……押し倒されちゃった………」
「聖ちゃ……っ」
最後まで言わないで私はとどまった。今邪魔しちゃいけないって思ったから。今聖ちゃんのことを止めたら聖ちゃんはもう話せなくなっちゃう気がしたから。
「……そのままもう一回キスされて……舌が入ってきて……胸を触られちゃった。そこでやっと何されるのかわかって、すごく怖くなって逃げたかった。けど、目が合っちゃったの」
何もできない自分が悔しい。けど、今はこうすることがきっと一番だ。
「……泣いてた。何に泣いているのか私にはわからなかったけど、それで何かあったんだって気づいて、少しでもその傷を癒してあげたい。受け入れることが少しでも慰めになるのならって……私は………全部をあの人に……捧げたの」
「っーー」
聖ちゃんの言葉が女の子にとってどれだけの意味を持つのかわかって、私はいてもたってもいられなくなって聖ちゃんに抱き着いていた。
「もぅ……もういいよ、聖ちゃん! もうお話してくれなくていいから!」
涙に濡れた目で私はそう訴えていた。だって、こんなこと思いださせちゃいけないことだから。
「………怖かったけど……痛かったけど、それでもその時の私は……幸せだって思ってたわ。これで、あの人の恋人になれたんだって」
聖ちゃんは私の頭を優しく撫でてくれながらお話を続ける。
「それからも、しばらくは様子がおかしくて……あの人を慰めることも多くて……私たちはいつしかのめり込んでいったの。こんなのはおかしいかもしれないとは思ったけど……それ以上に私はあの人が好きだったから、後悔はなかった。けど………」
最後の【けど】だけ、響きが違った。それがどういう意味か考える前に
「……終わりは来たの」
聖ちゃんから答えをもらった。
「………あの人は卒業したら遠く学校に行くのは聞いてた。それは寂しかった。でもすぐ連絡するからって言われて、私は……子供だったからそれを信じてた。あの人を、好きな人を信じてたの」
(ふぁ……)
聖ちゃんが私のことを抱き返してきた。
「けど、あの人が卒業して……この町からいなくなって……私は待ってた。あの人からの連絡を、あの人からの言葉を」
もうここまで来たら聖ちゃんに何が起こったかわかる。
わかりたくなくても、わかってしまう。
「だけど、いつまでたってもあの人から連絡が来ることはなかった。一週間たっても、一か月たっても。その意味を私はわかりたくなかった。でも……認めるしかなかった」
「……聖ちゃん!」
呼ばずにはいられなかった。私が何をいっても聖ちゃんが止まることはないっていうのをわかっても私は聖ちゃんのことを呼ばずにはいられなかった。
「あぁ……私は捨てられたんだって」
乾いた響きが私の心を押しつぶす。私が体験したわけじゃないのに心が痛くてたまらない。
「それからはひどかったわよ? 学校にすらいけなかったし、一週間くらいはずっと家に引きこもってた。あの人のことを考えながらね」
それはどれだけの絶望なんだろう。もう来る当てのない連絡を待ちながら、好きな人のことを考える。すべてをささげた相手のことを。
「私はあの人が好きだった。あの人のためならなんでもできた。なんでもした。でも、あの人は私を捨てた。何も言わずに、何も言わせずに」
私はそんなことすら言えなかった!
聖ちゃんのその言葉がよみがえる。あの時は何のことだか分らなかった。けれど、今はどれほど大きな意味だったのか分かる。
「そして、思ったわ。こんな人だとは思わなかったって」
(っ……)
それも心に残ってる。あの後輩の子と話している時、その言葉を聞いた瞬間聖ちゃんの様子が変わった。その理由も今なら。
「けど、私はそれでもあの人を恨み切れなかった。だから、私はいつからかこう思うようになったの。私がいけなかったんだって、あの人のことをちゃんと知りもしないでただ好きだっただけの自分が悪かったんだって、あの人が何か悩んでるのを知りながらただ恋人としての時間を過ごそうとした私が悪かったんだって」
「そんな! そんなことない!」
私には聖ちゃんがそう思う理由がわからない。ううん、少しだけならわかる気はする。私だって聖ちゃんのこと嫌いになれなかった。でも……でも
「聖ちゃんは悪くなんてないよ。その人が……っ」
私はただ聖ちゃんを慰めたくてその人が悪いって言おうとしてた。でも、聖ちゃんは
「……やめて」
私の言おうとしていることをわかっているかのように静かにそう言っていた。
「っ!」
それに呼応して私も口を結んだ。だってそれを言うことは私が聖ちゃんを悪いって言ってるのと同じだから。それに、聖ちゃんは……望んでないはずだから、好きな人を悪く言われるのを。
「……やっと立ち直れたころにはこの学校に入ってた。でも、本当は立ち直ってなんかなかった。私はおかしくなってた。簡単に人にそういうことを求めるようになってた。あぁ、今更弁護することじゃないけど、傷つけようとか遊びでとかじゃないわ。そういうことに興味ある子っているの。そういう子たちに女の子同士の付き合い方を教えてあげたりしてただけ。まぁ、キスくらいは結構してたし、たまにこの前みたいに傷つけちゃうこともあったけどね」
そうか……だから聖ちゃんは最初。
あの時の聖ちゃんの意味がわかった。けど、一番肝心なこと、どうして聖ちゃんが私のことを【嫌い】になったのかはまだ。
「……撫子さんを嫌いになったのは……ただの逆恨みなのよ」
「え?」
「……私とあの人のことを知ってる人は多分いないって思ってる。でも、そんな確証どこにもなくて、どこからあの人とのことが知られるのか怖かった。だから……撫子さんが私の昔のことを調べてたって聞いて、それだけで貴女のことが……嫌になったの。それに……忘れたいって思ってるのに、あの人のことを思い出させたから」
「…………」
私からは何も言えない。私にはもちろんそんなつもりはなかったけど、でも聖ちゃんが傷つく気持ちもわかるから。
「それに……好きって何って聞いてきたことあるでしょ?」
「う、うん」
それは奏ちゃんの時。私はどうやったら奏ちゃんの力になれるかを考えててでも好きがわからなくて、聖ちゃんにどういうことなんだろうって聞いたことはある。
「……あの人に捨てられて、私……ずっとそれを考えてた。あの人は私を好きって言ってくれたのに、私を捨てた。あの人の好きはなんなんだろうって。好きって言う相手に嘘をついて裏切ることがあの人の好きだったのかなって。そんな言葉に流されてあの人を好きになって、全部をささげた私の好きはなんだったのかなって。私にとっての好きは……傷つけられて、傷ついたものだけ」
私も好きが何かなんてわからない。ただ、聖ちゃんの知った好きは………
「……好きっていう意味を私はずっと探してて、わからなくて。そのたびにあの人のことが頭によぎって………苦しかった。……偶然だなんてわかってるけど、貴女は私にあの人のことを思い出させた。それも何回も……私に嫌な形で」
「聖ちゃん………」
確かに私は悪くないのかもしれない。聖ちゃんの言うとおり、それは逆恨みなのかもしれない。
けど、知らなかったから悪くないだなんて言えないよ。
聖ちゃんの過去を知っちゃったら。
「ふふふ、最低でしょ? 私はあの人にされて傷ついたのに、そんな逆恨みで撫子さんに同じことをしようとしたのよ? ううんもっとひどい。初めから私は撫子さんを傷つけるために、撫子さんに好きになってもらえるように振る舞ってきたんだから。ははは、言葉にするとほんと最低ね」
「……………」
何か言わなきゃ。
「……そんなことしたって、何にもなるわけじゃないのにね。ただ……貴女に感情をぶつけて楽になろうとしてた」
何か。
けど、何を?
最低なんかじゃないって否定するのは簡単かもしれないけど、それが聖ちゃんの心に届くの? これだけ傷ついてきた聖ちゃんに私なんかの言葉が意味あるの?
私にできることって、何?
何にもわからない。
何をしても、何を言っても、聖ちゃんのように傷ついたことのない私なんかじゃ意味がないようにしか思えない。
だって私はこれまでまともに恋をしたこともない。失恋したことも、そんなにつらい経験をしたことも。
そんな私じゃ……
(……違う)
何もできないかもしれない。それは、そうかもしれない。
けど、私のしたいことは………?
できるとかできないとかじゃない。
私のしたいこと……
「……撫子、さん?」
私は体を離して聖ちゃんのことを見つめた。
想像以上の過去に涙をする聖ちゃん。その目には涙が浮かんで、その表情は悲しそうつよりもどこか達観的で、それでいて無理がにじみ出ているようなそんな顔をしている。
私のしたいこと。
(それは)
肩を掴む。
(聖ちゃんを)
力を込めて聖ちゃんのことを引き寄せる。
(笑顔にしたいっていうことだ)
そして、私は聖ちゃんの唇に自分の唇を重ねていた。