週明けの月曜日。私はいつもと同じように学校に来て、いつものように授業を受けていた。少なくても自分じゃそうしているつもりだった。けど、お昼までの授業で数度教師の話を聞き逃してしまったし、気づくと涼香のことを考えていることが幾度もあった。
この二日、私は涼香のことをできるだけ避けていた。以前も必要以上に会話をしようとはしなかったがこの二日は意識的に部屋から離れたりして極力涼香との接触を避けていた。
涼香とどう接すればいいのかがわからなかった。涼香は私のことを友達というけど、私のほうは涼香のことをどう思っているのかわからず、この二日は悶々としていた。
涼香のことを、他の人とは違う存在だとは自覚している。
ただ、それが友情なのかはわからない。
わからない。だから、考えている。けれど、答えは出ない。そんなことをこの二日間繰り返していた。
今は昼休みだけど私は昼食もとらず中庭中央の校木の下に一人佇んでいた。校舎と、部活棟に囲まれる中庭はちょうどお昼に陽が照るようになっているが、この大きな木の下にいるおかげで綺麗な木漏れ日が見える。
特に何かを考えているわけでもなく、思考もどこかおぼつかない。寝る前とかにも色々頭の中で考え事をしていたので、よく眠れてなかったからそうなってしまうのかもしれない。傍から見れば春の陽気に当てられている人にも見えるだろう。
(……気持ちいいな……)
ずっとこのままいたいけど、現実はそうはさせてくれない。あと数分で昼休みは無残にも終わりを告げる。
解決になるようがことは出なかったが、仕方なく私は校内に入り教室へ戻ろうとした。
「朝比奈さん」
途中、担任の教師、桜坂 絵梨子先生から呼ばれ足を止めた。軽くため息をついてから振り返る。
「何でしょうか?」
私がため息をついたのを知ってか知らずか桜坂先生は申し訳なさそうに口を開いた。
「あの、悪いんだけど今日もちょっと仕事手伝ってもらってもいい?」
どうせそういう用事だというのは予想できていた。まだ、たった二週間と少ししかたってないけど担任の教師がどんな人間かくらい大体理解している。それにこの人のことは学校に入る前からお姉ちゃんに少しだけ話も聞いたことがあるし。
「かまいませんよ」
「本当、よかった」
この人はこの学校の卒業生で昨年にこの学校へ赴任してきたばかりらしい。まだ若く、学生気分が抜けてないからか生徒からは「絵梨ちゃん」などと呼ばれ親しまれていると言うか、からかわれている。私はそんな風に呼んだりなんてしないが。
「じゃあ、放課後このまえと同じ教室に来て、そこで説明するから……本当、ありがとうね。私がやらなきゃいけないんだろうけど、他にやることも多くて……でも他に頼める人もいなくて……」
「いいですよ、学院祭もすぐだし、先生も大変なんでしょう?」
中学のころとかはめんどくさい仕事を半ば押し付けるような人もいて、快く思わないこともあったけど、この人は本当に困っている様子なので特に不快には思わない。
そういえば昔お姉ちゃんはこの人についてこんなことを言っていた。
『絵梨ちゃんはせつなに少し似てる』
…とてもそうとは思えないけど。
「ありがと、そんな風に言ってくれると助かるわ。この前よりちょっと大変かもしれないから、また友原さんにでも手伝ってもらって。本当ありがとうね。それじゃ」
言うことだけ言って桜坂先生は去っていった。廊下を行く背中を見送りながら私は一人呟いた。
「涼香と一緒に、か……」
午後の授業もほとんど身が入らず、あっという間に放課後になってしまった。
「せつな、帰ろ」
いつものように涼香が声をかけてくる。この二日間私は意識的に涼香を避けていたというのに涼香の態度はまったく変わらない。少なくても私にはそう感じる。
「私今日はちょっと用があるから、先に帰ってて」
桜坂先生は涼香にでも手伝ってもらえといったけど、今の状態で涼香と一緒に何かをする気になんてなれない。
「ん? なに、また絵里ちゃんなにか頼まれたの? それだったら私も手伝うけど?」
予想通りの涼香の反応。先週までの私なら素直にこの提案を受け入れていたかもしれないが、今はとてもそんな気分にはなれなかった。
「今日はそういうのじゃないから、気にしないで先に帰っていて。そんなに時間もかからないと思うし」
先生に言われたことを正直にいったら涼香は絶対に手伝おうとするだろうからあえて嘘をついた。
「そう?」
「そう、だから今日は一人で帰って」
ちょっと心のない言い方のような気もしたけど、涼香にははっきりといっておかないと聞かないと思う。
「……わかった、じゃ今日はそうする。でも何かあったら遠慮なく私に言っていいんだからね」
「……うん」
涼香はじゃあねといって教室から出て行った。私もその少し後に教室から出て行く。
桜坂先生に言われた教室へ向かう廊下を歩きながら先ほどの涼香とのやり取りのことを考えていた。
(気、悪くさせたかな……)
涼香だって馬鹿じゃないんだから、この二日私が涼香のことを避けているってきっと気づいていると思う。だから、今日だって簡単に引き下がった。
(そもそも、どうして避けてるんだろう……?)
中学生の頃は意識的に人を遠ざけた。周りからの期待にこたえるため、少しでもお姉ちゃんと同じにできるって認めてもらうため。
友人なんて人を堕落させるようなものだと思っていた。
だから、高校に入ったってできるなんて思わなかったし、作りたいとも思わなかった。
お姉ちゃんのようになる。
それが私のすべてだったから。
だから、涼香が友達だと認めてしまったら、涼香をさけなきゃいけなくなる。
(……あぁ、そうか。だから)
これ以上涼香と仲良くなってしまったら涼香を友達と認めなければいけなくなる、だから涼香のことを避けて友達と考えないようにしているんだ。
中学のときと同じようにお姉ちゃんみたくを目指して、周りの人と……涼香と距離をおくか。
それとも、お姉ちゃんを目指すというのをやめて、涼香やほかの人と交わるのか。
私は、きっとこの二日それを悩んでいた。
(私は……どうしたいんだろう……?)
考え事をしながら、廊下をまっすぐ歩いていると、一人の年配の教師が歩いてきてすれ違った。授業を受けたことのない先生だったけど、向こうはすれ違ったあと立ち止まり、私を振り返り見た。
「………………」
不意に中学生のことを思い出す。
始めはそんなに感じていなかった。一つ上におねえちゃんがいるから、私のことを他の人と違う風に見るんだろうな位にしか思ってなかった。
でも違った、教師たちは私にも期待していた。あの人の妹なんだから、もっとできるだろうって。何かしてくれるはずだって。実際に言われたことさえあった。
気づけば両親も教師と同じ目で私を見ていた。
私を私として見てくれないような感覚。
つらかった。
そこにいるのにいないような気がした。
だから私はがんばった、勉強も運動も、その他のこともできるだけのことをした。娯楽には目もくれずひたすらにお姉ちゃんのように周りの期待に応えられるように、と。
(そうだ……私は)
高校に来て、周りからあの目が一時的にでもなくなって忘れかけていた。けど、私はやっぱり…………
桜坂先生に頼まれた仕事はこういったことになれてるため、そんなに苦にはならなかったが寝不足と疲れのせいか体が重い。外はもうかなり暗くなっている。時計を見てみてみると、もう寮の門限もぎりぎりになっていた。桜坂先生にできた資料を渡して私はさっさと寮に戻ることにした。
「ん……?」
下駄箱から外に出ようとすると空から雫が落ちてくることに気づいた。
「あめ……?」
さっきからいやに暗いとは思っていたけど、雨が降ってくるとは……。下駄箱の方へ入り様子を見ていると雨はどんどん強くなっていく。
夕立だろうから、すぐにやむとは思うけど。
腕時計を見る。
門限まではあとと少し、校舎から校門まで五分、校門から十分くらいだから今からすぐ
に帰れば余裕で間に合うけどこの雨の中をいくのは……
いくら夕立だからといっても今から四、五分でやむとは到底思えない。
どんよりとした雲からは絶え間なく雨が落ちてくる。
(どうしよう……)
門限を破ったってちょっとした雑用があるだけではあるが、連帯責任で涼香にも迷惑がかかるし、なにより、お姉ちゃんの妹として規則を破るなんて恥ずかしい真似はできない。
私は少し考えた末、このどしゃ降り突っ切って帰っていくことに決めた。走れば数分でいけるはず。
そう決めるとすぐさま雨の中に飛び出し、寮へと走っていった。
体に当たる雨が冷たい。制服はどんどん水を吸って重くなっていく。運動は苦手じゃないけど、体中が濡れ、鞄を持ちながらでは走りにくい。
足をつくたびに水滴が跳ね、冷たい。毎日通っている道なのにとても同じとは思えない。
ずぶ濡れにはなったがそれでもどうにか寮までついた。
玄関を開けて、中に入る。今日もロビーには人が集まりなにやら話している。案の定、濡れねずみ状態で入ってきた私をびっくりして見つめる。
私はそんなもの気にせず部屋へと向かった。
扉を開けて中に入る。
「お帰りー……ってどうしたの!?」
入ると同時に涼香がそんな声が耳に飛び込んできた。
「……タオル、取ってくれる?」
このまま部屋の中に入ったら部屋の中がびしょ濡れになってしまう。廊下のはあとで拭くとして、部屋は濡れたら困るものがたくさんあるので後始末が大変になる。
「う、うん」
涼香は私の姿に若干戸惑いながらも私のベッドそばにあるタオルを持ってきてくれた。
「はい」
私はそれを無言で受け取ると黙って体を拭き始めた。
「それにしても何でこんな時にわざわざ帰ってきたの? 連絡してくれれば迎えに行ったのに。風邪でも引いたらどうするの?」
「別にいいでしょ。私がどうしたって……あなたには関係ないでしょ……あんまりそんな風にかまわないで」
本当はこんなこと言いたいわけじゃない、でも今はこうやってはっきり私の態度を出さなくてはいけない。
「む……」
涼香は私の言葉にめずらしく明らかな不快感を示した。前もこんな風に冷たいことを言ったりもしたけど目に見えての反応をしたことはない。
「ちょっとせつな、そういう言い方……」
「……お風呂行ってくる」
涼香の言葉を遮って私は着替えを持って早々と部屋出て行った。
今、涼香の前にいるのは居心地が悪くてたまらない。
お風呂は地下一階にあって、それなりの広さがある。入れる時間は門限を過ぎてから、十時まででその時間の内なら好きなときに入っていいことになっている。体中が冷えているのでゆっくり漬かって暖まりたいけど夕飯も近いので髪と体を洗い、少し湯船に漬かるだけで出ることにした。
その後はいつも通りに夕食を食べ、部屋で時間を過ごし、寝る時間になった。
「電気消すね」
「うん……」
涼香が電気を消し、私達はそれぞれのベッドに入って体を休めた。ベッドは部屋のスペースの関係で二段ベッドになっていて、私が下で涼香が上にということにしてある。
(……嫌われた、かな……?)
お風呂から戻ってきても涼香は私に何も言ってこなかった。夕飯後は二人ともほとんど部屋にいたけどやっぱり涼香から声をかけてくるということもなかった。
……別に、いいか。それならそれで中学の頃に戻っただけなんだから。
けど、涼香が何もいってこないことにどこか寂しさに似たものを感じてしまう。
そんな自分を妙に感じながらも私は眠りについた。
ピピピピ。
「ん……」
目覚ましがなっている。
起きなきゃ、と思うのにいやに体中が重い。耳障りな目覚ましは何とか止める。
(ベッドから出なきゃ……)
そうは思うけど体が動いてくれない。
(頭、痛いな……風邪、ひいちゃった、かな?)
最近、色々忙しかった上、寝不足だったし、さらには昨日雨にもうたれてしまった。元々そんなに体は丈夫じゃないので本来ならもっと気を使わなきゃいけなかったはずなのに。
今日は素直に学校を休んだほうがいいかもしれない。
寝ぼけ眼のまま仰向けになると涼香のベッドの裏が見える。涼香はもう起きているのだろうか。耳を澄ますと、微かに服を着替えているような音が聞こえるので多分起きている。
「すずか……」
掠れた声で涼香を呼ぶ。
涼香は私の声に「ん?」と反応してこちらを向いた。
「なに?」
と返事をしてよってくる涼香に風邪を引いてしまったらしいことと、今日は学校を休むという旨を伝えた。すると涼香は学校への連絡や、管理人さんへは自分が話をしておくといって、私の朝ごはんを取りに部屋から出て行った。
私は涼香がドアから出て行った音をどこか遠くに聞き、またぼんやりと涼香のベッド裏を見た。
昨日自ら涼香と距離をとろうとしたのに今日は自分から頼みごとをするなんて。
滑稽に思う。何をやっているんだろう私は。
(……いいや、今は寝ちゃおう)
まだ思考したいことがあったけど体のだるさに耐え切れず、私はまた眠りに落ちてしまった。
ベッドに寝ている私が見える。
今より少し幼く、髪も短い。それに、寝ている場所の寮の部屋じゃなくて、これは。
(あぁ、これは夢なんだ)
何故だかそのことがはっきりとわかった。これは中学時代、今と同じように風邪を引いて学校を休んだときの夢だ。あの時も今と同じように、風邪を引いて寝込んでいた。
ベッドの脇には風邪薬と水筒が置いてある。私にと、母親が置いていったものだ。親が私にしてくれたのは学校への連絡とそれだけ。
風邪で寝込んでも私は一人だった。
誰も私のことなんて気にもとめていないんじゃと思う程に家は静かで、私は風邪を引いて学校を休むたびに孤独だということを思い知らされた。
私のことなんてどうでもいいのかなとも何度も思った。仕事が大変だっていうのはわかっていたけどやっぱり寂しかった。心細かった。時には、もし私がこのままいなくなっても誰も気にも留めてくれないんじゃとさえ思うほどに。
ベッドにいる私がとても小さく見える。それはまるで、助けを求める迷子の少女のようで、私はたまらずベッドの私の手を握った。
そこで夢が途切れた。