学校が始まって一週間もたつと、教室の空気が変わってくる。それぞれグループができ
始め、私にとっては居心地の悪い空間作られていく。
なれてしまったといえばなれてしまったけど。
「せつなー、帰るの?」
一週間が終わり、浮ついた雰囲気が漂う放課後の教室で帰りの荷物をまとめていると涼香が声をかけてきた。
「……みればわかるでしょ?」
「そ。じゃ一緒にいこっ」
ここで断ってもどうせ勝手について来るというのはわかっている。だから私は無言で教室を出て行く。そのすぐ後に涼香が教室に残っている人間に「またねー」と挨拶をしてから私の後に続く。
別に寮の同室だからって一緒に帰らなければいけない規則なんてない。鍵は確かに一つしかないけど管理人さんに言えばちゃんとあけてもらえるから問題はない。それでも涼香は私が寮へ戻ろうとすると必ず一緒についてきた。
「今日の晩御飯なんだろうね?」
そして、いつもどうでもいいような話題を振ってくる。
「さぁ?」
私はそれに適当に答えて、寮への道をゆっくりと帰った。この一週間は大体そんな感じだ。
夕飯を食べ終わると、就寝時間までは好きにしてていい。まぁ、就寝時間を過ぎても、管理人さんはそういうのには寛大で、厳しく取り締まりはしない。自由時間ではあるけど、私はすることもないので自室で勉強か本を読んでいる。お姉ちゃんもこの寮の中にいるけど、なんとなく学校と寮では会いたくなかった。涼香もたまにどこかに出かけるけど大体部屋で過ごす。
今も私は共用にしているテーブルで食後のお茶を飲みながら本を読んでいる。今日はアッサム。鮮やかな朱色に芳醇な香りが気分をよくしてくれる。
「ね、ちょっと聞いていい?」
勉強してるときはそうでもないが、それ以外の時だとたまこうやって涼香が話しかけてくる。こちらから話かけるということはほとんど無いが、さすがに話かけられて無視するというわけにもいかない。
「……なに?」
私は読んでいた本から顔をあげ、上段のベッドに寝そべっている涼香に答えた。
「あのさ、なんで委員長なんて引き受けたの?」
涼香はベッドから身を乗り出し、興味深そうに聞いてきた。
今日学校では、HRの時間にクラスの委員選出があり私はそこでクラスの委員長になっていた。といっても、自分から立候補したわけじゃない。
「なんでって……」
「だって普通みんな嫌がるでしょ? 委員長なんていってもクラスの雑用係みたいなもんだし。それに誰かから推薦があったわけでもないのに先生がやってくれない? でしょ。私なら絶対断るのに」
「あぁ」
確かに、普通の人から見れば意外なことなのかもしれない。が、私にとっては中学時代からなれていることだ。
「そもそもなんでせつなに頼んだんだろうね。別に出席番号が一番でも席が一番前とかってこともないのに」
涼香は不思議そうだけど、私には担任がなぜ私を指名したか大体想像ついてる。
「それは……」
その理由を言いかけて、口をつぐんだ。
どうせお姉ちゃんの威光が担任にそうさせたのだろうけどそれを口に出すのはためらわれた。
言えば、涼香にもそういう目でみられるような気がした。被害妄想に近いことだってわかってはいるけど、少しでもそう思われるかもしれないというのは嫌だった。
涼香は興味深そうに私を見てくるけど、私の心の中は決まらない。二人とも黙ったまま少したつと涼香が急に声を上げた。
「あ、えと、言いたくないなら言わなくてもいいよ」
両手を顔の前で振って「今のはなし」というようなジェスチャーをする。
「え?」
さっきまで興味深げにしていた様子から一転して逆のことを言われたので少し驚く。
「そう見えたから。理由はわからないけど、言いたくないって思ってるのを無理に聞こうなんてしないって。私だってせつなに言いたくないことの一つや二つはあるもん」
なんとなくその言葉は意外だった。
もっとこういうことには遠慮ない人間だと思っていた。
「でもさ、委員長の仕事とかで何かあったら私に声かけてね。一人じゃ結構大変なこともあるでしょ。どうせ私は何もやってないんだし、同室のよしみで手伝ってあげるから」
その申し出はありがたいといえば、ありがたい。でも……
「……なんでそんなに気を使うの?」
何を言っているんだろう私は。涼香はきっとただの善意で言っているだけだろうに、私はそれをそのまま受け入れることができないなんて。
こうやって心配されることはなれていないから、だからそうやって思ってしまうのだろうか。
涼香は私の問いに首をひねった。
「う〜ん。よくわからないけど。なんかせつなってほっておいたら一人でがんばっちゃってそのまま、ばたんきゅ〜っていっちゃいそうな感じだから。だからなんとなく、ね。迷
惑だったらやめるけど……?」
少しだけハッとなる。図星ってわけじゃないけど、確かに体は丈夫なほうじゃない。
「……ううん……ありがと」
無意識に、そんな言葉がこぼれた。
私の言葉を聞いた瞬間涼香はまるで鳩が豆鉄砲食らったかのような顔をした。
「……なに?」
「……うん、なんか素直にそういわれるとは思わなかったから。驚いたっていうか……」
「……私だってお礼くらいちゃんと言うわよ」
「うん、そだね。ま、とにかく何かあったら遠慮なく言って」
「……考えておくわ」
このときから私は涼香に対しての考え方が少し変わってきた。
このときはあくまで「少し」だったけど。
それからも、もともとおせっかいな所のある涼香はことあるごとに私にかまってきた。
この前のことから一週間後の金曜日。私と涼香は学校の一室で資料作りをしていた。内容はありがちなもので、ある行事に関するプリント作り。涼香と一緒に作業しているのは、私から頼んだわけじゃなく、放課後いつも通り帰ろうとしていたら(当然のごとく涼香は勝手についてきていて)その途中で担任の教師に呼び止められてしまい、用事がなかったらやって欲しいと頼まれ、涼香も私が何をいうこともなく手伝うと言ってきた。
一人でもできるようなことだったけど面と向かってそう言われればさすがに、嫌ともいいづらい。それに、人が増えたほうが早く終わるというのは事実なので断ることはしなかった。
「んー、これで大体終わったかな」
ほとんど無言で作業していたけど、三分の二程片付いたところで涼香が背伸びをしながら言った。
「そうね」
確かに、あらかたは片付いた。
しかし、思ったよりは時間がかかってしまい太陽は沈みかけていて、薄暗い教室に夕日の光が差し込んできている。
「ちょっと窓開けてもいい?」
「好きにして」
薄いプリントを扱って作業していた以上風で紙が飛ばされると困るので、窓は締め切って作業していた。けど、今日は四月にしては気温も高く西日も強いのでさすがにずっとし
めっきりだと暑く感じる。
私は長机に座り窓を背にしていたので窓に近かったが自分で開けると言った涼香は、早々と窓に近づいてきて窓を開けた。
その瞬間窓から強い風が吹き込んできた。それに伴い私の髪がたなびく。
「あ……」
私は無意識に髪を抑えた。別におしゃれとかそんなんじゃなくてこの髪は大切にしておきたい。
お姉ちゃんの長くて綺麗な黒髪のように。
風で乱れないよう髪を押さえていると、涼香が私を見ているのに気がついた。
「なに?」
「あ、ううん。なんでも。その、ただ、綺麗な髪だなって思ったの……」
涼香は少し照れたように言った。
「な、なによ。いきなり。変なこと言わないで」
思いもよらない言葉に動揺してしまう。髪のことを考えていたときにその事について言われたのもあるけど、今までだって見ていたのに何故いきなりそんなことを言われるのか、わからなかった。
「変なことって、ただ髪が綺麗だなって言っただけじゃない」
「なんでいきなりそんなこと言うのよ」
内心では髪をほめられて嬉しいのにどうしてか、突っかかるように言ってしまう。涼香は一瞬きょとんとしていたけど、すぐに「あぁ」と頷いて
「ちょうどせつなの髪が夕陽の光で綺麗に光ってたから思わず、ね」
といった。
「……そ、そう」
理由はわかったけど、わかったらわかったで、なんだか恥ずかしくなってきた。自分でも誇れる数少ないものって思っているけど、今まで面と向かって褒められたりすることがなかったからそう思ってしまう。西日のおかげでばれないだろうが多分、顔は赤くなっている。
照れるという以上に嬉しかったのだ。お姉ちゃんのようにと思いながら伸ばし始めた髪、褒められたことで少しはお姉ちゃんに近づけた気がした。
「んー、じゃ、そろそろ残りを片付けようか」
涼香は窓を閉めて、作業を再開しようとする。
「あ、あの……」
「ん?」
あぁ、なんで私はこんなことを言おうとしているのだろう。わからない、わからないままこみ上げてきた感情を言葉にした。
「髪……褒めてくれてありがとう……」
今、わざわざ言うことなんてないし、冷静になればそもそも「ありがとう」だなんて言う必要すらない。それでも言いたくなった。
自分でも自信あったものを褒めてもらえたこと。褒めてもらえてことで、お姉ちゃんに近づけていると思わせてくれたこと。なにより、せつなはお姉ちゃんのことを知らない。だから、この言葉は「私」を見て、「私」に言ってくれた言葉。
「………………」
涼香が不思議そうに私を見ている。当然かもしれない、自分でもらしくないことを言ったってわかっている。
「……せつなってさ、たまにそうやって素直になるよね」
涼香はちゃかすような態度をとったあと、気にしないでよと続けた。
「私は思ったこと言っただけなんだし。……それにしても改まって友達から「ありがとう」だなんて言われるとなんかこっちまで照れてきちゃうね」
「え………?」
涼香は何気なく言ったことなのだろうけど、私はその中のある単語が気になった。
(ともだち……?)
私が、涼香の?
そんな風に、涼香のことを考えたことはなかった。友達なんて、そんなのいないのが当たり前だったし、欲しいとも思ってなかったから。
群れる人達は群れていればいい。そんな風に考えていた。
でも、今目の前にいる少女は私のことをあっさりと「友達」と言い放った。
涼香から見て私は友達。
(じゃあ、私は?)
私は涼香をどう思っているんだろう。
ルームメイト? クラスメイト? それとも他の人たちと一緒のどうでもいい存在?
(それとも…………友達……?)
そういえば、不思議だった。最初は鬱陶しいとさえ思っていたのに、気がつけば普通に会話もするし、一緒に部屋にいてもなんとも思わない。中学のときは周りにいる人間なんて邪魔とすら思っていたのに。
(私が、涼香のことを友達と思っているから?)
だから、なんとも思わないの?
中学のとき体育や、その他の班分けで誰かと一緒になるのは居心地が悪くて仕方なかった。でも今は涼香と一緒にいてその時感じていた不快な気持ちはない。
「せつな? どしたの? ぼーっとしちゃって」
突然の涼香の言葉に我に返り、思考が止まった。
「あ、えと……」
急に涼香の顔が近づいてびっくりする。
「な、なんでもない。は、早く、やろう」
私はどうすればいいのかわからず適当にはぐらかして考えのまとまらないままプリント作りに集中するのだった。
涼香は私に「友達」を思い出させてくれた。三年近くもの間忘れていたもの。
だけど、あの時の私はまだ愚かで、臆病だったから「友達」と言うものを理解していなかった。
今思うと本当に馬鹿だったと思う。笑っちゃうくらいに。けど、振り返ればこの一件がきっかけだった