『悪いと思うなら話してよ』

 ……せつなは涼香のベッドの裏を見ながらお風呂前にあった涼香とのやり取りを思い出していた。

 余計なこと、言っちゃったわよね。あんな憎まれ口みたいなのを叩くつもりなかったのに。

あまりに予想通り、涼香が断るから。

 身動きせずに葛藤をしているとたまに上の涼香のベッドから布の擦れ合う音がして涼香が寝返りをうってるのがわかる。

 ……今日も寝れてないみたいね。

 涼香が何をどう悩んでるかはわからない。けど、誰のことで悩んでいるかは大体わかる。

(……………美優子のこと、よね)

 そう心に浮かべると同時に何とも言えない悔しさみたいなのが去来してきてせつなは唇を噛んだ。

 涼香は美優子のことをせつなにあまり話そうとしない。知り合った当初はそうでもなかったが、ある期間からそうなった。

 雨宮 さつき。

その『涼香の恩人』に会いにいってその日美優子の家に泊まってから。何があったかなどわかるわけもない。だが、その日から涼香は変わった。必要以上にせつなに美優子のことを語らなくなり、それから少しの間、涼香は平穏を装いながらもどこかおかしかった。

 そして、再び美優子に家に泊まった。

 何かあったのは間違いないだろう。それを知るのは恐ろしい、想像の一番ではないが悪いほうの想像が当たっているような気もする。

(今回も、また美優子と何かあったのかしらね……?)

 美優子が寮に顔を出さなくなったのが、涼香の異変が始まるのと共に収まり、涼香は今までで一番悩んでいる。

 また寝返りの音が聞こえた。

(こんな涼香は、初めて)

 見たことのない涼香。それをさせているのが、美優子というのが悲しくてつらくて、悔しくて、せつなくて、たまらない。

 私じゃだめなの? 涼香はきっと美優子のことで悩んでいて、私のことだって関係しているのかもしれないけど私は涼香の力になることができない。

 暗闇の中せつなの顔が徐々に歪んでいく。悲哀、嫉妬、くやしさ、辛苦が鬱積し、精神の乱れが体に出てしまっていた。

 本当は今日だって聞くつもりなんてなかった。でも、涼香が悩んでいることをもしかしたら力になれるんじゃって……

(言い訳、ね)

 美優子のことで悩んでいるんじゃないかっていうのもほぼ確信しててもそれを打ち消したかったから、少しでも涼香の中から美優子のことを押し出してしまいたかったからね。

 でも、予想通り涼香は美優子のことで悩んでいてそれをはっきりさせてしまったらもうまともじゃいられなくなってしまった。

(……待つって、決めたのに。それで私が受け入れられないとしてもいいって、少しでも涼香と一緒にいられればいいって、決めたのに……)

 気持ちが他の人に向かってしまうのは、耐えられなかった

 

 

 その日は朝から曇っていて、授業の終る時間にもその雲は一切晴れることなく陽の光を遮っていた。

 一人で帰ってきたせつなは部屋には止まらず姉、ときなの部屋を訪れていた。

 寮なので基本的な内装はほとんどかわらず、整理具合や生活の拠点となるテーブルに個性が出るくらいだが。涼香とせつなの部屋同様綺麗に片付いていた。

「最近、よく来るわね。せつな」

 その中で、妹をむかえるときなはなにやらプリントを見つめながら応対する。

「……迷惑?」

「全然。ただ、友原さんと喧嘩でもしたのかと思って」

「そんなことは……」

 喧嘩したわけではないし、何かあったわけでもないただ涼香の側に少しだけいずらく感じてしまう。

 ここにいても何も解決になることはないとわかってはいても、涼香の前にいてはまた抑えきれなくなってしまうからもしれないから。

 自室を離れても、やることがあるわけでもなく持ってきた文庫本も読む気が起きない。

 せつなは無意識に視線を落とし規則的にテーブルを指先でたたく。

何を話せばいいかわからずどうすればいいかわからないときにする、クセのようなものだ。

「そんなことよりお姉ちゃん。涼香のこと苗字で呼ばないでって言わなかった?」

「あら、ごめんなさい」

 ときなは軽く謝ると目を通していたプリントから顔を上げん〜っと首をひねった。

「……前から聞きたかったけど、友原さんってどうして、苗字で呼ばれるの嫌なの? あ、ごめん」

 再び友原さんという言葉にギロとにらみつけるが、ときなの言葉がせつなの心の柔らかい部分に突き刺さる。

「それは……」

 せつなは口をつぐむ。

 当然だった。答えようがないのだから、知らないのだから。

「知らないの?」

「わ、悪い!?

「別に、悪くはないけど。少し意外ね。知ってると思ってた」

 姉の何気ない言葉がまた棘となって入ってくる。

 知らない。今まで教えてもくれなかった。わかるのはとにかく嫌がってるということだけ。【友原】という名前を。

 好きな人のことなのに実は涼香のことをよく知らないんじゃないかという不安が刺さった棘を化膿させていく。

(……そういえば……)

 美優子が涼香のことを友原さんから涼香さんと呼ぶようになったのは例の【涼香の恩人】に会いにいって泊まった日からだった気がする。

 そこで、何かあったから? 友原と呼ばれるのが嫌な理由、その秘密を美優子が知った、から?

 美優子は知ってるの? 私すら知らない涼香の秘密を……

「せつな?」

「あっ!? な、なに、お姉、ちゃん?」

「人の部屋きてぼーっとされれば気にもなるわよ。悩みでもあるなら遠慮なく聞くわよ?」

「う、ううん。大丈夫だから。ごめん、もう戻るね」

「何を悩んでるかはしらないけど、あんまり思い詰めすぎないように」

「……うん」

 明らかに気落ちした様子を見せせつなはときなの部屋を後にしていく。

(戻ろう)

 なんだか無性に涼香が他の人と、美優子といることが、いるかもしれないことが怖くなってしまった。少し居心地悪く感じようとも涼香の側にいたい。

 ……見張っていたいというのが本音なのかもしれない。

 しかし、そう決意するのが遅かったとせつなが後悔することなる。

 

 

 【……美優子のこと、好き……だから】

 好き。

 涼香さんそういってくれた。

 わたしのこと好きだって。

 その【好き】はわたしの【好き】と違うなんて涼香さんは言ってたけど、そんなの関係ないもん。

 わたしの気持ちに答えられないって言われたのは残念で悲しかったけど、それも関係ない。

 涼香さんがわたしのことを好きって言ってくれたこと。

 それがすべて。

 嬉しい。嬉しくてたまらない。

 一方的なことばっかりして、もしかしたら嫌いになられちゃったかもって思ったこともあったけど、好きって言ってくれた。

 抱きしめてもくれた。それも初めて。涼香さんのことがわたしの中に感じられて、心も体も包んでもらえた気になった。もうお空の上まで飛んじゃいそうな気分になって、幸せってこんな気持ちなのかなって思えた。

 欲しい【好き】とは違う【好き】なのに涼香さんが私のこと好きなのが、もうそれだけで幸せになっちゃう。

 単純なだけなのかもしれないけど、好きな人に好きって言ってもらえる。これで幸せにならない人なんていない。

 最近の涼香さんはちょっと調子悪そうだけど、でもちゃんとわたしとも話してくれて、涼香さんが好きって言ってくれたら、その言葉がもらえたからうらやましいとか嫉妬してたもの全部がなくなったわけじゃないけど、朝靄が晴れるみたいにスーッと収まっていった。

 何回でも心の中で確かめる。

 涼香さんの好きっていう言葉を。

 明日あったらどんなことを話そう。そんなことを考えながら眠るのは形容できないほどに幸せだった。

 

 

 朝から曇っていた天気は放課後になっても変わることはなかったけど、わたしの心はそんな雲とは裏腹に晴れわたっていた。

 美しい落葉を見せる並木道を通って一人、寮に向かっていく。昔は種島さんとか誰かと一緒じゃないとなかなか寮には足を向けづらかったけど今は涼香さんに会いにいくっていう目的があって、それだけで一人でも全然気にしなくなれた。

「こんにちは」

 ドアをうるさくない程度に開けて寮の中に入るとめずらしく入り口のロビーには誰もいなくて閑散としてる。

 わたしは軽く周りを見回した後、二階に向かっていく。

 涼香さん、どこにいるのかな? 二階のロビーにもいなかったら多分、部屋だと思うけど。

 そう考えると少しだけ足の動きが鈍くなる。

 涼香さんの好きのおかげで嫉妬はほとんどなくなったけど、それでも朝比奈さんにだけはまだその気持ちがぬぐいきれない。涼香さんと同じ部屋なのもあるんだろうけどなにより、わたしが入り込めない見えない壁があるような気がするから。

 ううん、朝比奈さんだって涼香さんと同じわたしの初めての友達なんだからそんな風に思っちゃいけない。

 コンコン。

「…………」

 二階のロビーにも人がいなくて直接涼香さんの部屋まできてノックしてみたけど返事がない。

「まだ、帰ってないのかな?」

 今日はちょっと遅くなっちゃったからもう帰ってるって思ったけど。

「あ、開いてる」

 それを確認すると逡巡したあとドアを開けてみた。

「失礼します。あ……」

 入ると涼香さんがテーブルの脇で横たわっているのが見えた。朝比奈さんは都合よくというか、とにかくいない。

 寝てる、みたい。疲れてるのかな? 最近、ぼーっとすること多かったし。

 よく見ると目のしたにクマみたいなのもある。でも、今までに見たことないような涼香さんの顔を見れて少し得した気分かも。

 こうやって涼香さんの寝顔をみるのは何回かあったけどそのたびにわたしは同じ衝動に駆られて、その通りにしてきた。今も、朝比奈さんはいなくて、わたしと涼香さん二人きり。それも涼香さんは寝ててわたしのすることに気がつけない。

 それに……涼香さんはわたしのこと好きっていってくれたんだし。

 わたしはすでになんどかそうしたように涼香さんのすぐ側に腰を下ろすと、頭に手を添えてわたしの膝にそっと乗せた。

「ん…………」

 そして、これも前したみたいに手をほっぺに添えて涼香さんの熱を感じる。

 可愛くて、綺麗で、かっこよくて、わたしにはないものをいっぱい持ってる大好きな涼香さん。

 この柔らかいほっぺたも、形と色のいい唇も大好きで、今は閉じてて見えないけどクリっとした大きな瞳がわたしを見つめてくれると胸がキュンってなってあったかくなってくる。

【……美優子のこと、好き……だから】

 口元に笑みを浮かべながらただ涼香さんに触れていると、唐突に涼香さんの言葉がよみがえった。

(……好き……)

 心の中でその言葉を確かめると、もっと胸、ううん体中が熱くなってくる。

【……美優子のこと、好き……】

 好き、わたしのことを。

 体が熱くなって顔が赤くなって、胸に手を当てるとすごくドキンドキンして、なんだか感情が暴れだして抑えが利かなくなっていくような感覚。

(……ぁ……)

 少し前に同じような感覚になったことがある。あの時も、急に頭を出してきた感情を抑えるどころか抵抗することもしなくて、そのままに体が動いて……

 初めてのキスをしちゃった。

【美優子のこと、好き】

 二人きりの部屋。誰にも邪魔されることも見られることもない。涼香さんも眠っている。痕跡はどこにも残らないし、なにより……したい。

【好き】

 涼香さんの肩に手を回して、顔を持ち上げると口が勝手に言葉をつむぎだす。

「……わたしも、涼香さん。……わたしも、涼香さんのこと」

 体がくの字に曲がっていって、どんどん涼香さんとわたしの顔が近づいていって……

「……大好き、です」

 ちゅ。

 ゼロになった。

 ガタン!! 

 同時に本が床に落ちるような音がして、いつのまにか、開けはなれたドアの前にいたのは……

 朝比奈、さん………

 

 

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