昨日の朝からあれだけ降っていた雨も日をまたげばさすがに弱くなっていって、放課後にはすっかりやんでいた。

「ん? あれ、雫」

 向かおうとしてうたベンチにすでに雫がいるのを見かけて私は不思議がる。今まで雫が先にきてたことなんてないのに。

「あ、おねえちゃん……」

 私に気づいた雫は振り返って私を待つけど、声に元気がなく、表情も心なしか沈んでいた。

(………まさか、また…なにかあったの?)

「おねえちゃん、昨日、どうして来てくれなかったの……?」

 ベンチに座ると、不安気に雫が問いかけてくる。

「え? し、雫来てたの?」

「うん……雫、ずっと待ってたのに……おねえちゃん……」

「ご、ごめん。雨だから雫もこないかなって思って。ほんっと、ごめんね」

「うん……」

 どうしたの雫? 明らかに態度がおかしい。前に母親からはたかれたって時は【おかさしさ】を隠そうとしてたけど、そんな余裕はまったく感じられない。

 纏っている雰囲気が暗いとかそういうレベルですらない。雫の心に昨日の雨なんか目じゃないほどのどしゃ降りが降っているような気さえした。

「雫」

 理由もわからないまま私は雫の頭をなでていた。そうしても雫はいつもみたいに照れたり、嬉しそうにする様子が一切見られない。相変わらず、伏し目がちで力なく私の腕を掴んできた。

 何かあったのは明白なのに、何があったの? って聞ける気がしない。ううん、聞くことがそのまま雫の心を抉っちゃう気がする。雫はきっと話したくなくて、でも隠す余裕すらない。

 ……でも、聞くべき、なんだよね? 雫のことを傷つけるかもしれなくても。今、雫の悩みを、心の苦しみを聞いてあげられるのは私しかいないんだから。

「雫……何が、あったの?」

 私は雫を抱えて膝に乗せようとした。

「…………」

 けど、雫はフルフルと控えめに首を振って拒否をする。代わりに雫は両手を私の右手に添えた。

「あの、ね…………パパと……ま、まが……ね……」

 パパとママ? 二人に何かされたの? 二人にはたかれたりでもすればこんな風になるかもしれないけど。直感だけど違う気がする。私が経験したことある空気じゃない。

 じゃあ、あと両親が関わって子供がこんな絶望に追い込まれるとしたら……

(まさかッ!?……りこ……)

「なか、なお…り……したの……」

「へ?」

 予想と百八十度違うことを言われて私は調子の外した声を上げた。

 正直、雫の言ってることがわからない。いや、言っていることじゃなくその意味。

 仲直りした? 喧嘩をやめたってこと、だよね? 雫にとって何が嫌なことなの? 何かまずいことなの? 雫は両親が喧嘩してるのと、ママが不機嫌なのが嫌で家じゃなくてここに来るようになったんでしょ? なのに、仲直りして雫が悲しむ理由って何?

「……えっと、よかった…ね」

 いいんだよね? こう言っても。

 あまりの雫の様子に戸惑うけど、喧嘩をやめたのなら雫にとって悪いことなんかじゃないはず。

はず、なのに……どうしたの雫?

「うん……それは……雫もね、うれしいよ……」

 【それは?】

 じゃあ何が嬉しくないの?

 離婚するって言えばこんな様子になってもおかしくなんてないんだろうけど、その反対なのに悲しむ理由がわからなくて、慰めの言葉もでない。

 もっと強く詮索すれば話してはくれるかもしれない。でも、聞き出したところでどうにもならない気がした。どうにもならないからこそ雫がこんなにも悲しんでいる気がした。私や雫じゃどうしようもないことなんだ、きっと。

 そして、何故か【それ】を私自身、聞きたいと思えなかった。

「しずく……」

 少しでも雫の心が落ち着けばと背中を撫でてみるけど、雫は背中を丸めはしても沈痛な面持ちはまったく変わらない。

 そのまま五分、十分と時間がたっても雫の様子は一向に変わらなかった。

「…………………」

 さらに時間がたって、雫も少し落ち着けたようだけど口数は少なくて結局この日はほとんど話せず、雫が悲しんでいる理由を、雫が話してくれることも……私が聞きだすことも、探りを入れることすらできないで別れてしまった。

 涙を流さないまま泣いていた雫のことだけを頭にこびりつけて。

 

 

 あの日から雫の様子は明らかにおかしくなった。さすがにあの日のようなにほとんど何もしゃべらないってことはなくなったけど、暗い様子は変わらない。

「あのねっ、おねえちゃん」

 ただ、それを隠そうと無理に元気よく振舞おうとする姿が逆に痛々しかった。

 あと、気になるのはいつも雫のほうが先に来てるっていうこと。あの日までは一回も雫が先に来たことなんてなかったのに。

「ねぇ、最近雫早く来てるけど、どうして?」

「え、が、学校が、早く終ってるんだよ……」

「ふーん……そう」

 嘘、だね。多分。でも、嘘だとしたら、学校をサボってきてるってこと……? そうならそこまでする理由って。

 聞けない。聞きたくない。聞けば何かが変わってしまう気がする。雫との関係が、居心地のいい場所が壊れる気がする。

「雫、そろそろベンチもどろっか。そろそろ夕陽がいい感じだよ?」

 今はいつかのようにジャングルジムの上で話にいる。ここからでも夕陽はみれるけど、町並みは見下ろせないし、雫にとっては両親に連れてもらったあの場所で見ることが意味あるはずなんだから。

 フルフル……

「雫?」

 私が降りようとすると雫が制服の裾を引っ張って制止した。そして、あの空気を身に纏う。

「……いいの? 行かなくて?」

「だって……みたあとおねえちゃんすぐ帰れっていうんだもん」

「そ、それはしょうがない、でしょ。雫みたいにちっちゃな子は暗くなったらもう帰んなきゃ、駄目、でしょ?」

「子供じゃない!

「ッ!!

 振り向いた雫の瞳からキラキラと雫、涙がこぼれた。雫の瞳は完全に涙が溜まって潤みきってる。

「こどもじゃ……やだ、もん…」

 すぐに俯いてまたそこから大粒の涙がこぼれた。

 雫……どうして泣いてるの? 

 片手で雫を胸のあたりに引き寄せる。

 違う。この子供じゃやだは、前にお嫁さんになりたいって言ったときとは比べ物にならないほどに重い。理不尽なもの、どうにもならないものへの怒り、嘆き、みたいなものが感じられた。

 世界が紅く染まっていく。ここからでは町並みはほとんど見えずに代わりに遊歩道を囲む木々が美しかった。

 だけど、心をうつのこの景色は何故か悲しく、寂しく見えた。いつか雫が言ったことを思い出す。夕陽はその日の感情で違って見える。

 こんな気分だからそう見えるのかな。

「そうだっ。雫、今度のお休みにどっか遊びいこっか。休みの日に会ったことなかったもんね。昼間っからなら時間なんて気にしないで遊べるよ?」

 私はわざと明るく、少しでも雫のことを元気付けられるように振舞った。

「…………お休みの日は、だめ、なの」

「そ、そう。そうだよね、休みの日は学校の友達と遊ぶんだっけ」

「……違うの。お休みの日は……ようがあるから」

「そう……」

 何のよう? って聞きたい。でも、今の雫はガラス細工のように脆く見えて、聞けば崩れてしまう気にさえなった。

 雫のことを助けてあげたい。救ってあげたい。そう思うのに、雫の心に踏み込んでいくのが怖かった。

 

 

 雫は、どうしたんだろう?

 様子が変なんてものじゃない。何かを悲しんでるのは疑うまでもないのに聞けない。

 あの日、親が仲直りしたって話をした日以来、雫は必ず私よりも先にくる。そりゃ一日くらいなら学校が早く終ったで信じられるかもしれない。でも、学期末でもないのに小学校が毎日早く終るってこともない。というよりも、何より雫の様子が嘘だって物語ってる。

 それと、夕陽を見ると私が帰れっていうからみたくないなんていったり、私と……うぬぼれた言い方だろうけど、好きな人との時間をものすごく惜しんでいる。

 少し前から、どこかおかしくはあった。ぎゅっとしてはともかく、キスしてきたり、少しわがまま言ってきたり。でも、それとは全然違う今、雫の様子がおかしいのはそんなのとは根本的に違う。

 けど、雫が悲しんでいる理由は見当もつかない。

【パパとママが仲直りした】

 逆なら今の様子だって納得がいく。離婚なら引越したりもするかもしれないし、私と少しでも一緒にいたくなる気持ちはわかる。でも、両親が仲直りしたっていうのは悲しむ理由にはならないよね。

 仲直りしたことは嬉しいって言ってた。その理由が嬉しくないってこと、なのかな? でも喧嘩を嫌がってた雫が嬉しくないような仲直りの仕方ってなに? 

 ……親のことなんて全然わかんないもんね、私。父親の記憶なんて少しもないし、母親はアレだった。さつきさんは母親みたいなもので、隆也さんも父親みたいなものでもあったけど、さつきさんは母親でお姉ちゃんで親友で……恋人で、隆也さんもお兄さんみたいなものだったけど、やっぱりどこかに違和感はあった。本当の両親じゃないっていう。

 だから、私は雫のことがわかってあげられないのかな?

 子供じゃやだっていう雫の気持ちもわかってあげられないのかな?

 雫は子供じゃなかったら、どうしたいんだろう。お嫁さんになるとは別の意味。子供じゃできないこと、それってどんなことなんだろう。

 ……考えても、私は雫じゃないんだからわかるはずがないんだよね。

 私は雫のことを助けてあげたい。救ってあげたい。

 でも、こんなちっぽけで、身勝手で、自分のことしか考えられないような私が、今の雫に何ができるんだろう。

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