「……ふぅ」
お弁当を食べ終え、片付けをしていると、急に先輩が小さなため息をついた。
「どうかしたんですか?」
私はそれを見逃さず、すかさず先輩に聞いてみる。
「え? 何が?」
「いえ、さっきため息ついたいたから」
「あ、ううん。なんでもないの。気にしないで……」
一端はそう軽く首を振ったけど、すぐ考え直したように「……聞いてもいいかな?」と言ってきた。
「何を、ですか?」
何のことかわからないので素直に聞き返すと、先輩はためらうように言葉を発した。
「……その、朝日奈さんて、私のこと嫌いなの?」
先輩は不安そうに私から目を背けて、右手で後ろ髪を撫でている。
当然かもしれないけど先輩も気付いていたらしい、せつなのあの、不躾な態度に。
「なんか、私と話す時いつも不機嫌そうっていうか、冷たいじゃない? だから今日は、涼香ちゃんには少し悪いんだけど、朝日奈さんと一回ちゃんと話したいって思ってたの……ほら、涼香ちゃんの友達に嫌われるなんてやっぱり嫌だから」
憂いの表情でまたため息。
(そっか……)
だから今日、お弁当を作ってきてくれたんだ。せつなと話すきっかけのために。そのことはちょっと悲しかったけど、その言葉は嬉しくもあった。
せつなに、私の友達に嫌われたくないってことは、ちゃんと先輩の中に私がいるっていうことだから。
「……もし、なにか気に障ってたことがあったのならあやまりたいんだけど……涼香ちゃん何か心あたりない?」
いつかは聞かれると思ってたことだけど、答えようがない。私だってせつなのあの態度には不思議に思ってたんだから。
でも、
「あ、あの私の勝手な考えですけど、せつなは別に、先輩のことが嫌いってわけじゃないと思いますよ。せつなは確かに人付き合いもあんまり上手じゃなくて、友達も多い方じゃないし、それに前はちょっとあれでしたけど……でも、それはちょっと不器用なだけで……うんと、その…とにかく何か理由があると思います。だから、せつなのこと、冷たいとか、そんな風には思わないでください」
何を言っているんだかわからなくなってきた。でも、気づけば両手で胸を押さえ熱弁をふるっていた。
理由があるなんて私の思い込みなだけかもしれないし、例えあったとしても、私の考えてるようなことじゃないかもしれない。けど、とにかく何か弁解してあげたかった。
恥ずかしさで顔が上気してしまい、俯く。
「別に、そんな風に思ってるわけじゃ…でも、わかった。このことは気にしないでおく」
微笑みながらいうと、先輩はお弁当の片づけを再開する。お弁当箱のふたを閉め、包んであったハンカチで綺麗に包み直す。それが終わると、「それにしても」と呟いた。
「朝日奈さんは、うらやましいわね」
「え?」
頭をあげ、呆けた顔をしてしまった。一瞬うらめしいとも聞き間違えた。だっていきなりうらやましいだなんて、理由がわからない。
「なにが、ですか?」
わからないんなら聞くしかないと思い素直に聞いてみる。
「涼香ちゃんみたいな友達がいてっていうこと」
やわらかく微笑みながら、先輩は言った。
私はその笑顔に見惚れつつも、結局は何がうらやましいのかはよくわかんなかった。
ただ、無償に嬉しくもなったのだった。
「ふーん……」
放課後、部屋に戻ってからお昼のことを話すとせつなは興味なさそうに言って、部屋中央のテーブルの上にある紅茶に口をつけた。せつなは紅茶が好きで学校から帰ってきたあとは大抵一杯飲む。
「ふーんって何か言う事はないわけ?」
向かい合わせに座ってる私の前にもせつなが淹れてくれた紅茶があるけど、正直私はそんなに好きじゃない。せつなが淹れてくれたのをたまに飲むくらいで、種類とかはさっぱり。色と香りはいいと思うけど味は何を飲んでもそんなに違いが感じられなくて飲んでいてあまり楽しみがない。
そのことをせつなに言うと怒るけど。
「……ない」
カップから口を離すと、私の質問を一刀の元に切り捨てた。
「なんで? 先輩凄く気にしてたんだよ。わけくらい教えてくれてもいいじゃない」
「それでも……ない」
せつなとはもうそれなりに親しい間柄だと思っているけど、まだ知り合って二ヶ月しか経ってない。もちろん友達だからってなんでもかんでも話したりできるっていうものじゃないだろうけどこのことについてはきちんと話して欲しかった。
私は次に出すべき言葉が見つからず、視線を彷徨わせた。テーブルに視線を落としたり、窓の外を見たり、洋服タンス、ベッド、本棚を見てみたり、部屋を一通り見回してみる。そんなことして何かいい言葉が見つかるわけじゃないのはわかってるけどどうも面と向かって、言うべきことが思いつけない。
(あぁ、もう!)
このままじゃ埒があかない。
私は勢いよく頭を振って、せつなに向き直った。
「……じゃあ、これだけは聞かせて。先輩のこと、嫌いなの?」
理由はともかくとして、これさえ聞ければとりあえずはいい。
その質問にせつなはちょっと戸惑いを見せた。
「それは……」
腕を組んで顔を俯けるせつな。意識的か無意識か、せつなは言葉に窮するとこうする。
「……嫌いじゃない。先輩、自身のことは」
どこか言いづらそうだけど、私に気を使って嘘をついているわけでもないと思う。でも本当に言いたいことを隠しているようなそんな感じ。
「そっか、ならいいや」
その言葉を聞いてやっと張り詰めた態度を戻して、私も紅茶を飲む。
わざわざそのことを詮索するほど私は野暮じゃない。私としてはせつなが先輩のことを嫌いじゃないってわかっただけで十分。好きな人が自分の親しい人に嫌われるなんていい気分はしないんだから。
「こっちも聞いていい?」
「いいよ。なに?」
「涼香は先輩の何が好きなの?」
また直球の質問がきたものだ。
けれどそれに対する私の答えは簡単だった。
「秘密、っていうかあんまり話すことじゃないから」
「何よ、それ」
せつなは私の答えに不満そうだけど私だってせつなと同じで言いたくないことはある。
「別にいいじゃない。気にしない、気にしない」
「ふぅ……まあいいわ」
せつなもそれをわかってくれているのかあっさりと引き下がってくれた。
「ところで、明日何時にする?」
「明日?」
いきなり話の話題を七十度(適当)変えられても……
「明日買い物付き合ってくれるって言ったでしょ」
「あ、それか」
そういえば三日くらい前にそんなこと言われて了解していた気がする。その時は、時間なんて後で決めればいいと思っていたせいで、先延ばしになりまだ決めてなかった。
私は特に欲しいものもないし、ちょっと面倒だけど、約束しちゃったんだからしょうがない。どうせ休みの日なんてやることないし。
「何時でもいいよ。そっちが決めて。あ、でもあんまり早くは嫌だからね」
低血圧ってわけじゃないけど、やっぱり休みの日くらいゆっくり寝たい。
「じゃ、こっちでお昼食べてからでいい?」
「おっけー」
で、次の日。
せつなに付き合い参考書やら、小物やらその他を見て回り一通り用がすむころには日が傾きかけていた。そろそろ帰ろうかとも思ったけど、少し疲れたので喫茶店によって一休みしていこうということになった。
「いらっしゃいませー」
店員さんの明るい声が迎える。私たちは身近にいたその人に案内されるままに窓際に席を取った。
木の椅子に木のテーブル。天井は梁が見えていて、壁は綺麗に黒光りしている。
はじめてくるところだったけどレトロな感じがしていい。私はどちらかというとこういうちょっと古めなのが好きだ。席と席の間や窓を上、天井に植物や綺麗な花が飾ってあるのも気に入った。
「それにしても、何で涼香の方が荷物多くなってるわけ。私の付き添いで来たのに……」
私の隣においてある荷物を見ながら少しあきれながら言う。
「え、あ、あはは……」
せつなの言うとおり私が買ったものの方が多い。せつなは決めたもの以外ほとんど買わないけど私は色々目移りしちゃって余計なものまで買ってしまう。そのせいで本来ならすぐ済むはずの買い物がこんな時間にまでなってしまった。
「ま、いいけど……そういえばこうやって二人で出かけるのって久しぶりよね」
「言われてみれば……いつ以来だっけ?」
「二人で出かけたのは……」
そこまで口に出してせつなは言葉を詰まらせ、気まずそうにする。
私はその意味をすぐに察した。
「そっか、学院祭の前の日にさぼってきたとき以来になるんだ。あ、じゃあ初めて出かけたときから一回も二人で出かけてないんだ」
ちなみに学院祭は文化祭とは別物で、まぁ新入生の歓迎会っていうとちょっと語弊があるけどまぁ、学校内だけの内輪のお祭りみたいなもの。一年生はやることないから前日は半日で授業が終るんだけどその日、私とせつなは丸一日学校をさぼってしまった。
「そっか……あの時以来かぁ」
少し笑いながらせつなを見る。
「……なによ」
不機嫌そうにせつなは私から顔をそらした。
「べっつにぃ」
私はそんなせつなをこれまた笑いながら見る。
今でこそせつなとはこんな関係だけど高校になって初めて会ったんだから最初からそうだったわけじゃない。会った頃のせつなは……
「もう、いいでしょ! 早く頼むわよ。時間そんなに無いんだから」
メニューを叩いて、せつなはこの話題をはぐらかせようとした。
自分から振ってきたくせに。
(ま、気持ちはわからないでもないけど)
でもせつなの言うとおり時間はないといえばない。寮には門限があって、それを破ると色々と罰則がある。私たちは前サボった時には、しっかりと門限破りをして、指導と罰を受けている。一ヶ月やそこらでまた同じようなことするのはよくはない。
私はメニューとって眺めた。
「何にしようかな?」
メニューには写真付きでケーキや、パフェ、ドリンク、軽食などが載っている。
こういうのはどれもおいしそうに見えてなかなか決められない。
それに大体の品にお勧めってついてるのはどうかと思う。
「……その優柔不断なんとかしたら」
せつなはもう決めてしまったのか、呆れたように言いながら窓の外を眺めていた。せつなはこういうとき本当に即断即決をする。でも買い物とか食事の時はこうやってどれにしようか選んでいる時間も楽しさの一つだと思う。
「あ……」
と、せつなが急に声を上げた。
「ん? どしたの?」
メニューから顔を上げて聞いてみると、せつなは明らかに動揺しながら、「な、なんでもない」と言って、視線を窓から店内に戻した。
そんな態度を取られると逆に気になる。
私はせつなさっきまで見ていたであろう方向に目を向けてみる。
「あ、涼香!」
「…………っ!」
人波の中ではあったけど、私は一瞬でそれをみつけ、そして、せつなの動揺の意味も理解した。
「せん…ぱ…い」
道路の向こう、バスの停留所に藤澤先輩がいた。
ただし、一人じゃなくて男の人と。何か、話している。
「………………」
今私が感じた、この気持ちをなんて表現したらいいのかわからない。この前せつなに先輩に付き合っている人がいるって話を聞いたときとは比べ物にならない程の喪失感がして、同時にはらわたが煮えくり返るような気分になって、でも先輩を、先輩の笑顔を見ているとそれはすぐにどうしようもない敗北感と、言いようのない絶望感になって私にのしかかってきた。
一緒、だ。あの時と…………
感じてしまった。私じゃかなわないって。
一目みただけなのに、そう感じてしまった。
見たくないはずなのに、目が離せない。まるで体が自分の物じゃないみたいにいうことを聞いてくれない。
「涼香……」
「…………」
数分、だったのか数十秒だったのかすらわからないけど、バスが来て先輩だけが乗っていった。おそらく家に帰るのだろう。一緒にいた男の人はバスを見送ってからバスとは反対方向に歩いていく。
二人がいなくなったというのに私はバス停から目を離せなかった。そこにあるものじゃなくあった光景を見ている。
「涼香……」
せつなが私を呼ぶ。
私はまだ目が離せない。
(………………?)
不意に手に暖かなものが触れた。見ると向かい側に座っていたはずのせつなが私の隣まできて私の手を握ってくれている。
「涼香」
そうして三度私の名前を呼んだ。
「………帰ろう」
「……………うん」
いつの間にか私の頬には涙が伝っていた。