帰りのバスに乗っても私の心は落ち着きを取り戻すことはなかった。過ぎていく景色がやけに無色で淡白なものに感じられる。

 まだ頭の中がはっきりしなくてさっきの事が良く考えられない。考えたくない。

 せつなも喫茶店を出てから何にも話しかけてこない。ただ時折心配そうにこっちを見るだけだった。

 流れていく景色が止まった。どうやらバスが停車したらしい。

「涼香、降りよ」

 バスが止まるとせつなは急に私の手を引いて立ち上がった。私はせつなに引かれるままにバスを降りる。

「って、え?」

 降りたところは寮の前じゃなかった。そこから一つ前のバス亭。

「……少し歩いていこ」

「うん……」

 ここからなら寮まで十分くらい。この辺からちょうど坂が始まり、ほとんど人家はなくなってくる。舗装された道路脇の歩道の間には植え込み、さらに周辺にも木々が生い茂り、坂の上方を見ると、木々の葉たちがゲートを作っているかのようだった。

 その中を二人で歩く。ただし、足取りは重い。

 せつなが私に気を使ってくれたのはわかる。一つ前で降りたのはこうやって体を動かせて気を紛らわせそうとしてくれているんだと思う。じっとしていると変に考えすぎちゃうから。それこそ部屋に戻ったりなんてしたらもうこのことしか考えられなくなる。

 でも、こんなことでそれを遅らせようとしても結局は何の解決にもならない。

 足取りがさらに遅くなる。

(やっぱり私はだめなのかな……)

 最初から無茶だったのかな。いくら想っても先輩が私のことを想ってくれるなんてないのかな。私の想いが実ることなんてない、のかな。

ここに来る前と同じ様に……

 足が、止まった。

「涼香……?」

 せつなも立ち止まり、私の正面に立つ。私は今の顔を見られたくなくて俯いたまませつなを見ない。

「えっと、うまく言えないけど、元気、だして……ほら別に涼香がふられたってわけでもないし……それに、そもそも先輩があの人と付き合っているとは限らないし」

 たとえ違ったとしても。

「先輩……私といる時より嬉しそうな顔、してた」

「そ、そんなこと遠目にみただけじゃわからないでしょ」

「……わかるよ。ずっと先輩を見てきたんだもん」

「あ……」

 せつなが息を呑んで、一歩後ずさる。

 そう。好きになってからずっと先輩のことを見てきたけど先輩のあんな顔ははじめてみた。私に見せている笑顔とは違う。どこがっていうんじゃなくて根本的に何かが違っていた。そういうことを感じる力は多分、人よりもずっと優れている。

「……あきらめちゃおう、かな……」

 一昨日にはあんなこと思ったのに、口からは自然とそんな言葉がもれた。

「えっ?」

 急に風が吹いて周りの木々が揺らめく。

木々の葉が擦れ合いざわっという音を立てる。そんな当たり前のことが何故か幻想のようで現実感がない。

「本気、なの?」

 せつなが私を見据える。

「……………」

 私は何も言わずにせつなの視線を受け止めた。

「……いいの?」

 せつなの真剣な眼差し。その黒い瞳の奥からは言葉じゃ形容できない何かが伝わってくる。

「……うん。もういいよ。もちろん先輩のことは好きだけど、ううん、好きだからこそもういい……あの二人の間に私が割り込むなんて勝手だし、例え先輩が私を受け入れてくれたとしても私だけが嬉しいんじゃ何の意味もない……むなしいだけだから。だから、もういいの。本当に、もう……いいよ、あはは……」

 精一杯心のうちを悟られないように努めた。けど、そんなにうまくはいかない。最後のほうなんて自分でも嫌になるくらい自虐的な笑いがこぼれた。

せつなはそんな私を悲しそうに見つめる。

「嘘、ついてるでしょ」

 ドキリとする。

「そんなことないよ」

 私は笑って答える。できるだけいつもと同じように。

嘘をついているつもりはない。多分これも私の本当の気持ちではある。

「……だったら、なんで泣いてるの?」

「え…………?」

 そんなことはないはず。確かに泣きたい気分だけど実際は涙なんて流れていない、はず。

「泣いてるよ、心の中じゃ本当は泣いてる。私にはわかる。涼香、強がらないで、自分にうそをつかないでよ……」

「へ、変な事言わないでよ! ってあ、れ……?」

 本当に涙が出てきた。せつなの言うことが完全に図星というわけじゃないはずなのに心が揺らいだ。

 雫が頬を伝って落ち、アスファルトに染みを作っていく。

 強がっているわけじゃない。ただ逃げているだけこれ以上自分が傷つかないように、悲しくならないように、目の前の現実から逃げようとしているだけ。それが情けなくて、つらくて、でもせつながわかってくれるのは嬉しかった。

「涼香……」

「あ……」

 せつなの両手が背中に回ってきてぎゅっと抱きしめられた。

柔らかなせつなの感触。

髪が頬に当たりくすぐったく、シャンプーの甘い香りがする。

「ねぇ、涼香。そんなに簡単にあきらめないでよ。涼香が先輩を好きっていう気持ちがどんなのかは私にはわからないけど、本気なんでしょ? 本気で先輩のことが好きなんでしょ? だったらこんなに簡単に諦めるとか言わないで」

 せつなが紡ぎだす私のための言葉。

「……ありがと」

 とっても嬉しい。

「どんな気持ちでも大切な想いは伝えるべきだし、想いは言葉にしなきゃ、言葉にして伝えなきゃ、意味がないんだよ? 伝えなかったら最初からなかったのと同じ。涼香が先輩にどう思われてるかわからないように、先輩だって涼香にどう思われてるかなんてわからないのよ? だから、だからちゃんと涼香の想いを言葉にして伝えなきゃ、だめ」

 せつなの言葉は私の心に染み込み、私を満たしていく。

「……諦めるのは想いを伝えてからでもいいでしょ」

 私を抱く腕に力がこもった。そこからせつなの優しさが、暖かさが伝わってくる。

「……うん! そう、だよね」

 せつなの言うとおり。

気持ちも伝えないで諦めるのはただ逃げているだけ、傷つくのが怖いからって逃げているだけ。そんなんじゃいけない。そんな風だったから私はまだここにいて、また同じことをするところだった。

結末まで同じことを繰り返すところだった。

(……前に進まなきゃ)

 伝えよう、私の想いを。素直な気持ちを。

 私はゆっくりとせつなの腕を外し、せつなから一歩距離を取った。

 そして、決意の言葉……

「私、行ってくる」

 それを聞いてせつなは笑顔を浮かべた。まるで慈愛の天使のような笑顔。ううん、この時ばかりはせつなは本当に私を導いてくれる天使そのものだ。

「うん、いってらっしゃい。あ……ちょっと待って」

 せつなは体を寄せ、私の顔に手を延ばして瞳に溜まっている涙を掬ってくれた。その指が少しくすぐったい。まるで心の中まで一緒に撫でられているような、そんな感じ。

「告白する前から泣いたんじゃ格好つかないでしょ」

 もう片方の目の涙もぬぐわれる。

「ありがと……あの、せつな」

「ん?」

「ほんと感謝してる……大好きだよ」

 先輩に対する好きとは違う好き。口に出すのは恥ずかしいけどこの気持ちを今伝えたいってそう思った。

「ば、ばか! そんなこと真顔で言わないでよ……これくらい当然でしょ。友達……なんだから」

 せつなは軽く笑う。その笑顔の裏にある気持ちに私は当然気づいていない。

「うん、でも」

(……本当、心の底からありがとうって思ってるよ)

 せつながいてくれなかったら私はどうしていたかわからない。せつながいてくれるから私は今後悔しない道を歩める。せつなが一緒にいてくれたから私は自分の気持ちに素直になれる。

 昨日、先輩が言っていたことを思い出す。

せつなは私みたいな友達がいて幸せ。

そして、私もせつなみたいな友達がいて幸せだった。うれしかった。

「ほら、私のことなんていいから早く行きなさいよ」

「……うんっ」

 せつなの言葉に背中を押され私は走りだした。

 

 

 遠ざかる涼香の後ろ姿を私は黙って見つめた。その姿はとても力強く、大きく見えた。

 残された私は何気なく空を見上げる。

夕陽に染まった空はとても綺麗だけどどこか物悲しい。

「想いは伝えなければ意味がない、か」

 さっき涼香に言ったセリフを復唱する。

「私が偉そうに言えた事じゃないけど……私はどうなんだか」

 まぁいいや。今は私のことより涼香のこと。

(寮長さんと管理人さんになんていってごまかそうかな?)

 涼香は十中八九門限に間に合わない。なんとか言い訳しとかなきゃ。

 それと、涼香がいつ帰ってくるかわからないけど、帰ってきたときのためにとっておきの紅茶を淹れる準備をしておこう。

「……がんばってね、涼香」

 私は独白して寮への帰途につくのだった。

 

 

私は、先輩の家の前まで来ていた。息を整えながら、表札の横にあるチャイムを見て固まっている。

太陽は沈み、夏ももうすぐだというのに冷たい風が吹く。

 ……怖い。

 やっぱり、怖い。

 せつなの前じゃあんな風に格好つけてみせたけどいざここまで来るとやっぱり怖かった。気持ちを伝えてしまえば、もう今までのような関係が作れなくなる。

伝えなければ昨日のお昼のような時間がまた過ごせるかもしれない。でもそれはきっと、本当の幸せじゃない。私にはそれを素直に享受できない。だから今日言わなきゃいけない。結果がどうとかじゃなくて、伝えることが大切なんだから。他の誰でもない私もために。前に進めるために。

 それになにより、今逃げてしまえばせつなを裏切ることになってしまう気がする。

それだけは絶対に嫌。

 チャイムを押そうと決めた瞬間、玄関のドアが開いた。それにびくっと体を震わせる。

「……涼香ちゃん?」

 そこから出てきたのは先輩だった。

 サラサラな黒髪、整った顔立ちに、透き通った瞳。もう暗くなってはっきりとは見えないけど、見えなくたって心の中に焼きついている。

 ……あの人にそっくり……始めは代わりだったのかもしれない。でも今は藤澤 柚菜っていう人のことが純粋に好き。

「どうしたの? 私に何か用?」

「はい……」

 心臓の音が先輩にまで聞こえるんじゃないかってくらいに大きく感じる。動悸もして、体は少し震えている。

 言わなきゃ、伝えなきゃ。

 『好きです』って。

「何? ここじゃなんだし家の中はいる?」

「い、いえここでいいです。すぐに、済みますから」

「そう?」

 キョトンとした様子の先輩。

 伝えなきゃ。

「あ、あの先輩」

 怖い。一言、たった一言なのに。それを口にするのが怖い。

 怖いけど。

想いは言葉にして伝えなきゃ意味がないんだよ。

 せつなの言葉が頭に響く。

(うん、わかってる。大丈夫だよ。せつな)

「私、先輩が……」

 言える。伝えられる。

 私の気持ちを、素直な想いを。

「先輩のことが……好きです!」

 

 

一話 3/二話 1

ノベルTOP/S×STOP