今日も学校を終えた私は、せつなと一緒に寮に戻ると荷物を置いて財布だけをもって部屋を出て行く。
「ごめん、せつなちょっと出てくるね」
「……いってらっしゃい」
せつなは不機嫌そうというか、少し戸惑ったような声を出して送り出してくれる。
その声を背中に受けた私は一人で寮を出て、バス亭に向かいバスに乗り込む。その間は終始無言。
駅方面に向かうバスには幸い知り合いはいなかったみたいでバスの中でも誰とも話さないですんだ。駅に着くとバスを乗り換えて今度は例の公園方面に向かう。
少し前まではこの道のりをわくわくしながら毎日通っていた。
今は……どうしてここに来ようとしているのかもわからない。
ただ、来てしまう。
公園に着くとやっぱり無言、無表情で遊具のある場所から遊歩道へ抜けていく。遊歩道に入ると少し歩くペースがゆっくりになった。
あの日、雫は私の前からいなくなった。
それでも私は毎日ここに通い詰める。私と雫のことをよく知っていた人は、今日のせつなみたいに少し戸惑いながらそんな私を見ている。
雫のことが忘れられないからここに来てるんじゃない。理由は自分でもわからないけどそれじゃないことは確か。雫と別れたこと、それ自体は自分なりに踏ん切りをつけてるつもり。
じゃあ、どうしてと聞かれれば……その答えは自分の中にあるけどイマイチ掴みきれていない。
「……………」
遊歩道の出口に近づくライトのところで私は立ち止まった。
ここは、雫と別れた日、雫の涙を発見して……私も泣いたところ。
当然今はそんな染みもなくなって、あの日に雫と通った落ち葉のバージンロードも消えてしまっている。
散発に落ちている落ち葉を踏みしめ、その行為にどことなく寂しさを感じながら私は高見台に向かって歩みを再開した。
そして、数十秒でそこにたどり着く。
待たれることも、待つこともなくなったその場所に。
寂寥とした夕陽だけを照らすその場所に。
私はたどり着いた。
ベンチに座って一人、夕陽を見つめる。
変わらずに美しいはずの景色なのに、ここから見えるものは人も、建物も、木々も、雫といたときに一番綺麗に感じた背の高いビルが赤く染め上げられるのも、すべてが切なく見えた。
雫とみた夕陽はあんなにも綺麗だったのに、一人ではこんなにも物悲しさで満ちている。
毎日、学校が終ったらここに来て、たった一人で夕陽を見て帰る。
寮に帰るのは憂鬱。寮で嫌なことがあるわけじゃなくても、なんだかいたくない。
「……そういえば、ここには逃げてきたんだよね」
せつなと美優子、特に美優子といたくなくてどう向き合っていいかわからなくて、誰もいないところで一人、考えようと思っていたら、結局考えられないまま自己嫌悪になっちゃいそうなところで雫と出会った。
雫といるときだってその自虐心が消えることはなかったけど、雫が私のことを好きっていってくれるのは嬉しかった。少しだけ、自分のことを嫌いにならないでもすんだ。最低な私でも人の役に立てることがあるんだって思えたから。
でもそんな雫に私は……
なにが、出来たの……?
なにか、してあげられたの? もっとしてあげられることがあったんじゃないの?
結局、私が与えたのは好きな人との別れ、だけじゃないの?
(……私は……雫に……っ!?)
「だーれだ?」
自己嫌悪を陥る寸前だった私は急に目をふさがれて、いたづらっぽい声を耳元で囁かれた。
一瞬、一瞬だけ雫に同じようなことをされたのが脳裏をよぎって雫の姿を思い浮かべたけど、それが雫じゃないことはわかりきっていた。雫じゃベンチに座っている私の目を覆い隠すなんてことできないんだから。
それに、よく聞き覚えのある声。誰だかはすぐにわかった。
私は私の目を塞いでいる手をそっと外して振り返った。
「なにしてるの? 梨奈」
そこにあったのは、どことなく底の知れない笑顔を持つ友人梨奈の姿だった。
梨奈は軽く髪をかきあげながら私の隣に座った。
私は首をかしげながらそれを見て、考え込む。
どうして、こんなところに梨奈がいるの? こんな所に梨奈がいる理由なんて全然思いつかない、けど。
「綺麗、だよね」
「え……?」
突然、梨奈が笑顔で語りかけてきてどぎまぎする。
「夕陽」
「あ、うん。そだね……」
多分、梨奈は私になにか言いたいことがあるからここにきたんだろうな。ほら、……おせっかい、だから。
「……でも、寂しくみえるよ。私には」
「そう……」
梨奈は夕陽というよりもどこか遠くを見つめる。
「いつだったか、雫ちゃん、言ってたよね。その時の気持ちで色んな表情になるって。涼香ちゃんには寂しく見えちゃう?」
「雫がいたから、綺麗だったのかも……ね。私にとっては」
「私は、今涼香ちゃんと見れるのは綺麗だし、嬉しいよ」
「ふぅ、あんまりへんなこと言わないでよ。私のことからかいに来たわけじゃないんでしょ」
私は軽く笑い飛ばして景色に目を向けた。あいも変わらず哀愁を漂わせている世界は美しくも儚くて、儚いから美しいのかもしれない。
……なんて哲学的な言葉なんて私には似合わない、か。
「じゃ、本題。涼香ちゃんはどうして毎日ここに来るのかな? っておもって。寮のみんなも口にはしないけど心配してるよ」
「どうして、か……」
その答えは私の中に確かに、ある。
「……私さ、雫になにをしてあげられたのかな? ってね」
梨奈の質問とは異なる答えを返す。でも、ここに来ている理由は雫になにがしてあげられたか、何にも出来なかったんじゃないかっていう答えのない自問自答を繰り返すことが大きい。
それが雫と別れてからそれが心に棘ように刺さっていた。
「どうして?」
質問に答えなかったことに対しては何も触れずに私の話題に合わせて言葉を返してくれる梨奈。
「だってさ、幸せにするなんていって、あんな結婚式なんかしても、別れちゃうのは変わらなくて……結局、私なんかを好きになったせいで引越しのときに友達と別れるだけじゃなくて好きな人と別れるなんてつらさを味あわせちゃっただけじゃないのかなって……」
もう別れが避けられなくて、あの時は結婚式をするのが別れる雫への私からの精一杯の感謝と贈り物だと思ったし、後悔はしてないけど、そもそも私なんかを好きにならなければあんなつらさを味わうこともなかったのに。
「けっこんしき?」
私の胸中とは裏腹に梨奈は聞きなれない単語に首をかしげていた。
うわっ! しまった。あれは梨奈どころか誰にもいっちゃいけない二人の秘密。思わず口を滑らせちゃったけど梨奈には意味不明なだけ。
「そんなことしたの? 涼香ちゃん」
「そ、それは……」
「ま、それはあとで詳しく聞かせてもらうとして。私は、涼香ちゃんほど雫ちゃんに会ってないしどんなお別れの仕方をしたかも詳しくは知らないからあんまりえらそうなことはいえないけど、雫ちゃんは涼香ちゃんに会えてよかったって思うな」
「でも、私と会わなきゃつらい目にあうこともなかったんだよ?」
「涼香ちゃんは雫ちゃんが涼香ちゃんのせいで苦しんだなんて思ってるの?」
「それは……別に、そういうわけじゃ」
雫が私と会ったことで悪いことが起きたとか、嫌なことだったなんていいたいんじゃなくて、うまくいえないけど……
「じゃあ、雫ちゃんがお母さんに怪我させられたときは? 家出しちゃったときは? 誰が雫ちゃんのこと心配してあげられたの?」
「…………」
「涼香ちゃん、厳しいかもしれないけど涼香ちゃんがここに来てるもう一つの理由教えてあげよっか?」
「え……?」
もう一つの、理由? そんなもの、別にない、はず。
っ、梨奈の目……優しさの中に不思議なほどの強さを秘めるこの目。たまに梨奈が見せる梨奈の強さのこもった目。
「涼香ちゃんはまた逃げたいからなんじゃないの? せつなちゃんや美優子ちゃんから。いままでは雫ちゃんと一緒にいればそんなことあんまり考えないですんだ。でも、雫ちゃんがいなくなって、逃げるりゆうが……」
「やめて!!」
私は思わず叫んでしまった。梨奈の言葉の先を聞くのが怖くて。そんなこと認めてるって言ってるようなものなのに。
違う! 違う! 違うっ!!
そんな……私はそんなこと思ってない! 梨奈の言ってることを認めたら……まるで雫のことをせつなや美優子からにげるための道具に考えていたみたいで。
……最初にそう思ったのは本当、だよ。逃げるための口実に使おうとしたのは嘘じゃない。でも、そんなの本当にほんの少しの間だけであとは自分の意志で雫のために雫とあっていた。
(……じゃあ、どうして今もここに通ってるの?)
だ、だから雫になにをしてあげられたかって不安に思っちゃって……
(でも、そんなことここじゃなくても考えられるんじゃないの? 一人で悩まなくても雫のことを知ってる人はいるんだからその人たちと一緒に考えたっていいんじゃないの?)
ここが、雫の想い出の場所、だから……ここが雫のこと一番わかってあげられる場所だから……っ!?
「よしよし、いい子いい子」
自虐の森に迷い込んでいた私を梨奈は立ち上がって抱きしめていた。顔を梨奈の胸に埋めさせられる。
ふんわりとした感触に包まれながらも私は頭の中を真っ白にしていた。
「ごめんね、涼香ちゃん。言い過ぎちゃったよね。でも、逃げないで欲しかったの。涼香ちゃんには。ねぇ、涼香ちゃんは雫ちゃんに精一杯自分の気持ち、伝えたんでしょ?」
「……うん」
「雫ちゃんも精一杯その気持ちに応えてくれたし、気持ちを向けてくれた。それでいいって思わない?」
「え……?」
「私もうまくいえないけど、精一杯想いを伝え合ったのにそれ以上そのことを考え込んでも仕方ないんじゃないかな? あとは、それを自分の中でどう整理してこれからに生かしていくっていうことが大切なんじゃないかな? いつまでもこんなところにいるのは涼香ちゃんらしくないって思うな」
梨奈の言葉は耳に痛くて、耳を塞ぎたくもなったけど受け入れなきゃいけないこと、なのかもしれない。
「それに、涼香ちゃんがいつまでもこんなことしてても雫ちゃんも嬉しくないって思うよ」
「雫が……」
「涼香ちゃんは雫ちゃんが引っ越した先でも涼香ちゃんのことをうじうじ考えて新しい友達も作ろうとしなかったりしたら嬉しい?」
無言で首を振る。
「雫ちゃんだって同じだって思うよ。想われるのは嬉しいかもしれないけどそれに涼香ちゃんが縛られるのは望んでなんかないよ。だからさ、涼香ちゃん、雫ちゃんのこと忘れるんじゃなくて、雫ちゃんと出会って涼香ちゃんの中に生まれたものを抱いてこれから頑張っていこう?」
「梨奈……台詞、くさいよ」
わかってる。わかってた。本当は雫のこと、ダシにして逃げようとしていたなんて。雫になにが出来たかなって悩んでたのは本当だけど、それを口実にしようとしていたのは多分、認めたくないけど嘘じゃない。
それを認めたら本当に雫のことを道具に思っていたようになっちゃうきがしていたけど、それも私が勝手にそうしていただけなのかもしれない。想いを通じ合わせて別れたはずなのに、私は楽しかったはずの雫との思い出を自分で道具にしようとしていた。
雫は私との別れを新たな始まりの一歩にした。
私もそうしなきゃいけないのかもしれない。ううん、したい。逃げたいことに立ち向かっていけるようになりたい。精一杯に想いを向けてくれる人に……答えられるようになりたい。
「ありがと……」
梨奈から逃れて私も立ち上がった。夕陽をしっかりと見つめた後、梨奈に向き直る。
「今日で、終わりにする。バスの定期もそろそろきれちゃうしね。……それに私なんかを好きになってくれた雫のためにも、ね」
「……涼香ちゃんって結構、【私なんか】っていうよね。あんまりそういうのよくないって思うよ」
「ん…でも、ね。私がひどいのはそうだし……」
逃げてたのは事実だし、結果的にでも雫のことを口実に使っちゃってたのも事実。ひどいっていうのは変わらない。
「んーじゃあ、こういえばいいのかな。そういうひどいところがあっても私は涼香ちゃんのこと、そういうのもまとめて好きだよ。涼香ちゃんのこと好きな人だってそうだと思うな。駄目なところとかあっても、そういう所を全部まとめてその人のことを好きになるんだって私、思うから」
……それが梨奈の好きなのかな。
口元に薄く笑いを浮かべた。雫と別れてから初めて本当に笑った気がする。
「……ありがと。私、梨奈のこういうおせっかいなところ、好きだよ」
「ふふ、なぁに? 雫ちゃんから私に乗り換えちゃう?」
梨奈も楽しそうに笑って少し挑発的にいった。
「それもいいかもねー。でも、夏樹に刺されたくないからやめとく」
「大丈夫、夏樹ちゃんは私が黙らせるから」
「あはは、梨奈がいうとあんまり冗談に聞こえないね」
「冗談じゃないから」
……普段の梨奈の関係を見てるとほんとに冗談に聞こえないよ。
「ま、それでもやめてとくよ。私が想いを伝えなきゃいけない人は他に、いるから」
「…そうだね」
梨奈は軽く呟いたあと、あーあと残念そうに呟いた。
「結構本気だったのになぁ」
「もう、だから変なこと言わないの」
そうして私は笑顔でこの場所に別れを告げた。