「帰ろう」

 

 あの後、奏ちゃんが絞り出すように言ったのは、言えたのはそんな一言だけだった。

 きっと今にも泣きそうな顔をしていたって思う。精いっぱいに感情を隠そうとしてでも、溢れだした気持ちが声に表れていたから。

 でも、どんな顔をしてたのかはわからない。

 奏ちゃんはずっと俯いていて、顔を見せてくれなかったから。

 覗き込むなんてもちろんいけないことだからしなかったけど、それ以上に奏ちゃんがどんな顔をしているのか見るのも怖かった。

 だから、私は帰ろうっていう奏ちゃんに小さくうなづくことしかできなくて、帰りのバス、時間的にほとんど人のいないバスに乗っても、奏ちゃんに声をかけることもできなかった。

 奏ちゃんは、伊藤さんのことを嫌いっていったり、もう友だちじゃないって言っているけど、それは嘘だって私は思ってる。ううん、わかってる。

 きっと、奏ちゃんは仲直りしたいって思ってる。でも、キスを見たことがショックすぎたのと、ひどいことを言っちゃったっていうのを気にしてるから素直に謝れないんだって思ってる。

 全部がその通りじゃないだろうけど、間違ってはいないとも思うの。

 本当は、今日そういうお話もちょっとしようかとも思ってた。奏ちゃんのおかげでみどりちゃんと仲直りができた。だから、奏ちゃんもきちんと話せば想いは伝わるよって。

 そうして、少しでも奏ちゃんの力になれたらって、考えてた、けど……

(……………)

 隣の席の奏ちゃんを見つめる。

 今はうつむいてないけど、窓の外をじっと見てやっぱり私のことは見てくれない。

 今、どんなことを考えてるんだろう。伊藤さんのこと? それとも、伊藤さんと一緒にいた子のこと?

(……あれ?)

 それは、ない、よね? だって奏ちゃんのお友達は伊藤さんの方で、一緒にいた子は、もしかしたら奏ちゃんの友だちかもしれないけど、親友って言ってたのは伊藤さんの方だから、伊藤さんのことを考えてるに決まってる、よね? 

 なのに、どうして変なこと考えちゃってたのかな? 

 キッ

「っ!」

 私が変なことを考えてる間にバスはいつのまにか、ほんの一時間ほど前に私たちがいた場所についたらしくて、バスが止まると同時に奏ちゃんは無言のまま立ち上がって、バスを降りていく。

 私も遅れないようについていって、誰もいないバス停に降りた。

 ビュウゥ

 途端、冷たい風が体に吹き付ける。

(……寒い)

 今日はそんなに気温が低くないって言ってたのに、すごく寒く感じた。

 奏ちゃんを見てたら、そう感じた。

 バス停にぽつんと立つ、奏ちゃん。

 もともと私よりも背が小さいけど、今はもっと、もっと小さく、まるで迷子の子供みたいに見えた。

「かなっ……」

「撫子」

「っ!」

 なにも言えることが思いついてないのにとにかく何か声をかけたかったけど、その前に、ううん遮るように奏ちゃんは私のことを呼んだ。

「ごめんね、私の方から誘ったりのに、さ」

「う、ううん。気にして、ないよ」

「そ………あんがと。あ、は。今日は、もう……帰る、わ。ほんと、ごめん。後で、なんか埋め合わせるから」

 心から申し訳なさそうに奏ちゃんはそうやっていうと踵を返してすぐに歩き出した。

 その背中はやっぱり、迷子みたいで。

「ま、待って!」

 私はそう声をかけて奏ちゃんを追いかけた。

「こ、これから奏ちゃんのお家に行っても、いい?」

 そして、みどりちゃんの時に言ったことと同じことを、全然別の意味で込めて伝えた。

 あの時は、一人になりたくなかったから。

 今は、奏ちゃんを一人にしたくないから。

「………………」

 奏ちゃんのすぐ後ろまでは来たけど、私は奏ちゃんの正面には回らずに奏ちゃんの答えを待った。

 ドキドキ、する。

 私がこうしてるのは確信もなく、私が心配してるようなことなんて全部私の思い込みかもしれない。だから、こんな少しの時間がすごくドキドキした。

 しかも、

「………ごめん。一人にして」

 奏ちゃんの答えは拒絶だったから。

 そういって奏ちゃんはまた歩き出した。

「ぅ………」

 そうやって言われたら、黙るしかなくて私は一歩、また一歩遠くなっていく奏ちゃんを見て

 いけない、ことを考える。

 だって、やだって言われちゃったんだよ? これ以上何か言ったってきっと駄目って言われるよ? ただ、奏ちゃんを困らせちゃうだけになっちゃうよ?  それに奏ちゃんのお家にいって何ができるの? 私は奏ちゃんと伊藤さんのこと何も知らないんだから、何も言えることなんてないかもしれないよ? 変なこと言って奏ちゃんのこと怒らせちゃうだけになるかもしれないよ? もしかしたらお友達じゃなくなっちゃうかもしれないよ?

 悪いことばっかりが頭に浮かんだけど

「や、やだ!」

 私は頭で考えたこととは逆のことを口にして、奏ちゃんの手を掴んだ。

「一人になんか、しない、もん」

 自信もなくて、私の方が震えちゃうけどでも、やっぱりこうしたいもん。

「私、奏ちゃんのお友達だもん。力になりたいもん。何にもできないかもしれないけど、そばにいたいもん」

 そうだよ。単純なこと。

 もしかしたら、悪いことになっちゃかもしれないけど、でも、私は奏ちゃんのお友達だから。だから、力になってあげたいの。

 だって、私は奏ちゃんのお友達なんだから。

「撫子………」

 ゆっくりと振り返ってくれる奏ちゃん。

「ありがと」

「っ!」

 でも、その顔は泣いていて

「けど、ごめん」

 そのまま奏ちゃんは私の手を振り切ると走り出していった。

 

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