あの時の、せつなに襲われた夜のように私は半ば意識のないままふらふらと歩いてあの時と同じように一階のロビーについていた。
「あ、涼香―」
不意に名前を呼ばれて、その方向を向くと、呼んだ主とそのルームメイトの姿が見えた。無視するわけにもいかなくて私はその二人、梨奈と夏樹のもとに向かう。
「ねぇ、ちょっと前に美優子ちゃんが……ッ!? す、涼香ちゃんまでどうしたの?」
私が二人のいるソファの近くまでよると梨奈が驚愕の声をだす。
涙は止まったけど、目は多分赤いまま。……泣いてたってことがばれるかはわからない程度と思うけど。
「……ちょっと、ね。私のことなんかより、美優子が……どうしたの?」
とても人と話す気分なんかじゃなくても美優子のことだって言われると無視できない。
「そ、西条がさー。ちょっと前、泣きながらそこ通っていっていたんだけど、あたしたちが声かけても無視していくし、最近様子も変だって梨奈が言うから話してたの」
「うん、それに気のせいかもしれないけど、美優子ちゃん、せつなちゃんと話してたような気がするの。少し声が聞こえた気がしたんだけど」
梨奈は私が泣いていたって気付いているだろうけど、敢えてそのことには触れてこないみたい。美優子の話だけでも気が重い以上ありがたい配慮だ。
美優子とせつなが話してたときからここにいたのかは知らないけど、仮にいたとすれば聞こえててもおかしくないかもしれない。あの時のせつなはとても周りに配慮するなんてこと考えてなかっただろうから。
「もし二人が喧嘩してたりしたら心配だなって思って。涼香ちゃんは何か知ってる?」
「……梨奈は美優子のこと心配してくれてるの?」
私は二人を見ないでそれだけを告げる。
「え、友だちだもん。泣いてたり喧嘩してたら心配だよ? どうしたの涼香ちゃん?」
「……ううん、ありがと」
「? どうい、たしまして?」
梨奈はなんでお礼言われるのかわかんないといった具合にそう返す。
せつながあまりに美優子に冷たかったせいか、美優子のこと心配してくれるというだけでなんだか嬉しかった。
「あたしは、そうでもないけどね。仮に、朝比奈が泣かせたんだとしても、西条のほうが何かしたんじゃないの? 朝比奈はそんなわけもなく人のこと泣かせたりしないと思うし」
「夏樹ちゃん。そういう言い方、よくないって思うよ」
はっきりと自分の意見を述べる夏樹に梨奈が諌めるように告げる。
「いや、あたしだって泣かせるのはやりすぎとは思うよ? 朝比奈だけに非があるってわけじゃないんじゃないのってこと」
「私も別にせつなちゃんが悪いって思ってるわけじゃないけど。このところ二人とも少しおかしかったし。喧嘩とかはしてほしくないもん」
「梨奈って、なんか西条の肩持つこと多くない? 別にいいけどさー」
その後も小競り合いみたいに美優子とせつなについて二人は言葉を交わす。
私は、なんだかさっきまでの私とせつなの口論の代理戦争でもしてる気がして気分よくないけど、黙って立ち去るっていう雰囲気でもなくて口は挟まないまま二人の話を聞いていた。
けど、
「だから、私は美優子ちゃんの味方とかそんなんじゃなくて二人のことが心配なの!」
「だから、そういうのが贔屓してるように聞こえるんだってば」
なんか、変に熱を帯びてきてしまった。
「ね、ねぇ。とりあえず、食堂いかない? ほら、そろそろご飯の時間だし」
さっきまでの私とせつなを見ているような気分になった私は無理やりに話題を変えて、その場を仲裁しようとする。
先に反応したのは梨奈で私を探るような目つきで見てくると、うんと頷いた。
「あたしもいいけど朝比奈は? いつも一緒にいってるのに」
「夏樹ちゃん、もう」
「あぁ、せつな? んと、気分があんまよくないから先いっていいってさ」
実際はもちろんそんなこと言われてないし、せつなが食堂に来ちゃえばばれる嘘だったんだけど、私の言葉通りにせつなは食堂に訪れることはなかった。
(どうして、だろ……)
ほとんど食べる気にならなかった夕食をとり終えた私は梨奈、夏樹のコンビと別れると部屋の前に佇んでいた
(……せつな、来なかったね)
部屋にいるのかな……?
頭冷やしてくるなんていったけどなんにもできてない。心は確かに落ち着いたけどそれは涙を流した分そうなっただけ。人は泣くと少なからず落ち着くように出来ているらしい。この前英語で読んだ論文に書いてあった。
ただ落ち着いたってここに来れば考えちゃう。せつなに会ったらどんな顔すればいいんだろうって。
でも、不思議な感じ。部屋に戻りたくないって思っても、戻らないってことは絶対にない。当たり前なのかもしれないけど、私が帰る場所はここしかないんだよね。
私は一度目を瞑ると勇気を出してドアを開けた。
「……?」
中は電気がついてなくて真っ暗で、せつながいると思っていた私は少し拍子抜けで部屋に入っていった。
せつな、いないの?
と思いながら電気をつけると
「ッ!?」
自分のベッドに仰向けになってるせつなを発見してうろたえた。
「……おかえり」
「い、いたんなら電気くらいつけててよ」
せつなは私の言葉に答えることなくただ前、つまり私のベッドの裏を見つめている。私は若干おののきながら部屋に入っていってせつなから平行になる位置でテーブルの前に座ってベッドとは反対側をむく。
「……ご飯、いいの?」
こんなこと話したいんじゃないのに。
「……涼香。涼香は、怒ってる?」
「………………怒っては、……ない、よ」
悪いのは私、だなんていわないけど、少なくても今は怒りが湧き上がったりはしてない。今私が思ってしまっているのはもっと別のこと。
「…………………そう」
せつなの声は氷のように冷たい。昔、せつなと仲直りをしたときにはこんな風に言い方に怒られた。今は、感情を表にしていないところがいやに怖く感じてしまう。
「あの子の、ことも?」
「…………」
誰のことかもわかってるし、何のことかもわかってる。でも、私は答えられなかった。せつなが美優子を貶めるために嘘をついてるとかはまったく思わない。せつなと美優子の様子がそうさせてくれない。
私は情けない顔でせつなから目をそらすしか出来なかった。
「私は……、私は、許さない。絶対。涼香の気持ちなんて考えてないで、無視してあんなことするなんて。……こんなこと私が言える立場じゃないなんてわかってるけど、それでも許さない。許せない!」
はっきりと憎悪のこもった声。その憎しみは美優子にだけじゃなくて、きっと自分にも向かってる。
だから、こんなにも泣いているように聞こえるんだ。
美優子を傷つけるたびに自分も傷ついているから。
「涼香にどう思われたって、それだけは言っておくから……」
「うん……」
美優子のことを許さないってことを肯定したわけでも、否定したわけでもなく言葉に頷いた。
というよりもすでに私の頭は容量いっぱいでせつなのことすら考える余裕がなかった。
(なんで……? どうして……?)
「…………ご飯、いってくる」
せつなは起き上がると生きる死人みたいに生気のない様子で部屋を出て行った。
私も同じように死人みたいな目で背中を見送って呟く。
「……どうして、こんなことになっちゃったんだろう」
と。