最近、美優子ちゃんみないわね。
涼香、また西条さんになにかしたの?
浮気すると雫ちゃんに悲しむわよ。
近頃、寮でたまにこんなことを言われるようになった。
寮にまったく美優子が来なくなったわけじゃない。ただ、確かに回数はかなり減っている。以前はほぼ毎日、それも休みの日まで来てたのに、なんでかほとんど寄り付かなくなった。もちろん、風邪を引いたとかいうわけじゃない。学校ではちゃんと見かける。寮に
こなくなっただけ。
みんながみんなってわけじゃないけど美優子は寮の人には受けがよくて、こなくなったことを心配というか気にかけているのはいいことだと思う。
うん、それはいいよね。
ただ……
「私に何があったの? とか何か知ってる? って聞くならわかるよ。でもね、なんで美優子がこなくなったのが私のせいみたいに言われなきゃなんないのよー」
学校から帰っての夕食までの空き時間、何気なく梨奈の部屋に来ていた私は梨奈に向かって愚痴をもらした。
テーブルに突っ伏してもう嫌―って感じになる。
「寮の人はアレを見ちゃってるから、しかたないよ」
アレっていうのは夏休みもあけてそんなでもないころ、美優子を部屋に泊めたときに私が汗を拭こうとしたらタイミング悪く美優子が起きて、騒ぎになったこと。
思えばあの一件がすべてだった。美優子の家に泊まったときも結構言われたけど、それもこれも全部あれのせい。そりゃある程度はいじられてもしょうがないとは思うけど、なんでもかんでも私に結びつけるのは勘弁して欲しい。
「それに美優子ちゃんは仲良くしてるのはなんだかんだで涼香ちゃんだしね」
「梨奈のほうが一緒にいる時間断然多いと思うけどね」
それは、クラスが一緒なんだから当然といえば当然だけど。
「それに、聞いてくるってことは美優子ちゃんがそれだけみんなに想われてるってことだからいいことだと私は思うな」
「ま、それはね」
「でも……本当にどうしたんだろうね、美優子ちゃん」
「え? 梨奈も知らないの?」
私は思わず体を起こして梨奈のことを見た。
意外ってまでじゃないけど、何か心あたりくらいはあると思ってたのに。
「うん。何だかあんまりお話してなくて、クラスでも何か考え事でもしてるみたいで一人でぼーっとしてて、ちょっと近寄りがたい雰囲気になってるし。涼香ちゃんこそ本当になにか心あたりないの?」
「うーん」
私は顎に手を当てて考え込む。
ないよねぇ? 最近美優子に関係してなにかあるとしたら倉庫の件だけど、一応納得してくれたみたいだしあの時は嘘ついてるようには思えなかった。それに、あれが原因だとしても私を避ける理由にもならなければ寮に来なくなる理由にもならないはず。
そもそも美優子が知ってから来なくなるってことが起きるまで間隔が少しあいてたし。
「やっぱわかんない。あ、でも……」
いくら頭を捻ろうが答えは出てこなかったけど、美優子に関しては一つだけ気になることがあった。
「なぁに? やっぱり何かしってるの?」
梨奈が興味ありげに身を乗り出してくるけど、私はすぐには答えなかった。
もう何度か味わったあの冷たい視線。それを感じるとき必ずっていっていいほど周りを見回すと美優子がいた。そんなに回数は多くないけど、あれの正体が美優子だっていうのはもう間違いないと思う。
「ちょっとあるけどやめとく。確証のないし。勝手なこというのは美優子に悪いし」
「そうだね」
「あ、私そろそろ戻るわ」
「うん、何かわかったら教えるね」
「べ、別にわざわざ私に報告しなくてもいいけど」
気にはなるけど、そこまでしてもらう必要は……
「私が勝手にすることだから、気にしないで」
そういう風に言われるとね。はぐらかしずらくなるでしょうが。しれば無知には戻れないんだから。
「涼香ちゃんもなにかわかったら教えてね」
「ん、はいはい」
私は生返事をしながら梨奈の部屋をあとにした。
「なにかわかったら、か」
私は学校の廊下を一人ぼんやりと歩いていた。放課後にはなってるけど、まだ清掃の時間が終ってすぐなので晴れやかな顔をした人が多くいて独特の解放感が学校の中に漂っている。
「……やっぱり、倉庫のやつ気にしてるのかな?」
あの視線自体は一緒にいた友達も感づいたことあるけど、どれも私と一緒にいるときだった。
つまり、私に関係してるってこと、だよね。
でも、倉庫のが原因だとしてもどうしてそんなことしてくるの? それに、寮にこなくなるっていうのも変。
普段の私ならうじうじ悩んでないで直接聞くって言うのが私なはずだけど、美優子だけにはできない。
「なにしてるんだろうね、私は」
私はふと足を止めて外を見つめた。太陽とは別方向で薄暗くなった校庭で部活に勤しむ人たちが見える。走ったり、ソフトボールしたり、テニスをしてたり、色々ある。
「あぁやって体動かしてれば少しは悩んでるのも忘れられるのかな? って失礼かそんな言い方。そんなことのためにしてるんじゃないもんね」
夏休みから慢性的な悩みを抱えてる私はなにかきっかけがあるとすぐにこんなことを思ってしまう。
昔もこんなこと思った気がするけど、それから成長してないってことかな。
気になる、気になるよ。美優子がどうして寮にこなくなったかって。なんであんな目をするのかって。でも私は美優子のことに全然積極的になれなくて、きっと美優子がおかしくなってる原因は私にあるんだって思ってもなにもしようとしない。
私は振り返って黄昏色に染まる教室をみた。
「……逃げたいことに立ち向かいたいって決めたもんね」
夕陽を見ると思い起こす。雫からっていうよりも梨奈のおかげで思えたことだけど、それでもきっかけになったのは雫とのこと。雫のためにも少しはそんな自分になりたい。
「聞いてみよっか」
結局それが一番の近道だよね。せつなにもそんなみたいなこと言われたこともあるし
うん、明日にでも美優子に聞いてみよ。私のせいならそれを私がどうにかしてあげられるかもしれないんだから。
「にしても、今日の私独り言多すぎ。ま、とりあえず今日は帰ろ」
私は自分を奮起させると下駄箱に向かうために右に向き直った。
「っ! 」
その瞬間、丁度今考えていた人物が廊下の先に見えて、
「あ……」
私が存在に気づくと同時に踵を返して、そのまま走っていった。
「え……、今のって……」
私がみたと同時に走っていった、よね。美優子。
「逃げ、られた?」
逃げた、よね? 美優子。
……どうして?
なんで美優子私が見たら逃げたの? 偶然、じゃないよね? 明らかに私に見られてからビクついて逃げてたもん。何で? 私なにか美優子に逃げられるようなことしたの?
昨日、あの瞬間からこんな疑問が頭にまとわりついて離れない。
今日は休み時間目的もなくふらふらしている。とぼとぼしてるっていうほうが正しい歩き方、かも。
美優子に逃げられるなんて今までなくて、自分でも考えられないほど不安な気持ちになってる。
だって、理由が全然わかんない。もしかしたらあまりにも独り言が多すぎて気味悪がれたとか好意的? な解釈はできなくもないけど、美優子のいた位置まで聞こえるような声量は絶対にしてない。というか、あの位置の美優子にまで聞こえるような声で独り言を言うなら私だって不気味というかもはや怖くて近寄りたくない思う。
美優子に逃げられる理由なんてない、はず。ここ最近は話すらほとんどしてないんだから。様子のおかしさはあったとしても。
ぐ、偶然ってこともあるかもしれないしね。
「あ、涼香ちゃん」
「梨奈」
水道近くで梨奈に呼び止められる。
「あの、さ。梨奈、美優子からなんか聞いた?」
「んーん。何にも。どうしたの? この前は別に教えてくれなくてもいいなんていってたのに。何かあった?」
鋭い。
「えっと、やっぱ気になって」
素直に逃げられたからとはやっぱり言いにくい。
「そんなに気になるなら、直接聞いてみたら? ほら」
「え?」
梨奈は振り返って半身をずらすと、その後ろに美優子の姿が見えた。水道を使っていたせいか私たちの会話には気づいていなかったみたい。
うっわ。私も気づかなかった。
途端、何故か心拍数が上がってドキドキしてきた。
少しすると、美優子が水道から顔を上げて手をハンカチで拭く。そこでやっと美優子は私に気づいた。
「あ……」
美優子は私を見ると明らかに困惑を表しながら顔をしかめる。
「や……みゅーこ」
私はかるーく手をあげてぎこちない笑顔を浮かべた。
「あの、さ。美優子、昨日のこと、なんだけど……」
「あ、あの! すみません、わたし、い、急いでいて……。失礼します!」
「あ、え、美優子!?」
私が最後まで言う前に美優子は早足に逃げていった。それも自分の教室とは反対の方向に。
「……………」
それを呆然と見送る私たちは沈黙するしかない。
「で、どう思う梨奈?」
「……わかんない、けど。涼香ちゃんみたら逃げていったよね。それも、ちょっと困ったような感じで」
「やっぱ、そう見える?」
昨日もまるで私のこと怖がってるように見えたけど、認めたくなかったから考えないようにしてた。でも、二回目のあからさまな態度と自分以外の人にまで言われたらもう否定の仕様もない。
美優子の背中は人の中に消えて追いかけることもできなかった私は、よくわからない自失感に襲われる。
私は梨奈のことも見れないまま周囲にしぱしぱと視線を散らす。気づけば軽く唇を噛み、腕を痛みが実感できるほどに握り締めていた。
そして、ためらいがちに言葉を発した。
「………嫌われちゃった……のか、な?」
うわ、声、震えてるや。
認めたくない。考えたくない。理由も思いつかない!
でも、あのあからさまな態度。私のことを明らかに避けて、私のことを拒絶するような……
「そうは、思わない、けど」
梨奈は否定の言葉を述べるけど、目の前であんなのを見せられちゃ説得力のある言葉なんて出るはずもない。
「………そろそろ休み時間終るし、もどろっかな、っと」
このままこうしてても何か事態が改善するわけじゃない。それに、なんだか今の私を梨奈に見られるのは嫌だった。
「うん。あの、涼香ちゃん」
「ん?」
「あんまり深く考え込まないでね」
「あ、あはは、別に梨奈が思ってるほど落ち込んでなんかいないってば」
と、梨奈にはちゃらけた、お得意の上辺だけの笑顔をして私は教室に戻っていった。