ふかふかとした青い絨毯の上に立って私は落ち着かない心のまま聖ちゃんのことを見つめている。
聖ちゃんは私が行くまでずっとその場所を動かなかったみたいで、私が第二音楽室の前に着くと、やっとそこで私に気づいてくれた。
どうしたのって聞く聖ちゃんに私はお話したいって言うと、それじゃあって音楽室の中に入れてくれた。
聞きたいのは勇気のいることではあるけど、もう決めているから話しだそうとしたその瞬間。
「ふふ」
って、聖ちゃんが笑った。
「?」
なんでかわからない私はぽかんと首をかしげる。
「にしても、撫子さんって面倒事に巻き込まれやすいタイプなのかしら?」
「え?」
「昼休みから元気ないわよ?」
「ぁ………」
確かにお昼休みに伊藤さんと話して以来、目に見えて元気はなくなった。でも、それはまだ数時間前のことなのに。
……聖ちゃんはそういうのもわかってくれるんだ。
「それに……」
聖ちゃんはいたずらっぽく笑った。
「撫子さんが改まってお話したいっていう時は大体撫子さんが困ったときだもの」
「ふぁ、そ、そういうわけ、じゃ………」
言われてみると、そう、かも。もちろん、他愛ないこととかもお話ししたりするけど、でも、なんだか私、困ったは決まってだけこうやって聖ちゃんに頼ってるのかも。
「あぁぁ、そんな顔しないで。冗談なんだから。それに、相談してもらえるのは嬉しいことよ」
「え?」
「それだけ私のこと、信頼してくれてるってことでしょ。撫子さんにそんな風に思ってもらえるなんて嬉しいわ」
「聖ちゃん……」
素敵、だ。聖ちゃんって本当に素敵。だから、やっぱり頼っちゃうのかもしれない。
「あ、あのね。いきなり、変なこと聞くんだけどね」
「えぇ。なぁに?」
「す、好きってどういうこと、なのかな?」
「………はい?」
聖ちゃんが一瞬、表情を変える。自分のことで精いっぱいな私はそれを見ないで続けていく。
「あのね、私……人を好きになったことって、ないんだ。お友達はみんな大好きだけど。でも、そういう好きじゃなくて……キス、してみたい、とかそういう好きって思ったことがないの」
みどりちゃんのことも藍里ちゃんのことも葉月ちゃんのことも、聖ちゃんのことも奏ちゃんのことも好き。
「……そう」
「今まで、それで困ったこととかないし、いつか自然に知っていくのかなとか思ってたんだけどね。けど、それじゃ駄目、って思うようになったの」
「…………」
「知らないと、わかってあげられないって思うの。何にも、言ってあげられないの。力になれない、って思うの」
何にも知らない私じゃ、言葉が薄くなっちゃう。気持ちじゃなくて、知識からの言葉になっちゃう。
それはいけないことじゃないのかもしれないけど、でも恋は想いだもん。私みたいに恋をしたこともなくて、好きっていうのも全然知らない人間の言葉じゃ奏ちゃんの力になれないって思うんだもん。
「みどりさんのことじゃ、ないわよね?」
「う、うん」
聖ちゃんは確認するように聞いてきて、私が答えるとそっか、と若干遠くを見る。
「ほんと、撫子さんはおせっかいさんなのね」
それから、いつもみたいに優しく微笑んだ。
「そうやってすぐ、抱え込んじゃうんだから」
「だって、お友達のことだもん」
理由は単純なの。
私はお友達にいっぱい助けてもらってる。
だから、私も助けたい。力になりたい。
ただ、それだけ。
「ふふ、まぶしいわ。撫子さん」
「ふぁ……」
聖ちゃんは優しい声でそう言うと私の頭を撫でてくれた。聖ちゃんのなでなで。ちょっとくすぐったくて、恥ずかしいけど聖ちゃんがこうしてくれるとなんだかわたわたとした心が少しだけ落ち着く気がする。
「けど、撫子さんの質問には答えられないわ」
「ふぇ……?」
「撫子さんのそういうところすごく素敵だって思う。お友達のために一生懸命になって、わからないことを知ろうとして。でも、きっと撫子さんがしなきゃいけないのは好きっていうのを知ることじゃないわ」
「聖ちゃん……?」
聖ちゃんが言おうとしていることがわからなくて私は首をかしげたまま、聖ちゃんのことを呆然と見つめる。
「好きって、そういうことじゃないの。誰かに教えてもらうものじゃないし、教えられるものでもないのよ。私が思う好きを撫子さんに伝えても、それは伝わらないわ。私と撫子さんの好きは違うものだからね。好きってその人だけの形があるのよ。だから、聞いて知った気になんかなれない」
「で、でも……」
聖ちゃんの言うこと、わかるし、正しいって思う。
「今のままじゃ………何にもできないんだもん。どうやって力になってあげればいいかも、わからないんだよ」
奏ちゃんがどうしたいのかわからない。背中を押してあげることもできないし、支えてあげることだって、道を示すことだって、何にもできない。そういう気持ちがわからない私じゃ、何にもできないんだもん。
「あ………」
また、聖ちゃんが頭をなでなでってしてくれた。
「そんなことないわ。何もできないなんてことない」
「え?」
「撫子さんは、撫子さんのままその子に向かって行けばいいのよ。何をしたいのかわからなくても、どうすればいいのか見えなくても、何がその子のためになるのかわからなくても。それでも、力になれるのよ」
「どう、やって……?」
「撫子さんが、撫子さんであれば、ね。そんな付け焼刃で好きっていう気持ちを知っても、それこそ力になれないわ。でも、撫子さんが素直な気持ち話せば、撫子さんの気持ちは伝わる。それが、その子力になるのよ」
聖ちゃんの言ってることは、言葉だけじゃない気がする。それだけじゃない重みがある。言葉にさらに気持ちが乗っかってるっていえば、いいのかな。
「それでね、厳しいことを言うかもしれないけどその後のことを撫子さんが気にすることはないのよ。人はね、誰に何を言われても、自分で決めたから何かをするのよ。それで、もし傷つくことがあってもその責任は自分で取らなきゃいけない。それが、生きていくっていうことだって私は思ってる」
気持ちがこもってて、重さがあるからまるで自分とは違う世界のことを言われているように思ってるすんなり心の中に入ってくる。
「だから、撫子さんは考えすぎちゃだめ、私なんかが……とか思ってもダメ。撫子さんは撫子さんのままその子と向かって行って、もしその結果その子が傷つくようなことがあったら、その時は支えてあげればいいの。一緒にいてあげるだけでも、優しい言葉をかけてあげるのでもいい。そうやって、また自分で立ちなおさせてあげる手助けをする。きっと、友だちにできるのはそれだけで、それが一番のことなのよ」
そう言って、聖ちゃんは私に柔らかく微笑んでくれた。
それはまるで、女神様みたいに優しくて、綺麗で。
「うん……」
私を勇気づけさせてくれるものだった。
私は私のままでいいんだ。それでも奏ちゃんの力になれるんだ。
言われてみればそうかもしれない。例え、好きっていう気持ちを知ったとしても奏ちゃんがどうしたいかをわかれるわけじゃない。
私にできることは奏ちゃんを支えることなんだ。奏ちゃんが決めたらそれを応援して、もし気持ちが実らなくても……その時は……これも今はどうすればいいかわからないけど、でも、一緒にいてあげる。奏ちゃんが立ち直れるまで、ちゃんと笑顔になれるまで一緒にいてあげる。
私にできることはそれだけだけど。
それで、いいんだ。
「あの、聖ちゃん」
心の軽くなった私は、やっと自分から顔をあげることができて
「ありがとう」
そうやって感謝の気持ちを伝えていた。
「ふふ、どういたしまして」
さっきと同じように優しく微笑む聖ちゃんが、今どんな気持ちでいるかも知らずに。