今日は、私一人で雫に会いに来てる。日に日に日の入りが早くなって会える時間が少なくなるのは、残念だけど雫の笑顔を見てるとそんな寂しさを紛らわせられていた。おかげで、学校でも雫のことを考えるのことは多い。

 そんな心の清涼剤ともなってる雫の様子が今日は少しおかしかった。

 最近は会える時間が少なくなって近々体育のテストがあるっていう逆上がりの練習くらいしか遊ぶことはなくて、後はほとんど話してるけど今日はその逆上がりもなかった。

「おねーちゃん、それでね」

 ベンチに座って話す雫はいつもとそんなに変わってるようには見えない。

 でも、私にはそれを意図的に隠しているように見えた。チェックのスカートに薄い青のフェイクレイヤードのトレーナーを着た雫は背中の上部、左肩と、腰の少し上の、服に隠れてる部分を気遣って動いてるように見えた。

 ……私が普通の女の子なら気づかないか、気のせいと思ったかもしれない。でも、経験がある私は可能性を考えてしまう。

「雫。昨日か、今日でもいいけど何かあった?」

「え? う、ううん、何にもないよ」

「じゃあ、ちょっと手上げてみて」

「ど、どうして?」

「いいから」

「うぅ、こ、こう?」

「違う、右手じゃなくて左手」

 それを言うと雫は黙ってしまった。多分、私が余計な心配しないようにって子供心に気を使ってるつもりなんだと思う。でも、私は見過ごせない。

「ごめん! 動かないでね」

「きゃっ、おねえちゃん!?

 私は雫を引き寄せて、襟強引にずらして肩周辺の肌を露出させようとした。

「いたっ! お、おねえちゃん、だ、だめぇ。は、恥ずかしいよぅ……」

 抵抗を見せるけど、所詮は子供の力、もう一度ごめんと言って少し無理やりに肌を露出させた。

(っ!)

雫の卵のようにつるつるの肌がそこだけ青く変色し、ぷくーっと腫れ上がっている。

「お、おねえちゃん……み、みないで」

「……雫、これ、どうしたの?」

 明らかに不自然な腫れ方。昨日までは絶対にこんなものなかった。そりゃ、こんなんじゃ逆上がりの練習なんてやろうとはしないはず。

「こ、転んだの」

「嘘つかないで」

「ほ、ほんとだよぉ」

 肩にこんなあざを作るなんて相当おかしな転び方でもしなきゃありえない。それに、転んだだけなら雫の性格からして「今日ね、雫、転んじゃったの」くらい言ってくるはず。

 今度は後ろを向かせると、服をずりあげて背中を出させた。

 ここは外で、こんなこと異常な行動だってわかってるけど、私は確かめずにはいられなかった。

「……じゃあ、こっちは?」

 そこも肩と同じように腫れていて、いとけない体に染み付いた傷のあとが痛々しかった。

「これも、転んだなんていうの?」

「……………そう、だもん」

 あくまで雫は本当のこというつもりはないらしい。おそらく隠しておきたいんだろう。気持ちはわかる。私だって、数少ない学校の友達にだって言ったことは一度もなかった。

 ……それに、気づいてももらえなかったし。

 私は乱れた衣服を整えてあげると、雫の頭に優しく手を置いた。

「雫、お願い。教えて」

「……転んだの」

「雫……」

 気持ちはわかるんだよ。でも

 私はきつく目を瞑った。

「……ママにされたの?」

 雫はその言葉に大げさなほど体を震わせた。

明らかに身に着けていた雰囲気が変わって、哀しみの色が混じる。独特の、経験がなければ気づけない空気。

「…………うん」

「っ!!」

 仁王のような表情になってるとおもう、今の私は。

「で、でも雫がいけなかったの」

「な、なにいって」

 親が子供を痛めつけるのに子供が悪いなんてことが……いや雫が悪いことをしてたとしても、こんな痣が作るなんて許せるはずがない。雫が許したって、私は絶対に許さない。

「雫がママが、大切にしてたカップを割っちゃったから、パパからもらった大事なものだって言ってたのに、雫が落っことしちゃったの」

「………………」

 そ、そんなことで。

 口にでかかったけど止めた。雫が喜ばないから。

 大体、お母さんとお父さんは喧嘩していたんじゃないの? なのにそんなことで雫のことを傷つけるなんて……

 やっぱり、母親なんてみんな一緒、子供のことなんてなんとも思わないで身勝手で、自分さえよければ他はどうでもいいって言うの!?

「……許せない」

「わ、悪いのは雫、だもん……」

「そ、そんなことはないでしょ。ううん、関係ないよ。最低じゃない! 雫のことそんな風にするなんて……絶対に許せない」

 これを私は雫の母親だけにいってるんだろうか。

「やっ、ママの悪口言わないで!

「…っ。雫……」

 うそ、なんで私が泣きそうなの? 

 理由なんてわかんないけど、とにかく涙が出てきそうだった。さっき、雫のこと呼んだのもあんなに声が震えるだなんて思わなかった。

 だって、こんなことされたのに母親のことをかばう雫が……

 雫が、私は……

 

 

(どうして、雫は母親のことなんてかばうの?)

 今日は早々に雫と別れた私は帰りの道中、それしか考えれなかった。

 雫は悪いことしたのかもしれない。喧嘩がどうなってるか知らないけど、大切な思い出の品を壊されたりなんかしたら怒るのは当たり前。私だって怒る。

 でも、私だったら絶対に、何があっても暴力を振るったりなんかしない。自分の子供にそんなことする人間なんてすでに私の中じゃ人として生きる価値のない人間。

 ……でも、雫は母親のことをかばった。

 カチャ。

 元気なく寮の玄関を開けると無言で中へ入っていった。

 ざわざわと楽しそうな声が聞こえる。

 声の方向を見ると、寮の住人が数人テーブルを囲んで話をしていた。一人、寮の人間じゃないのもいるけど。

 ほとんど音を立てなかったのと、話に夢中になってるのか誰一人私のことには気づいていない。

(…………みゅーこ。楽しそう、だね)

 美優子は私たちといることは多いけど、他にも寮には美優子と仲良かったり、可愛がってくれる人はいる。

 【私たち】以外の中にいる美優子のことを見るのはあまり機会がなくて、楽しそうな美優子を見てると心がざわついてきた。

 ……美優子といたくないくせに、美優子が他の人と一緒にいたら不満だっていうの? 嫉妬してるっていうの?

(……部屋、もどろ)

ただでさえ雫のことで心がグラグラしてるのにこれ以上、心労を増やしたくない。

「涼香さん」

 話している人たちに気づかれないよう、とりわけ美優子の視界には入らないようにしたつもりだったけど、ロビーを抜けて廊下に入ったところで美優子が私に気づいてよってきた。

「や、みゅーこ」

「あの、涼香さん、どこにいってたんですか?」

「あぁ、うん。ちょっと、ね……」

 美優子は雫のことを知らない。美優子どころか、寮の人間のほとんどには話してない。せつなと梨奈には美優子には言わないでといってあるし。

「最近、ほとんど寮にいないですよね……どうして、ですか?」

 寂しそうに言葉をつむいでくる美優子だけど、私は返す言葉がうまく見つからなかった。雫のことを話して、美優子も雫のところへいくなんていわれたら、困ってしまうから。あの公園にはバスで行く。今日みたいにせつなと梨奈が来ない日なんて美優子と逃げられない場所で長時間二人きりになってしまう。

 私は乾いてしまった唇を何度か舐めた。

「ごめん、美優子。今少し考え事があるから、またあとでね」

 嘘じゃない。嘘じゃないから、美優子に冷たいこと言ってもいいんだって自分にうそがつける。

「あ、すずかさん……」

 背を向けた私に降りかかる美優子の悲しそうな声が耳に痛かった。

 

 

 私は、【母親】というものが好きではない。私の中でそれはただの傲慢極まりない存在でしかなかったから。ましてや、自分の子供を傷つける人間なんて嫌いを通りこして、身の毛もよだつほど。存在すら認めたくない。

 自分が特殊な例だとはわかってるけど、仕方ないじゃない。好きになることなんてできるはずないんだから。

 そんな【最低】な雫の母親を雫はかばった。なんで泣きそうになったのか考えたら少しだけわかった気がする。

暴力が肯定されたような気がしたから。あの女が肯定されたような気がしたからだ。

 もちろん、雫はそんなの関係なく庇ったんだろう。私には理解できなくても子供からすれば産み、育ててくれた母親はなによりも特別でかけがえのないものだと……一般的には思うらしいから。

 好きな人を最低だなんていわれたら、いい気分になるわけがない。つまり、悪いことをしたのは、雫を傷つけたのは私。

 ……私の敵愾心を雫に押し付ける必要なんてあるわけないんだよね。

 雫には明日ちゃんとごめんって言っておかなきゃ。雫に嫌われたくないもん。

 

 

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