二話 〜〜レゾン〜〜

 

 

 私、朝比奈 せつなには好きな人がいる。

 

 

 想い人の名前は友原 涼香。ルームメイトで親友でさっきも言ったとおり想い人。性格は明るく誰とでもすぐに友達になれるタイプで実際、友達もかなり多い。少しおせっかいな所もあるけど基本的には優しい。身長は私より少し低くてだいたい百五十五センチくらい。髪は肩ぐらいまでで子供っぽいボンボンの髪留めを恥ずかしげもなくつけている。

 そんな涼香はつい二日前にある先輩に想いを伝えて打ち砕かれ中。

普通ならまだ落ち込んでいる時期なのかもしれないけど、涼香は今私と一緒に寮の食堂で食器洗いをしている。その様子は普段と変わらないように見える。

本来食器洗いは寮生の仕事ではないのだけど、先日、涼香が門限遅れをしたせいで罰としてやらされることになった。

門限を遅れたのは涼香だけだけど、同室の私も連帯責任ということで私までやらなき

ゃいけない。

少し理不尽といえば理不尽だけど、涼香の門限遅れは私のせいでもあるから文句は言えない。

「こーら」

 思案にふけっていると隣の涼香が私に非難の声を上げる。

「なにさぼってんのよ」

「別にさぼってなんかないわよ。ちょっと手を休めてただけ」

「……それをさぼってるっていうんじゃない……私の方はそろそろ終るんだからそっちも早くしてよね」

 大きな洗い場の前に立って作業をしていて、洗うのを涼香、拭くのを私としてやってるけど涼香のほうはほとんどなくなっているのに対し、私の前には皿や茶碗が山積みになってる。

涼香は小さい頃から家事をやっていたらしくその分手際がいい。

 一方私は、中学生の頃も家事などほとんどした事がなかった。とくに洗い物なんて中学の調理実習以外は、この前今と同じように罰としてやらされたのが初めてだった。それでも最初のときよりは幾分かは早くなっていると、自分では思う。

「はいはい」

 おそらく涼香は自分の分が終われば、私のほうも手伝ってくれるだろうが、あんまり涼香に迷惑をかけるわけにもいかないので作業を再開した。

 ザーという水の音とカチャカチャという食器の音が洗い場に響く。

 作業自体は単調で退屈なものだけどこうしているのは嫌いじゃない、正確には涼香と何かをするというのは好きだった。

 それに、こうしているとあの頃を思い出す。涼香に出会い、そして涼香に惹かれていった時の頃を。

 

 

 涼香に出会ったのは入学式の一日前。涼香が寮の部屋にやってきたとき。涼香はその日の午後になってやっとやってきた。

 

 

「明日は入学式、か……」

 私は部屋の窓辺で紅茶を飲みながら何気なくつぶやいた。窓からは寮の庭と周りの林、よく晴れた空そして、これから学び舎となる校舎が木々の合間からわずかに見える。二階からだからそんなにいい景色ってわけでもないけど、場所が高いおかげで悪くもない。

この寮に入って約一週間。まだそんなになれたってわけじゃないけど、街で紅茶のおい

しいお店もみつけたし、なんとかやっていけそう。

(明日……明日この学校の生徒になれる。お姉ちゃんと同じ学校の生徒に)

 そのために去年、ううん、お姉ちゃんがこの学校を受けるって知った時からずっとがんばってきたんだから。

 この学校の入学式はちょっと変わっていて午後から行われる。遠くから来ることもある親御さん達のためらしいけど、私には関係のないこと。どうせ両親がきてくれるなんてことはないんだから。もともと忙しい親だからいまさら気にすることでもないけど、去年のことを考えると悲しくなる。去年の入学式、お姉ちゃんの入学式には来てくれていた。新入生代表のお姉ちゃんの入学式には。

 私は少し気を沈ませながらもカップに口をつけ、窓の外から部屋に視線を戻した。

 何気なしに部屋を見ていたけど、あるものに気づきそれに注視する。それというのは部屋の隅の二段ベッド脇においてあるダンボール。私もこっちに引っ越してくるときにダンボールに荷物を入れてきたけどそれは私のじゃない。この部屋に一緒に住むことになる予定のルームメイトのものだ。私がこの部屋に来たときからあったのにいまだ本人は現れない。明日には入学式で、週明けからは授業が始まるというのに。

 もっとも、どうでもいいことと言えばどうでもいいことだけど。この部屋を一人で使えるならそっちの方がいいし、例え同じ部屋に誰がいたって私にとっては関係のないこと。私は誰かと馴れ合うためにこの学校にきたわけじゃないのだから。

(そもそも部屋は余ってるんだから一人部屋にしてくれたっていいのに)

 一人で使っている今は部屋に狭さを感じることもないし、本棚や洋服タンスだって空きが多いけど二人になってたら空きがなくなるだけじゃなく色々不便になる。

 昔からの慣習だかなんだか知らないけど、効率が悪いだけだと思う。

 規則は規則だから文句をいっても仕方がないといえば、その通りだが。

 私はまたなんとなく外を見た。さっきと変わらずいい天気。

(暇だし、少し散歩でもしてこようかな?)

 紅茶も気づけば飲み干している。

 普段の私ならこうやって何にもやることがないときには大抵勉強をしていたけど、今はしようにも教科書も何もない。教科書は明日、入学式が終わってから業者の人が販売することになっている。

 私は散歩に行こうと決めると鍵をしめ部屋を出ていった。

 学校の廊下にも似た廊下を歩いていき、階段を下りる。階段を下りて、玄関方向に十メートルほどいくとロビーになっていて、そこではくつろげるようにと入り口から向かって左右にソファとテーブルが二組ある。さらに寮唯一のテレビもここにあるので、よく人が集まる。今も数人集まって談笑しているようだが私は気にせずに靴箱からすばやく靴を取り出し外へとでた。

 外に出てみると中から見たより風が強かった。人より長め髪が風になびく。

 寮周辺は、学校や街方面の大きな道だけでいくつもの細い道が複雑に絡み合っている。まだこの辺のことはよく知らないので、迷子になるかもしれないが、木に囲まれた細い道というのはどこか惹かれるものがある。

 私は、今まで行ったことのない道へ足を向けてみるのだった。

散歩というのは、中学生のとき特に趣味なんて呼べるもののなかった私にとって唯一、好きなものといえるものかもしれない。

陽の光に当たって、風に吹かれながら歩いているとその間だけは嫌な事も忘れることができる。もしかしたら、散歩自体じゃなくてその時間が好きなだけかもしれない。

 どれくらいか、ふらふらしていたら思いのほか風が強くなってきた。秋ではないから葉っぱが落ちてくることはないが代わりに私の髪が大きく風に泳がされる。

「戻ろう、かな?

 誰に言うでもなく呟いて、来た道を引き返した。散歩が目的なのだから、別のルートを散策しながらでもいいが、こういうとき知らない道を通ると迷子になりやすい。今までの経験でそれはわかっている。

 寮に戻り、入り口で埃や少し乱れてしまった髪を簡単に整えて中に入っていく。ロビーにはまだ人がいてさっきと同じように談笑をしている。私はそれを尻目に見ながら通り過ぎ階段を上り、部屋に向かった。

 が、部屋のある廊下に出たところで足を止めた。

部屋の前に見知らぬ女の子がいた。リブニットにスカートという格好で両手に重そうなバッグを持ち、困ったようにその場に佇んでいる。

 おそらく彼女が私のルームメイトなんだろう。まったく見たことはないけど、逆に言えば見たことがないからこそなおさら確信が持てる。この寮は大きさに反して人が少ない。食事や浴場では顔を合わせるし、いくら興味のない人でもまったく見たことがないかくらいはさすがにわかる。

当然、私が覚えてないだけ可能性もあるがそれなら部屋の前にいる必要はないはず。

 寮は二人部屋でも三人部屋でも鍵は一つになって、私の部屋の鍵は今私が持っている。だから部屋の前にいる女の子はその場でまっているしかないんだろう。

 鍵を持っているのは私だし、あの子がおそらくルームメイトだとわかっているのも私、それならこっちから話しかけるのが普通なんだろうけど……

 はっきり言って、なんて声をかければいいのかわからない。けど、わからないといっていつまでもこうしているわけにもいかない。どうせ避けては通れないのだから。

「……こんにちは」

 私はその女の子の前までいって挨拶をした。

 女の子は私を一瞥した後明るい声でこんにちは、と言った。

「この部屋の人?」

 女の子が私に聞いてくる。若干上目遣いでクリッとした瞳が印象に残った。

 私は「うん」とも「はい」ともいわず、ただ頷く。

 それを見ると女の子表情がぱあっっと明るくなった。

「よかったぁ。来たのはいいんだけど、管理人さんはいないし部屋にいったら鍵はしまってるしで困ってたの」

「そう……」

「あ、名前は?」

 この子はなんで初対面の人間に対して積極的に話せるのだろう。

「……朝比奈 せつな」

「そ、じゃせつなって呼ぶね。あ、私は涼香、友原 涼香。すずかでいいよ。なるべくそう呼んで、苗字で呼ばれるのって好きじゃない……っていうか正直嫌いだから」

 涼香と名乗った少女は若干早口にまくし立てた。

 私は少し呆気を取られながらも、様子を伺うように目の前の少女を見た。

 ……別にこの子、すずかと呼んでといった少女と仲良くなりたいとは思わないが、同じ部屋に暮らすというのにわざわざ相手の嫌がることをする必要もない。ここは言われた通りにするべきなのだろうか。でも初対面の人間を名前で呼ぶのは気が引けるというか、そもそも他人を下の名前で呼ぶというのに慣れていない。

 それにしても、本当にどうして今さっき会ったばかりでどんな人間かもわからない相手にこんなに話せるのだろう。私には絶対にできない。

やろうとも思わないけど。

 正直、少しうっとおしい。

「せつな、これからよろしくねっ」

 屈託のない笑顔。

 私はその笑顔に気圧され、控えめに「……よろしく」というのが精一杯だった。

 

 

 これが涼香との出会い。

 最初の印象はちょっと癇に障るといった感じ。いきなり人のことはファーストネームで呼び捨てだし、なにより初対面だっていうのにあんなになれなれしくされるのがそのときの私には嫌、というか気に入らなかった。

 この時涼香がどうして入学式の前の日まで寮に来なかったのかとか、どうして苗字で呼ばれるのが嫌だとかはなんとなくはわかってきたけどちゃんとした理由は知らない。会ったときの私には興味のないことだったし、今となっては涼香のこともわかってきて逆に聞きづらくなってしまった。

 

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