「はぁ……」
部屋のテーブルで頬杖をついていたら自然にため息が漏れてきた。
「どうしたの、涼香?」
ベッドで寝ながら本を読んでたせつなが身を起こして聞いてくる。
この前、私に行儀が悪いだなんて言ってきたけど、寝ながら本を読んでるほうがよっぽど行儀悪い気がする。五十歩百歩かな?
「ん? なにが?」
「ため息ついてたじゃない。悩みでもあるなら聞くわよ?」
「あー、うん……」
せつなはいつの間にか横に座って私の顔を覗き込んできた。半ばぼーっとしてる私はせつなのほうを向いてはいるけど、せつなを見ていない。
「雫、ちゃんのこと?」
「よくわかるねぇ」
別に隠すつもりはないからあっさりと認める。
「今の涼香が悩むのはそれくらいでしょ。……まぁ、他にもあるのかもしれないけど……」
「ま、そうかもね」
私は雫に関しての今までの経緯を話した。お嫁さんとか、キスとかには触れないで、主に親が仲直りしたのに何で逆に元気なくなっちゃったかって言うこと。
「離婚、っていうのならおかしくないんだけどね。仲直りしたのに悲しくなる理由なんてあるのかな?」
「それは……まぁ、わからないけど。でも、考えたってわかるわけじゃないんだから、聞いてみるしかないんじゃない? それが、涼香のやり方じゃないの?」
「簡単にいうね。私そんなにいつもデリカシーない?」
「そういうこと言ってるんじゃなくて、わかりもしないことをいつまでも悩むのは涼香らしくないって言ってるのよ」
そりゃ自分でもらしくないかなとは思うけど……せつなはあの雫を見てないからそんな風にいえるんだよ。何かのきっかけでダムが崩壊でもしたように雫の心にダメージを与えてしまう気がする。
ふと、私はせつなのことをまじまじと見た。
「な、なによ?」
急に見つめられたせつなはドギマギして答える。
「言いたくなかったらいいんだけどさ、せつなは……自分の昔っていうか……あのこと話してくれた時、どうして話してくれたの?」
「……あれ、ね。理由はもうよく覚えてないけど、涼香になら話してもいい、聞いてもらいたい、私のこともっと知って欲しいって思ったから……かしら?」
そのころに思いを馳せるかのようにせつなの瞳に懐かしそうな色が宿る。
悩み事を話すときは、確かにそんな単純な理由なんだよね。単純でもその条件をクリアする人は限られちゃうんだろうけど。
つまり……
「雫は私には話せないって思ってるのかな?」
雫にとって私はそこまでの人じゃなかったっていうことなのかな? 悲しい、かな? そしたら。
「涼香だから話せないの、とか?」
「私だからって?」
「涼香だって仲いいから話にくいってことあるでしょ? 雫、ちゃんもそう思ってるんじゃないの」
「そう、なのかな……?」
でも、雫に私だから話せないなんて理由はやっぱり見つからない。
「っ!?」
自信なさげにテーブルを見つめていたら、せつながいきなりほっぺを優しく撫でてきた。
「な、なにすんのよ」
びっくりはしたけど特別嫌でもないからそのままにしてるけど、なんか変な感じ。
「私は雫ちゃんのことよく知らない。でも、涼香が本気で心配してるなら、涼香の気持ちはちゃんと伝わると思うわ。聞き出すにしろそうでないにしろ、涼香までそんなんじゃ向こうも一緒にいるの嫌になっちゃうかもしれないわよ?」
せつなはこういうことをずけずけといってくれるのが……ありがたいよね。
「昔も言ったけど、人の心の中なんてほんとのところどうなってるかわからないんだから、わからなくて知りたいのなら素直に聞いてみるしかないんじゃない?」
それは、時と場合によるだろうけど……せつなだってそんなことわかって言ってる。なら最後に判断するのは私。
「そう、かもね。……せつな、ありがとう」
こうやって背中を押してくれる親友がいるってやっぱ嬉しいよね。
私は人に聞かれたくないことはたくさんある。恥ずかしい秘密だったり、ちょっと罪悪感を感じちゃったことだったり、……あの女のことや、さつきさんのこと、この学校に来た理由。この辺のは美優子には話をしたけど、後悔してるわけじゃなくても誰にも話たくないって思っていた。
個人個人で話したくないのはそりゃあるし、せつなに話せないこと、美優子に話せないこと……聞かれたくもないことはたくさんある。
だから、あんまり人の深いところに踏み込むのは好きじゃないし、興味を持っても無理に聞いたりはしない。
でも、その深いところに入り込まないとその人の力になれないっていう確かにあるのかもしれない。
勇気を出して踏み出さなきゃわかってあげられないのかもしれない。
「雫、ちょっとお散歩しない?」
ベンチに並んでいた私は立ち上がって雫に手を差し伸べた。今日の雫はまた一段と元気がないようにも見えた。
こうやって手を繋ごうとするのも子供扱いになっちゃうのかなと不安にも思ったけど、雫は嬉しそうにうんと頷いてくれた。
冷たい風の中遊歩道を公園方面にあるいていく。木々の美しさは変わりないけど寒さは段々と増していて、私のぬくもり離さないようにしっかりと握ってくる雫の手が印象的だった。
普段から小さい雫が今日は一段と小さく、心細そうに見えた。
「あのさ……雫」
歩きながら、ためらいがちながらも雫の名前を呼ぶ。
「なぁに? おねえちゃん」
「雫さ、最近何か悩んでない?」
悩んでるなんてわかりきってるけど、正面きっては聞きづらい。
「そ、そんなことないよ」
「なら…いいんだけどね」
私の質問にビクついた雫は一転その一言で安堵した様子を見せた。今までの雫を見ればわかってたことだけどやっぱり話したくないんだろうね。みんなになのか、私だけなのかはわからないけど。
でも、今日の私はここで引き下がったりしない。
「私ね、雫が話したくないってわかってる。でも私雫が悩んでるなら、苦しんでるなら、力になってあげたい」
「…………なやんでなんか、ない…もん」
力なく否定する雫にかまわず私は続ける。
「私じゃ力にもなれないかもしれないし、解決なんてできないかもしれない。もしかしたらわかってあげることだってできないかもしれない」
私はかがみこんで片手を雫の肩に乗せて、顔の位置を雫に合わせた。
「けど、何かできるって思う。ううん、何かしてあげたいの雫に」
私は本当に苦しいときさつきさんが助け出してくれるまで誰も、何もしてくれなかった。そう振舞ったのは自分だけど、雫にまで苦しいときに誰も助けてくれないなんて気持ち、味合わせたくない。
「おねえ、ちゃん……」
雫の目に気のせいかと見まごう程うっすらと涙が浮かぶ。
プイ。
そして、顔を背けた。
「雫……」
そのまま回れ右をしてきた道を引き返し始めた。
「おねえちゃん、戻ろ。夕陽、一緒にみたい」
「あ……うん」
少し先を歩く雫に追いつきすぎない程度に歩幅を合わせる。雫の背中はとても小さくて、本当に小さくて……すごく保護欲をかきたてられて、思わず抱きしめたくなりたくなるけどそんなことしても雫の気持ちがわかるようになるわけじゃない。
(迷惑、だったのかな……?)
やっぱり、私じゃ雫の力にはなってあげられないのかな。
(……夕陽、この前は私が帰れっていうからみたくないとか言ってたのにな)
気が変わったとか、そんな単純な理由じゃないんだろうね。
「おねえちゃん、またぎゅってして」
ベンチに戻ってくると、雫がおねだりをしてきた。今日はそんなに寒くもないし、雫もあったかそうな格好だけど、寒いから言ってきてるんじゃないんだよね。
「いいよ、おいで」
何度かしたように雫を抱きかかえる。
「……………」
そのまま無言でしばらく夕陽に照らされる町並みを眺めた。
「おねえちゃん。おねえちゃんは夕陽、どんな風に見える?」
「え? どうって、綺麗、だけど」
「雫もね、きれー……だけど……」
「だけど?」
「ちょっとだけ、寂しく見えるな」
「しず……く?」
私はいつもよりも遥かに心細そうな雫の姿に無意識に腕に力を込める。
雫を離してしまわない様に。
ぎゅ。
雫も愛おし気に私の腕を掴む。
「おねえちゃん、雫のこと好き?」
「ど、どうしたの。急に」
「おしえて」
「……好き、だよ。もちろん」
「えへへ、うれしー。雫も、おねえちゃんのこと大好き。一番好き。ママとパパよりも、みーちゃんとかちぃちゃんよりも、おねえちゃんのことが大好き」
どこかで聞いたことのあるような告白。せつなも似たようなこと言ってたけど、親しい人と比べてそれでも一番好きだって言ってくれるのって重いよね。すっごく。
「おねえちゃん、ほんとうに大好き。大好きだよ」
何回も、何回も大好きって伝えてくる雫は儚い妖精のよう。
「おねえちゃん……」
雫は素早く振り向いて、私の胸と肩に手を置くと
「………んっ!?」
キスをしてきた。ほっぺじゃなくてくちびるに。
一瞬、だったけど、暖かくて……どうしてかせつない感じがした。
「おねえちゃん、雫、もう…行くね。……バイバイ」
雫は唇を離すと、すぐに私から飛び降りてそういった。
ダッ。
そうして、すぐに走っていく。それも全力に近い速度で。
呆気に取られていた私はぼぅっとその背中を見つめた。
さっきまでそこにあった雫のぬくもり、そしてまるで雫自身がが闇にさらわれるように遊歩道の中へと消えていって、残された私は何故か言葉では表せないような喪失感に襲われた。
「雫!!」
理由のわからない焦燥感に駆られて雫を追いかけたけど、雫の姿を見つけることは、できなかった。
「元気、ないわね。涼香」
「うん……」
寮に戻って夕ご飯をたべて、部屋に戻っても私は雫のあの後姿が忘れなれなかった。夜の訪れとともに雫は溶け込んでいくように闇へと消えていった。本当に、消えてしまうようなそんな気がした。
雫、どうして? あのキスは何だったの? どうして何回も好きって言ってきたの? わかんない、わかんないよ雫。何があったの?
コト。
「私の言ったこと……迷惑だった?」
食後の紅茶をテーブルに置きながらせつなは申し訳なさそうに言った。
「ううん、そんなことはない、よ」
聞いたことは後悔してない。でも、雫の心に私の言葉は、想いは届かなかったみたい。ううん、届かなかったのかどうかはわかんないけど、とにかく話してくれなかった。
紅茶を受け取りながら私は軽く嘆息する。
「また、次会ったら聞いてみるよ。ちゃんと雫の力になってあげたいから」
「そう」
せつなは優しく微笑んで、紅茶に口をつけた。
「ね、すず……」
せつなが何か言おうとしたところでピンポンパンポンと放送を知らせる軽快な音がした。二人してその音に反応して黙り込むと放送の内容をまつ。
【あー、友原さん、友原さん、電話が入ってるので管理人室へ来るように】
「っと、私?」
「みたいね」
「さつきさん、かな……?」
こんな時間っていうか、私に電話をしてくる人なんてほかにいないし。
「ま、いいや、行ってくるね」
せつなのいってらっしゃいという声に背中に受けて私は部屋を出て行った。途中、親切にさっきの放送のことを教えてくれたりする友達と一言交わしたりして管理人室に辿りつくと意外なことを言われた。
「え、さつきさんじゃないんですか?」
「宮村って名乗ってたけど」
宮村? どこかで聞いたような……
「雫の母親って言えばわかるって」
そだ! 雫の苗字! 母親? 雫の母親……
「どうしたの? 怖い顔して」
「あ、いえ。なんでもないです」
雫の母親って言ったら……雫をあんなに悲しませて、しかもあんなこと、雫を傷つけた、あの最低の……
「もしもし」
保留のボタンを押して、憮然とした声で電話に出た。不機嫌にならないようにしたつもりだけど多分なってるな。
「あなたが涼香さん?」
意外にも綺麗な声。でも、どこか焦燥を感じる。
「そうですけど、何か? ……はい、今日も会いましたけど……いや、雫も普通に帰りました……けど……? いえ、来てなんか……ませ、ん……けど」
話していくうちに雫の母親の声に不安と焦りが広がっていった。私の心にも暗く、嫌な予感が膨らんでいく。
そして、雫の母親から、衝撃的な言葉が発せられた。
「雫が……帰って来てない……?」