胸がドキドキしてる。
あの、水の中にでもいるような重い感覚。
息苦しさを覚えながらも、せつなから一時も目を離さずにせつなが私のところまでくるのをまった。
せつなも私のことはみてくるけどその表情から心の中を窺うことはできない。
けど、私なりに予想はしている。
せつなは私の気持ちも、答えもきっとわかってる。わかってるから、あんな風に今まで封印してた紅茶を飲んだりして、強引に私から答えをもらおうとした。私がせつなに応え…ないって自分の中で予測してるからそうするしかなかった。
そうしなきゃ、自分に押しつぶされちゃうから。光のない海で泳いでいるような気分になておぼれてしまうから。
そして、なによりせつなはどんな答えだとしてもそれが私の口から伝えられることを望んでる。どんな答えでも、私の本当の気持ちが欲しい、から。
せつなが近づいてきてる、ゆっくりと。
暗い、重い。私の胸を締め付けるような、そんな空気を背負うせつなに私はひるむ。
(……ううん、やっぱり言い訳なのかも)
せつなの気持ちなんてわかるはずがない。せつなが私の気持ちをある程度わかってるとしても、それは確信にはならない。気持ちを察するなんてほんとはできないことで私の気持ちを予想してるからキスの紅茶を使って答えをもらおうとした、なんて私の都合のいい解釈でしかないかもしれない。
どっちにしろそんなことわかるはずもなくて、でも一つだけ正しいっていえるのはせつなはどんな答えだろうと私の口から伝えられることを望んでるということ。
それだけは絶対に間違ってないはず。
だから、伝えるよ。
大切な想い、だから。
言葉にしなきゃだめだから。
「……話って、なに?」
せつなは私と話のできる距離までくると私から目をそらさずに言った。
喉は詰まるような感じはするし、息苦しくもある、色んな想いが胸に幾重にも重なってどうにかなってしまいそう。だけど私もせつな視線から逃げたりはしなかった。
私たちの距離は話すのには十分の距離だったけど、それでも私は一歩距離を詰めた。
「せつな」
そして、名前を呼ぶ。
私の大切な、本当に大事だと思う人の名前を。
「……なつかしいよね、前にここで話ししたのなんてすごく昔に感じる」
「……そう、ね」
「…………えっと…」
ここまで来てなに怖気づいてるの!? うじうじしてたってなんにも始まらないんだから。
「せつな」
私は意を決してもう一度名前を呼んだ。
「私、せつなのこと好き。すっごく、すっごく、大好き」
「………うん」
「こっちに来てから一緒にいるのが当たり前だったし、せつなと一緒にいるのって楽しかった。私、もうせつながいないのって考えられない。そのくらいせつなのこと……好き、だよ」
こんないいかた残酷だよね。でも、本当にそう思うの。大好きなの、せつなのこと。伝えたい大切な想いなの。
「でも、ね。多分、私の【好き】……って、あの、夜にせつなが言ってくれた【好き】とは違う、んだ」
涙、でてきちゃった。泣かないって決めてたのに、せつなを目の前にしたら、気持ちが抑え、られない。
「…………」
「わたっしは、ね、私の好きは友だちとして、なの。そういう意味でせつなのことが好きなの……」
この、答えはずっと前から出ていたのかもしれない。せつなと色々なことがあったけど、友だち、親友以上の感情を持ったことは多分、ない。いつでも、どこでも私は親友としてのせつなと接して、そんなせつなを望んでいた。
これが私のせつなに対する本当の好きの答えなのかはわかんない。今はこう思っても、変わることだってあるかもしれない。
「だから、……だから…………ごめん。私、わたし……せつなの気持ちに応えられない。……応えられない、の」
でも、今は、今の私はせつなに応えられない。
(……っ)
気持ちを吐き出し終えると、私は俯いてしまった。本当ならどんなことがあろうとせつなから目をそらしちゃいけないのに、涙に濡れた目でせつなのことが見れなかった。
せつなは一言も発しないで、私の言葉を聞いていた。
「………………」
無音。
風は凪ぎ、周囲の雑音も一切消えている。ただ、冷たい空気だけがその場を支配している。
まるで時が止まってしまったかのような錯覚すら受ける。
でも現実そんなことはあるはずもなくて……
「涼香。顔、上げて」
達観したような声が浴びせられた。
それにどこか不思議な感じを覚えながらも私は促されるままに顔を上げると……胸を刺されたような衝撃を受けた。
せつなの顔が、なんだか、なんていったらいいかわかんないけど、悲しそうなのに、どこか楽になったような表情で……
「ありがとう」
「え………?」
今の、聞き間違い?
「やっと涼香からそういってもらえたわね。あ…は、肩の荷が下りるってこういうこと言うのかしら」
「せつな……」
強がりには聞こえても嘘を言っているようには見えない。笑いはしないけど、泣きもしない。でも、今のせつなからはなんというか負の感情は伝わってこなかった。
「涼香」
「な、なに?」
「こんな時になんだけど、一つ私のお願い聞いてくれない?」
「おね、がい?」
「そう」
それから少し、間があった。
目を閉じ、手を胸に当てて自分の中で何かに踏ん切りをつけるかのような沈黙。
「涼香、美優子のこと…………好き、よね? 友だちとして、だけじゃなくて」
「えっ!? そ、それは……」
自分でも、そうなんじゃないかとは感づいてる。そう思うようになってからは、美優子のことが頭から離れなくなった。せつなにどう応えればいいんだろうって悩んだ日々でも、美優子のことは消えなかった。
それって、好き、なんだと思う。
けど、それがせつなから言われるなんてとても考えられなくて狼狽した。
「……わか、るの?」
言葉の上じゃ否定も肯定もしないまま問い返す。せつなが何で今こんなこと話し出すのかはわかんないけど、正面からせつなに向き合わなきゃいけないから。
「ふふ、私を誰だと思ってるの?」
せつなは何故かなつかしそうに笑った。
「わかるわよ。……ずっと涼香のこと見てきたんだから」
「あ……」
……わかるよ。ずっと先輩をみてきたんだもん。
その言葉が頭をよぎった。遥か前に私がせつなに告げた言葉。
諦めの、言葉。
「涼香がどんな目で美優子を見てたか、涼香がどんなこと思っていたか……わかっちゃっう、わよ」
重い、言葉。特に私には何よりも説得力を持って聞こえる。
その人のことが大好きで、その人のことばかりを見てればわかる。わかるの。その人が何を思ってるか……誰が好きなのか。
不思議なほどにわかっちゃう。へたするとその人以上にその人も気持ちがわかっちゃうの。
せつなが私すら理解できてない私の気持ちに気付いててもおかしくはない。ううん、離れた場所から見るからこそ見える物もあるのかもしれない。
「好きよね? 美優子のこと」
もう一回、問いかけられた。
私はまだ涙が消えきっていない目でせつなを、一番の親友の目をはっきりと見返した。
「……うん。そう、だと思う」
美優子がいう好きとは違う。どんな好きかも、よくはわからない。それでも私の中に小さな感情が芽生えてる。美優子を【好き】っていう気持ちが。芽を出して、蕾を作ろうとしている。
「それ、伝えてきて。今から」
「えっ?」
「美優子に好きっていってこいって言ってるの」
そこでやっと私は、せつながいつの間にか【美優子】といっていることに気付いた。あのキスからずっとあの子とか名前で呼ばなかったのに。
「ちょ、ちょっと待ってよ。いきなり、そんなっ」
「あんまり待たせると、美優子が可哀想よ。今ひどい状態でしょ? 私のせいでもあるけど、自分をせめて悔いて、部屋とかじゃ泣いちゃってるんじゃないの? 自分が悪いことしたって思い込んで、まぁ、悪いとは思うけど。あぁいう時ってどんどん悪いことばっかり考えちゃうのよね」
せつなの言葉はどこまでも実感を持たせる。せつなは経験からそれを言って、そこには言いし得ない説得力が生まれている。
「でも、私……美優子にだってうまく応えられない、と思う。美優子が望んでいる好きと、私の好きは違うと、思う、から」
「ふぅ……」
せつなは呆れたように息を吐いた。
「涼香、前にここで話したときも思ったけど。その考えってどうかと思うわよ」
「え?」
「好きがわからない? 美優子が欲しい好きとは違うから美優子に応えられない? はぁ、まったく、普段は理屈なんかじゃ物を考えられないくせに変なところで頭使ってもしょうがないの。いいじゃない、わかんなくても。そんなの、美優子と一緒にわかっていけば。わからないなら、知ろうとすればいいのよ。美優子と……一緒に」
「せつな……」
「それに、違っても関係ないわよ。好きに形なんてないの。私は私なりに涼香のことが好きだし、美優子もそう。だから、涼香は今自分が思う好きを美優子に応えてあげればいいのよ」
せつなの言うことはこれまで私の悩みも苦しみも否定するに近いことかもしれない。けど、聞いていて不快にはならなかった。
ううん、むしろ心に何かが芽吹いてくる。
「っていうか、実はここに来る前に美優子に電話しておいたのよね。涼香が話、あるからって」
……やっぱり、せつなは予想してたんだ。私が今日ここで何をするか。
せつなに申し訳ない気持ちは確かに湧いてきた。湧いたけど、それ以上にせつなへの感謝が湧いてくるような。
背中を押された、押してもらえたような気になれた。
「そ、そんなずるいよ。そんなことされたら逃げられないじゃない。まだ、心の準備だって」
いつのまにか私は親友への言葉になっていた。
「そんなものは必要ないの。今、涼香が思う好きを美優子に伝えてあげればいいのよ…………………だから……」
(……せつな)
そこまで駆け足に、きっと事前に準備の出来ていた言葉を勢いで述べてきたせつなに蔭りが見えてきた。
言ってしまえば、区切りがついてしまうから。自分の中で何かが終ってしまうような気がするから。
でも、せつなは強い。私なんかよりもずっと。
「だから、行ってきて、美優子のところに」
せつなは笑顔だった。崩れた笑顔。だけど、そこには清清しさのようなものがある。
せつなは強い。
そして、私は弱かった。
背中を押してもらったはずなのに、その笑顔に後ろ髪をひかれてしまう。
「……早く、いきなさいよ。…………しばらくしたら私泣きだすわよ? そんなに私の泣いてるところみたいの?」
「…っ。ううん。行く。美優子に伝えてくるよ」
また、せつなが勇気をくれた。
弱気になったとき、苦しいとき、つらいとき、悲しいとき、せつながいてくれたから私は今までやってこれたって思う。
今の私があるのは間違いなくせつなのおかげ。
最高の、友だち。
「せつな、ありがとう」
私は、そう告げてせつなの横を通り過ぎようとした。
「っ、すずかっ!」
気持ちを殺しきれない、せつなの声。
思わず耳を塞ぎたくなるような、悲痛な心の叫び。
振り向くべきじゃないのかもしれない。でも、私はせつなのことを信じてる。
「なに?」
私はせつなに向き直ると穏やかに声をかけた。
せつなは黙って私に一歩近づいて、冷えついた手を私の顔のところまで持ってきた。
そして、その手で
「っ!?」
さっきせつなに対して流した涙を掬われた。
「涙……告白する前から泣いてたんじゃ格好つかないでしょ?」
もう片方の目もぬぐわれる。
「ありがと、せつな」
大好き、だよ。
言葉には出さないで心の中だけで呟く。
「ほらっ、いきなさいよ」
「……うんっ」
私は今度こそせつなに背を向けて屋上を後にした。