幸い、うちのクラスは担任のくるのが遅くて遅刻になるのは免れたけど、まさしく醜態というか、みっともなかった。

 やましいことをしてたわけじゃないけど、少なくても人に知られて自慢できるようなことはまったくしてない。

 でも、やましいことをしていなくてもおかしなことをしていたのは事実なわけで、妙なことがあれば多かれ少なかれある程度広まっちゃうのが学校というもの。

 たとえ、それが別のクラスだろうと放課後にもなれば伝わってくる。

「涼香、朝、どうして早くいったの?」

 掃除も終っていざ帰ろうと教室を出る寸前にせつなが聞いてきた。

 気持ちを張り詰めた表情。せつなだってこんなこと聞くの嫌だろうに、私からは目をそらさない。

「ちょ、ちょっとね」

「一組で寝てたって本当?」

「あ、えと……」

 嘘ついても仕方ないよね。わかってて聞いてきてるんだもん。

「……うん」

 顔が見れない、や。

「あの子の、机で寝てたっていうのも?」

 私の口から聞かなくても知ってるはず、それでもせつなは私から答えを聞くことを望んでいる。

「…………うん」

 聞いてもせつなは表情を崩さない。でも、私がせつなのこと見れないように、せつなも私から目をそらした。

「なに、してたの?」

 だから、寝てたんだって。とは、いえないよね。でも、だからって美優子が好き、かもしれないからそのことを美優子の机で考えてたなんていえるわけないでしょ!

「ちょっと、考え事」

 意味がない、こんなの答えになってない。

「…………そう」

 けど、せつなはそれだけを呟くと踵を返した。

「先、帰る、から」

 そして、そういい残してまるで泣いているような背中を見せて歩いていった。

 

 

 部屋に帰ってもせつなはいなくて、私は一人の部屋でベッドに横になって天井を見つめていた。思考も定まらないままいつのまにか時間はたって夕食の時間になっていた。

 それでもせつなは戻ってこず、私は一人で食堂に向かった。

そこにはせつなもいなければ、丁度仲のいい人たちにも出会わず私は一人で黙々と食事を済ませると部屋に戻っていく。

「……おかえり」

「っ」

 ドアを開けると抑揚のない声が私を迎えた。

「……ただいま。もどってたんだ」

 私はそう返すと、せつなのことは見ないで中に入っていく。

 せつなは紅茶を飲んでいて、部屋はその優雅な香りに満たされていた。

 嗅いだことはあるはずだけど、なんか……なれない香り。ここ最近はずっと嗅いだことのないような……?

「飲む?」

 抑揚のない声。何を考えているかよめない瞳。

「あ、うん。……お願い」

 あんまり気分じゃないけどどこか断れる雰囲気じゃない。

 せつなが紅茶を入れてくれてる間、私はこの匂いに思いをめぐらせていた。知っているはずなのに思い出せない。

 でも、何だか体が少し震えていた。

「……はい」

「あ、ありがと」

 せつなから差し出されたカップを受け取って、テーブルに腰を落ち着ける。

 ただ、猫舌というほどじゃなくても熱いのは苦手なので冷めるのを少し待つ。

 せつなは何も言ってこないけど、私のことをじっと見つめていた。それと、なぜか淹れてくれたカップもたまに見る。

(……なんだろ?)

 私のこと見るのは……そりゃ、わかる、けど。なんでカップまで見るの? 何かあるの、かな?

 ……毒でも入ってるとか?

 美優子に渡すくらいならいっそ、とか?

(はは、いくらなんでもそれはないよね?)

 我ながら変なこと考えてるなと思いながらもそろそろいい具合に冷めてきたカップを取ってその縁に口をつけ……

「っ!!??

 舌がその味を感じた瞬間、体が大きく震えた。

(これ……これって…………)

 この味。

(あ……ぁ…あ……)

 頭にあの光景がよみがえる。夏休みに入ったあの日の。

 甘くて、苦くて、柔らかくて……そう、これは。

 私の、初めての

(キス、の味)

 あの時と、同じ味、同じ香り、同じ紅茶。

 押し込めていた記憶がよみがえって、私は不用意にせつなのことを見てしまった。それこそ、覚えているっていう合図なのに。

 ……あの日から、せつながこれを淹れることはなかった。それまではよく飲んでいたのに一切飲まなくなった。

 私も、せつなだって思い出したくなんてなかったから。

 でも、今ここで、コレを淹れたその意味って……

 舌をつけただけで一口すら飲まなかったカップをお皿に置こうとするけど、手が震えててカタカタと音を立ててしまう。

「…………」

 せつなは何も言わない。切なそうな顔顔で紅茶を飲んでいる。

 さっきの明らかにおかしな私の行動にも何も言わず私を見ることもなくただ紅茶を飲んでいる。

 きっとせつなの目的はもう済んでいる、から。

 メッセージは伝わったから。

 この紅茶の意味……メッセージ。

 それはつまり……

(答えを、ちょうだい)

 そんなせつなの声が聞こえた気がした。

 

 

気品のある香りに、渋みのある味。

 あれがローズマリーっていう品種だっていうのは知った。

 ローズマリー。シソ目。シソ科。

 花の色は青か紫が主流らしいけど、白や桃色もあるとか。

 花言葉は……「記憶・思い出・私を思って」

 ……あとは、愛の象徴ともされるらしい。

偶然だろうけど、今の状況に不思議なくらいふさわしい。

 なれない図書館やパソコンをつかってなんとなく調べてしまった。

 せつなの様子は目に見えておかしい。

 あの日からせつなはそのローズマリーしか飲まない。朝、下校のあと、夕食後。必ず、それを飲んでいる。私の分まで淹れるけど、私は一口すら飲んでいない。

 怖くて飲めない。

「…………」

 部屋の中は相変わらずの沈黙。沈黙の中、紅茶にゆらゆらと写る情けない自分の顔を見つめるだけ。

でも、もう少し前のとは全然違う。部屋の空気が重たいだけじゃなく、以前、私が美優子の机で寝ちゃうまでは学校とか人のいる前じゃ普段どおりだったのに、今はどこにいてもほとんど何も話さない。

 なんだか、せつなが別人のようにすらなってしまっている。

 それをさせているのは……私。

 せつな。

 私の大切な人。一番の……友だち。

 ここでの初めての友だちで、親友で、どこで何をするでも一緒だった。

 自分にも他人にも厳しいところはあるけど、でもそれは優しさの裏返しで私なんかと違って自分を偽ったりもしない。

 いつも一緒にいることが本当に自然で、当たり前で、それが楽しかった。それも楽しいだけじゃなくて、色々なことを教えてももらった。だからかはわかんない。

けど、あんなことされても嫌いになったりなんて思いもしなかったし、それでも一緒に過ごしたいって思った。せつなが……好き、だから。

 待ってて、欲しい。

 好きの答えが出るまで。

 そういって、私たちは仲直りしてまた戻れた。親友に。少なくても、私はそう思ってる。せつなが本当はどう思っているかはわからない。

 それからもいろんなことがあった、せつなとだけじゃなく美優子と出会って、さつきさんのこと少しだけ話したり、雫とばっかりでせつなのことちょっとないがしろにしちゃったり。

 ……二人きりの倉庫でせつなの気持ちを思い知らされたり。

 そして、美優子の……キスがあってぎりぎり保っていた私の好きな【今】が壊れて……せつなからのキスを拒絶、して……

 今、ここに私とせつなと美優子はいる。

 もしかしたら、せつなは気付いてるのかもしれない。私ですらよくわかっていない私の気持ちに。

 私の……美優子への気持ちに。

 せつなの好きも、美優子の好きもわかったわけじゃない。きっとまだわかってない。

 けど、きっと…………きっと……私は……せつなに…………応え、ない……と、……思う。

 気持ちがはっきりしてるわけじゃないけど、私の気持ちは…………美優子に向いてる……と……思う。

 待たせれば待たせるほど、せつなの傷は深く取り返しのつかないものになる。自分が悲しませてるのに都合のいいこというけどせつなの傷ついたところ、悲しんでるところだって絶対に見たくない。一番の友だちが苦しんでる姿なんて見たくない。

 大切な想いは言葉にしなきゃ、伝えなきゃいけない。伝えなかったらなかったのと同じになっちゃう。

 それはせつなに教わった大切な、とても大切なこと。

 たとえ、せつなに応えられなくても……伝えなきゃいけない。言葉にしなきゃ。大切な想いだから。

……応えないとしても。

じゃなきゃ、せつなを生き地獄の中に住まわせ続けることになる。あの地獄、心を焼かれ続ける煉獄。そこに、生きているのすら辛いのにでも離れることもできない。少しの天国と大半の地獄。

 心が嘘をつくことに慣れてしまって、自分を否定することしか出来なくなる。

 そんなことしちゃいけない。

 だから、私は……

 紅茶に写る惨めな私から、やりきれぬ想いを抱きながら紅茶を飲む、か弱い女の子を見つめる。

 せつなに、伝えよう。

 私の今、心の中にある気持ちを。

 

 

 風が頬をなでる。

 すでに冬の兆しが強い今、この場所寮の屋上なんかじゃ寒くてたまらない。

 私は、入り口からまっすぐにフェンスの端で景色を見ている。

 右手に校舎、眼下にはほとんど裸になった木と、この時期でも葉をつける常緑樹に別れている。空は雲もほとんどなく蒼く澄み切っている。

(……変わっちゃってるね、色々)

 あの時は、木々は青々としてたし空にも雲が出てたりもした。

 あの時……せつなにモラトリアムをもらったときには。

 今は、休日のお昼を少し過ぎたところ。私はお昼も取らないでせつなが部屋を出ると同時に「話したいことがあるから屋上に来て」との旨の置き手紙をして一人、先に屋上に来ていた。

 場所をここにしたのは、二人きりになりたかったから。この季節にわざわざ屋上に出て寒さを味わいたい人もいないだろうし。

 と、いうわけじゃない。人が来ないっていうのも理由ではあるけど、本当の理由はもちろんせつなに答えるにはここが一番だと思ったから。

 それがどんな答えだとしても、せつなは私の答えを待ち望んでいるから。私の答えがなければせつなをあの地獄に、私が味わっていたあの地獄に住まわせてしまう。

 せつなは置手紙を見れば絶対に来てくれるだろうけど、いつ見るかまではわかんない。

 当然来てくれるまでいつまでも待つつもりだけど、出来れば早く来て欲しい。風がなければともかく、風が吹いたりすると寒くてたまんない。

 私は風が吹いたのに反応して体をブルブルと震わせると、背後からカチャと控えめな音がした。

(……っ)

 体が寒さとは別の理由で震える。

 私は目を瞑りながら一つ深く息を吸って、ゆっくりと振り返った。

 途端、胸が締め付けられるような気分になった喉がつまった。

 視線の先、屋上の入り口。

 

 そこに、私の一番の友だち、せつなの姿があった。

 

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