「? 聖ちゃん……」
聖の本音に撫子はぽかんとした顔になった。それほど撫子からしたら予想外の言葉だった。
別れようと言ってきたのに、嫌い等否定の言葉が出てくるのではなく幸せになって欲しい。
聖にとっては重大なことでも撫子からしたら意味がわからないと言っていいだろう。
「貴女が……好きよ」
だが、聖は真剣だ。
本気でそう思うからこそ、撫子との別れを望んでいる。
「……私はもう人を好きになることはないって思ってたもの。あの人に捨てられて、もう人のことなんて信じられないって思ってたし……なにより、また傷つくことになったらって思うと、好きになるなんて考えもしなかったの」
誰かを想えば、傷つくかもしれない。
それは誰にだって起きえるリスク。友情でも、愛情でも、人を信じても期待通りの結果が帰ってくるとは限らない。
まして、聖のように一度裏切られた人間にとってまた同じ痛みを味わうかもしれないなど、想像だけでも耐えられないだろう。
「撫子さんのことを受け入れたのは……罪滅ぼしでもあったの。撫子さんが、私なんかと一緒にいたいって思ってくれるのなら、それに応えなきゃいけないって……多分、それが理由だった」
思えば、好きになったのはあの時点でだったかもしれないが、その時は自分を許し、受け入れようとしてくれた撫子に応えたかったというが一番だった。
ここで撫子を受け入れなければ撫子を悲しませてしまう。その思いで撫子の恋人になった。
「けれど……撫子さんと一緒にいるうちに……貴女への気持ちが大きくなっていった。会えるだけで嬉しくなって、もっと話がしたいって思って、もっと一緒にいたいって願うようになった」
その気持ちに素直になれればよかったんだろうし、普通はこんなこと考えもしないんだろう。
「また、人を好きになれた。それは多分、すごくいいことだろうし嬉しいとは思う。そして、好きになれたっていうことにまた貴女を好きになった」
しかし、聖は普通とは言えない。
「……けど、それを思えば思うほど……私じゃないって思うのよ」
聖の考え方はおそらく撫子には理解できないものだ。
「……色んな人にキスとか、してきたから? それとも、私のこと傷つけようとした、から?」
「関係ないとは言わない……言えない」
それももちろん悩んだことだ。
これまで好意を利用して意図的に人を傷つけたこともあるし、撫子にも同じことをしようとした。
そんな自分が今更普通に人を好きになっていいか。好き資格があるのかそれを考えはした。
「でも………そういうんじゃないの。私は……私は、自信が、ないのよ」
撫子にはわかってもらえない思考かもしれない。しかし、聖は本気で語っていた。
締め付ける胸が、潤む瞳が心を訴えている。
「私はきっとまともじゃなくなってる。あの人に裏切られて、人の心を弄んで。貴女を傷つけようとして……なのに、貴女に許してもらったからって貴女を好きになって。……勝手に別れようとしてる。こんな私が誰かを、撫子をさんを幸せにできるなんて思えない。自分勝手で、我がままで、そのくせ人の気持ちばかり探ろうとして、私なんかに人を幸せにできる資格も、力もないのよ」
自分の中ですらまとまっていない気持ちを聖は歯切れ悪くも吐き出していった。
(あぁ……なにやってるんだろう)
ただでさえ落ち込んでいた聖は自分が言葉を作れなかったことにさらに気持ちを沈める。
「聖ちゃん………」
撫子はそんな聖を見つめて、ポツリと好きな人の名前をつぶやく。
聖の言葉にははっきり言って説得力がない。漠然としすぎているし、まとまってもいない。
相手が撫子以外だったら、呆れてしまうような抽象的な事態。
(……聖ちゃん)
今度は口には出さず心の中だけでつぶやき聖を見る。
聖の心を見つめる。
そこに見えるのは小さな女の子。
年相応に弱さと、身似合わぬ経験から得た強さと責任と、脆さ。
(…………そっか)
それをみた撫子は何かを感じて心で頷く。
(……聖ちゃんも私と同じだ)
一人じゃ何もできないか弱い女の子。
いろんなことを経験していても、知っていても、そんなに強いわけはない。強いふりはできても本当の意味で強くなんてなれない。
そして、同時に思う。自分のことを大切に考えてくれているんだということを。そのせいでこんなにも苦しんでくれているんだっていうことを。
(だから……支えるよ。私が)
「聖ちゃん」
撫子は自分の心に従って聖のことを抱きしめる。
「………やめて」
撫子の暖かさを感じながら聖は絞り出すように言った。
これが撫子の優しさからきているのがわかるからこそ、聖はそれに触れるのが怖い。
「やだ。聖ちゃんが考え直してくれるまで離さない」
「…………撫子さんは、責任を感じる必要なんてないのよ。これは私の問題なんだから。私が……弱い、だけなんだから」
聖は撫子の行動をそんな風に決めつけて再び自己否定の言葉を吐いた。
「………っ」
瞬間、撫子の腕に力がこもる。
「違うよ、聖ちゃん。聖ちゃんのせいなんかじゃないよ」
「……何言ってるのよ。撫子さんに責任があるとでも言うの?」
「……うん。そうだよ」
「っ!」
撫子の突拍子もない言葉に聖は息を飲む。
「………な、撫子さんの何が悪いって言うの? ……そういうの、やめてよ」
「だって、私たちは恋人同士だよ?」
「………っ」
聖は今この時ばかりは抱きしめられていてよかったと思う。
泣きそうな顔を見られたくなかったから。
「聖ちゃんのことは、聖ちゃんだけのことじゃないんだよ。私も一緒に悩まなきゃいけなかったの。なのに私は勝手に聖ちゃんの気持ちを決めつけて、聖ちゃんが悩んでるのにも気づけなかった。だから、私だって悪くないだなんて言えないよ」
「っ、そ、そんなのは気づけなくたって当たり前でしょ!? 全部を気づけるわけないじゃない」
「……うん。かもしれない。けど、そのせいで聖ちゃんが苦しんでるのならやっぱり私も悪いんだよ」
「っ……」
(……まずい)
聖はそう思った。
撫子の言葉に力がある。抱きしめる腕に想いを感じる。
それはあの夜と同じ。撫子を受け入れ、好きになった夜と同じ。
(……駄目、駄目よ……)
こうなった撫子はおそらく引くことはないだろう。
聖のすべての言葉、すべての行動を真正面から受け止め、そして純粋な想いを返してくる。
(……それも、私が欲しい想いを)
それを意識した瞬間聖はぎゅっと目を閉じた。
(違う! 撫子さんとはもう……)
別れるつもり。どんなことを言われても強い思いを向けられてもそれをはねつけなければいけない。
(だって、こんなことで受け入れていたらそれこそ……)
まるで撫子の気を引きたがったあまりに別れを持ち出したような気にすらなってしまう。
(そんなことは……そんなことだけは……)
それこそ自分を許せなくなってしまう。そんな自分を受け入れられなくなってしまう。
「それにね、聖ちゃん。聖ちゃんは私を幸せにできないなんて言うけど、そんなことないよ」
(……っ)
「だって、私幸せだもん。私は聖ちゃんとお付き合いしてから、ずっと幸せだったよ」
「…………」
やめてと言いたかった。しかし、今の撫子にそんなことを言える勇気など聖にはないしその言葉を嬉しいと感じてしまう自分がいることも確かでそれが余計に聖のことを苛む。
「朝おはようって挨拶するのも、授業中に目があったりするのも、放課後音楽室で秘密の時間を過ごすのも、全部大好きで幸せだったよ。他の誰かじゃそうなったりなんかしない。聖ちゃんだから私幸せなんだよ」
「っ……」
撫子の腕の中で、撫子の香りと温もりに包まれながら、撫子の想いを感じる。
強固な決意で撫子との別れ決めた聖の心を溶かし、その優しさにすがってしまいそうなほど撫子の言葉は強烈だった。
だが。
(もう決めた……決めたの! 私じゃないって)
それはもう意地と呼ぶものかもしれない。誰のためにもならないただの意地かもしれない。
(……何、してるのかしら……)
それでもそれに固執するしかない。
意地だとわかっても、おそらく誰のためにもならなくても聖はそれにすがりついた。
理由もはっきりしない。いまだにそのほうが撫子のためと思っているのか、それとも受け入れてしまいそうな自分を許せなくなるからか。
わからないが、とにかく聖は最初の目的だけを盲目的に見つめ
「……撫子さん」
撫子を抱き返した。
(……あぁ、私……)
偽りの抱擁と。
「ありがとう」
偽りの感謝の言葉を述べて。
(……最低だ)