結婚式。
昨日、雫が寝ちゃったあとに雫になにが出来るかを考えたその答え。
例えどんな風になろうともお互いのことを想いあい、愛を誓いあう式。
そう、例え離れ離れになったとしても私が雫のことを大切に想うっていう証を今、雫にあげたい。
それが、私の雫への好きの答え。
「けっこん…しき?」
雫はイマイチ意味を汲み取れなかったのか同じことを呟いて首をかしげた。
「うん。私と雫二人だけの、秘密の結婚式」
「おねえちゃんと、ひみつの……」
秘密っていう言葉に子供って弱いよね。
「うん。ほら雫私のお嫁さんになりたんでしょ。本当の結婚式はできないけど、でも好きって誓いあうのはできるから。だから、ねっ?」
結婚式自体に意味があるっていうわけじゃない。お嫁さんになりたいっていうのを叶えてあげるのはオマケみたいなもの。
とにかく雫になにがあっても私が雫のことを好きだって、大切に想っているよって伝えてあげたい。
それは雫を幸せにすることにつながるって………思い、たい。
「…………する。おねえちゃんと、結婚式」
雫は私を見上げる瞳に力を込めた。
「ありがと。えへ、もう指輪だって買ってあるんだよ」
そういって私はポケットから初めに訪れたファンシーショップで買った指輪を出した。銀のリングにちっちゃな夕陽を髣髴させるような赤の強いルビーレッドのガラス玉がついている。この色にしたのはやっぱり私と雫をめぐり合わせてくれたこの場所での一番の思い出が夕陽だったから。
「じゃあ、しよう。結婚式」
「うんっ!」
夕陽は丁度地平線の上に来て、世界がより一層灼熱の色に染まる。その夕陽だけが私たちを見守る中、高見台の手すりの前に並び立つ。
雫は夕陽に負けないくらいに頬を染めて、それは多分私も一緒。いくら正式なものじゃなくても、女の子からすれば結婚式なんて夢の舞台そのもの。私が経験したときはそれどころじゃなかったけど、自分のこととなれば色んなことが脳裏をよぎる。
「雫。手、出して」
「うん」
雫はしずしずと私に向かって手を差し伸べると私は雫の前に跪いて、雫の手を取った。
「あ、雫、左手ね」
「?」
「えっと、結婚指輪は左手の薬指にするものなの」
「そうなんだ、ごめんなさい。おねえちゃん」
「あやまらなくてもいいけどね」
何度も言うようにこれは悪く言っちゃえば、そんなつもりはなくても正式じゃない以上、ごっこにもなっちゃうんだからあんまり形にとらわれる必要はないんだろうけど、指輪くらいはちゃんと結婚の証としてきちんとしたところにしてあげたい。
今度はちゃんと左手を出した雫の手を取る。
細くて、小さくて、子供らしい雫の手。緊張のせいか、ちょっと冷たくなってる。
可愛いっていうのは雫のためにあるように思えてくるよね。雫を好きになったのは体に惹かれたわけじゃないけど心から可愛いって思うよ。
私は左手で雫の手首あたりを掴んで、右手に持った指輪をその穢れのない無垢な薬指にはめた。
「えへ、えへへ……」
私が手を離すと雫は嬉しそうにその手にはまった結婚指輪を夕陽にかざして見つめた。
……嬉しそう。よかった。
その様子を愛しむように見つめて心の中で一つ安堵の息を吐く。
「ねぇ、おねえちゃん次はどうするの?」
「え、え〜と」
次……つぎってどんなことするんだっけ? 出席した経験はあるけどほとんど感情を押し殺した笑顔をしてた記憶しかないからよく覚えてない。賛美歌とか、あったような気がするけどあれは今やってもしょうがないし……
「誓いの言葉、かな?」
多分、それ、だよね。
昨日から結婚式しようと思ってたくせに、いざとなると行き当たりばったりだね。
「ほら、どんなときでもお互いのことを大切に思ってますっていうやつ」
「うん」
心あたりあるのかないのか知らないけど、とにかく頷く雫。
「えっと、じゃあいくよ」
私は立ち上がると、次の言葉に気持ちをめいいっぱいに込めるため深く息を吸った。
「汝、宮村 雫は良きときも悪き時も、病めるときも、健やかなる時も……」
こんな感じだったけど、そのままにする必要はないよね。
「どんなときも…………例え遠くはなれて……会えなくなったとしても、愛を誓い、友原 涼香を大切に想うことを誓いますか?」
「……うん、じゃなくて……はい」
「……今度は雫からだよ」
「うん、えっと……なんじ、友原 涼香は……うんと、良きとき、も、病めるときも……えっと」
雫はたどたどしく私の言葉を反復しようとしているみたいだけど、覚えていないみたいでうまくいえていない。
それだけじゃないのかもしれないというのは雫の目を見ればわかるけど、今はまだ雫だってそこに触れてもらいたくないはず。
「雫、私の真似なんていいんだよ。自分の思うことを素直にいって」
「う、うん。ど、どんなとき、も、た、たとえ、とおく、は、はなれ…て、あ、ぁえなく……なって……も……」
雫がその天使のような愛くるしい顔を徐々に悲しみと寂しさに歪ませていく。
「あ、愛をちか、い……し、しずく……を……」
ある意味見る影もないほどくしゃくしゃに顔をゆがめても私は黙って雫の言葉を待った。
「たい、せつに、想う……ことを……」
頑張れ、雫。
「ち、誓います…ヒク…か?」
「…………はい。誓います」
私は、雫の心の一番奥まで届くように雫に愛を誓った。
「ひぐ……っく…お、おねえ……ちゃん……」
自分で遠くにいってもとか、会えなくなってもなんていうのつらかったよね。でも、それから逃げて欲しくはなかった。逃げてばっかりの私みたいには……
「雫……」
「おねえちゃん…おねえ、ちゃん……おねえちゃぁん……っ!?」
私は嗚咽を漏らす雫を優しく抱きしめた。
私と同じシャンプーの匂い。甘くて、切なくて、でも確かにそこにある雫のぬくもり。
「……雫、結婚式はまだ終ってないよ」
「え……?」
「目、つぶって」
「……ううん、おねえちゃんのこと、少しでも見てたいから、このままでいい」
なにをするのかわかった雫はあふれ出しそうな泣き声を必死に抑えてそういった。
「……そっか。うん」
私も恥ずかしいけど、雫のことを心に焼き付けたいのは一緒だから雫から目をそらすことなく唇を雫の唇へと近づけていき……
「しずく……」
「おねえちゃん」
お互いの吐息が頬をくすぐる。そして、私たちは
『んっ……』
夕焼けに照らされるなか想いを誓い合うキスを交わした。
雫はいつでもあったかくて、私の心と体を安らげてくれた。
恩返しじゃないけど今度は少しでも雫に私を感じて欲しい。
大好きっていう想いを、大切だっていう気持ちを。
私は愛を込めて、雫を包み込んだ。
「は…ぁ、雫」
「ふ…ぁ、おねえ、ちゃん」
誓いのキスを交わし終えた私たちはお互いを見つめあう。
雫の瞳は様々な想いの果てに潤みきっている。だけど、その潤みが悲しさだけから来ているとは思わない。
「え、えへへ、うれしー。これ……で、雫、おねえちゃんの、お嫁さんになれたんだよね……」
雫のはにかんだ笑顔はこの世のなによりも尊く、美しく、可愛かった。
(あ、だめ……)
その可愛くも儚すぎる笑顔が……世界が歪んでくる。
私が泣いちゃだめなのに……雫のこと笑顔で見送ってあげなきゃだめなのに……
「雫!! 」
気がつけば雫の名前を叫んで強く抱きしめていた。
その細い体がもしかしたら折れちゃうんじゃないかってくらいに、雫を決して離さないといわんばかりに雫のことを抱きしめた。
「ッ! いたっ! いたいよぉ、おねえちゃん……おねえ、ちゃん……?」
「ひくっ……雫……もっと、一緒にいたかったよ。もっといろんなこと教えてあげたかった、してあげたかったよ、守ってあげたかった……私も雫ともっと、ずっと、一緒に、いたかった。いたかったよ、しずく……」
私が守りたかったのは、救いたかったのは、確かに昔の私だったかもしれない。でも、今はそんなこと関係ない。
今私は雫が好き。
雫といるのは本当に大好きだった。普段何気なく笑いあうのも、ちょっと困らせるようなこといってくることも雫と一緒にいるのは楽しくて、安らげて、せつなや美優子や他の友達といるのとはまったく別の安堵感があった。
それが今日、今ここで失われてしまうのは、雫と別れてしまうのはなによりも悲しくてつらくて、耐えられなかった。
もっと一緒にいたかった。伝えたいことだってあった。
「おねえ、ちゃん……」
私に抱かれているだけだった雫がゆっくりと私の背中に手を回していく。
「おねえちゃん……おねえちゃん、おねえちゃん、おねえちゃん……おねえ、ちゃん……おねぇ…ちゃぁん……」
そして、私と同じく大好きな人のことを呼びながら感情をむき出しにして泣き出した。
「………好きだよ、雫。大好き」
「雫も、おねえちゃんのこと……大好き、大好きだよぉ……おねえちゃん」
「雫、雫、しずく……しず……く……」
「おねえ、ちゃん、おねえちゃん……」
自分のすべてを相手に出し切って、私たちは熱く、熱く、抱擁を交わした。
黒い闇が高見台に足を伸ばしてくる。世界はほとんどその闇に侵食されて、残された光は地平線の彼方にわずかにあるのみ。
夕陽が沈もうとしていた。
夜が近づいていた。
雫との別れが……迫っていた。
私たちはベンチに背中を、お互いの体に肩を預けあって、消えようとしている光を黙って見続けていた。
言葉を発することなく、ただお互いの最後のぬくもりを感じあって一日の終わりを……世界の終わりを見ていた。
この夕陽が沈みきったとき、私たちにとっての一つの世界が終る。そんな気がしていた。
冬も近づいたなか夜は確かに冷えていたが、寒くはない。雫のぬくもりがそこにあるから。
そして、世界が終って闇が訪れる。
「……………………沈んじゃったね」
しばらくしてから私はポツリと呟いた。
「…………………………………うん」
雫もあまり抑揚のない声で答える。
「……いこっか」
夕陽を見てから帰すとは雫の母親に伝えてあるけど、あまり遅くなるわけにはいかない。というよりも、夕陽が沈んでしまった今ここにいるのは苦痛な気がした。
「……おねえちゃん、ここでバイバイしよ」
「な、なにいってんの。ちゃんと送ってくよ。雫のママともちゃんと私が送っていくって約束してるんだから」
こんな時間に雫を一人で歩かせるなんてできるわけないじゃない。ううん、なにより最後まで一緒にいたに決まってるのに。
「ママにはおうちの前まで一緒に来てもらったって言うから大丈夫なの。だから、ここでバイバイしよ」
雫だって私といたくないはずはない。
なら、私といたいこと以上に大切なことなの?
「どうして?」
雫にちゃんとした理由があろうともそれを聞かなきゃ納得なんてできない。
「だって、おねえちゃんと一緒に帰ったら、きっと雫また泣いちゃうもん」
「な、泣いたっていいじゃない」
好きな人と離れ離れになるのに泣いちゃ駄目なんてことないでしょ。
「うん。……でもね、雫、おねえちゃんとは笑顔でお別れしたいの。今なら、まだ笑顔になれるから」
「しずく」
「おねえちゃんが最後にみた雫は、笑顔の雫がいいの」
(……………)
最後の最後まで一緒にいたいだなんて思っていたのは私の自己満足なのかもしれない。
「うん、わかった」
私は雫の手を引いて立ち上がった。
小さく、暖かなその手をゆっくりと離す。
夕陽の代わりに光を放ち始めていた月光がちょうど私たちを照らした。
幻想的な雰囲気を醸すその場所で私は雫と向かい合う。
「雫、ありがとう。私、雫と会えて嬉しかったよ。…………元気、でね」
私は今、できる限りの笑顔を雫に向けた。
「うん。おねえちゃんも、ありがとう。雫もおねえちゃんといるのすっごくうれしかった」
雫も、瞳にうっすらと涙を浮かべたでも、心からの笑顔をする。
見つめある時間はそんなに長くなかった。
「……雫、いくね。おねえちゃん、バイバイ!!」
雫は最後のそういい残して、寂しさを振り切るように笑顔のまま走っていった。
「………………」
背中が見えなくなってもしばらくそこに佇んでいた私は、月が雲に隠れたのをきっかけに歩きだす。
けど、遊歩道を少しいくと足を止めた。
「…………雨が……降ったんだね」
雫が通ったアスファルトの上に黒い染みを発見した私はそう呟いて、
(……しずく……)
私も雨を降らせた。