柑橘系の落ち着いた芳香。明るいブラウンの液体をなみなみと満たしたカップがテーブルに置かれている。

 確か、これはアールグレイ。せつなは普通紅茶をホットで飲むけど、これはポットの保温程度だと香りがよく立たないとかでアイスで飲むことが多い。

「せつなさぁ……」

 私は適度にちびちびと飲みながら対面で文庫本片手に雅な感じで紅茶を飲んでいるせつなに話しかける。

「なに?」

「たまには、緑茶が飲みたいとか思わない?」

「ないわ」

「あ、っそ」

 素っ気無く答えるせつなを尻目に私は、テーブルに肘を突きながらカップを見つめる。普段はなんとも思わないんだけど疲れてたり、考え事があったりすると昔からなじみのものが恋しくなるんだよね。

 ……自分で淹れろって感じだけど。私のカップで飲もうとしても洗っても紅茶風味が残って嫌だし、なによりもカップで緑茶を飲むっていうのが邪道。

「その様子だと、美優子とまだ仲直りしてないみたいね」

「……わかる?」

「そりゃ、そんな風にしてればわかるわよ。涼香が悩むことなんて限られるだろうし」

「失礼なこというね。私だって、今日の夕飯何かな〜? とか、明日の英語予習やってないけどあたらないといいなとか思うよ」

「ふぅん……涼香にとって美優子は夕飯と同じなんだ」

「っ。べ、別にそういう意味じゃないけど……」

 せつなの何ともいえない発言に私は顔を伏せ、目を背ける。

 当然だろうけど、私はせつなの前で美優子のことは積極的に話さない。

せつなはそれなりに色々言ってきて私はそのたびにどうすればいいかわからずに当たり障りのないことしか言えなくなった。

せつなは……どんな気分で言ってきてるんだろう。

気になるけど……気にしちゃ、いけない。

「涼香、今なんかくだらないこと考えてない?」

!? な、なにいきなり」

 私ってそんなにわかりやすいの? それとも、せつなが相変わらず鋭いのか。相変わらず、私のことを見てるともいえるの、かな。

「もう一ヶ月も経つし、はっきり言っておくけど、いちいち私に気を使わないで。まったく、その度にこっちが惨めになっちゃうでしょう。……そりゃ、涼香の気遣いがありがたくないわけじゃないけど……私は二人がうまくいってくれるのが私にとってもいいのよ……」

 本心なんだろうけど、せつなはとても平気とは思えない顔をしている。苦渋とまではいわないにしても見ていて胸が締め付けられる。そして、最後に「…………………多分」

と心うちを抑えられなかった姿が扇情的すぎた。

 私の選択肢は「……うん」と頷くしかなかった。

 それから話が弾むはずもなく無言で紅茶を飲んでいたけど、おかわりを淹れたせつなが「そうだ」と言い出してきた。

「美優子に謝るついでに料理教えにいってあげたりしたらどう? 涼香は料理得意なんだし手取り足取り教えてあげれば? 美優子の家いって何ならそのままお泊りでもかまわないわよ?」

「あ……はは、それはやめとく。今度またそんなことやったら宮古さんに何やれって言われるかわかったもんじゃないし。……ま、でもその料理教えるっていうのは考えとく。ありがとね」

「……そう思うなら早く美優子と仲直りしなさいな」

 今度は自然な感じにいうせつなに私は「うん」と答えながらも、せつなの気持ちは今どこにあるのかなと思いを馳せた。

 

 

「お邪魔しまーす……」

 その週の日曜日、私は美優子に得意のアポなし取材……じゃないアポなし訪問をしたのはいいけど……。

「もう少ししたらあの子帰ってくるから、待っててね」

「あ、はい」

 私は美優子のお母さんに美優子の部屋に通されて一人残された。

 美優子はお医者さんに検診にいってるらしい。美優子のお母さんの話がそろそろ帰ってくるって言ってたけど、主がいないのに部屋にいるっていうのはあんまり気分いいものじゃない。

 やっぱ事前に連絡しておくべきだったんだろうけど……ほら、急にって言うほうが美優子も嬉しいかもだし。

 やっぱ、携帯ないって不便だね。持つ気はさらさないけど。

「う〜ん」

 じろじろ見回すのは失礼とは思いつつも他にすることがないからどうしてもそうしてしまう。部屋は相変わらず片付いていて、清潔感が漂っている。タンスとベッドにあるぬいぐるみは増えたような気もしないけど顔ぶれは違う気がする。

「これ、は変わんないね」

 テーブルの前で何故か正座をしていた私は立ち上がると美優子のベッドに寄っていった。そして、ある一体のぬいぐるみを手に取る。

 始め美優子の部屋にきたあの精神状態でも印象に残ってライオンもどきのでっかいぬいぐるみ。目算で横幅十五センチ、縦二十センチくらい。黄色の顔にオレンジ色の……なんていうんだっけこれ? ひげ……じゃなくて鬣だ、たてがみ。オレンジ色のたてがみがなんかひまわりを連想させる。あとつぶらな瞳と勇猛なのか、まぬけなのかよくわからない表情は印象的。

 でも、私ってぬいぐるみ得意じゃないんだよね。小さいころは持ってなかったし、さつきさんに引き取られた後は遠慮もあったし。今は共同で住んでる以上スペースをとるのって置きづらいし。

「君は妙な顔だねー」

 ぬいぐるみがまとめられている場所からこのライオン君を一匹抜き取ってベッドに上にのせるとポンポンと頭を叩く。

「美優子といつもどんなこと話してるのかな?」

 今度は視線の高さを合わせてにらめっこ。

「…………」

「無口だねー。ねぇ、美優子何か私のこといってなかった?」

「…………」

「そうだよね。君にこんなこと聞いても困るだけか」

「…………」

 ライオン君は表情すら変えないで(当たり前)私をじぃっと見つめてくる。

(……完璧に寂しい人だよ。これじゃ)

 それに、実はぬいぐるみのこういう目で見つめられるのって得意じゃないんだよね。

 私はそれでも何故かこのライオンから目を放さないままぼけーっと美優子を待った。

「…………」

 でもなかなか来ない。ってまぁ、十分くらいだけど。

「みゅーこ、遅いねぇ。私に会いたくないのかな? どう思う?」

 そして、私はたまにぬいぐるみと話すという寂しい行為を繰り返していた、けど。

「そ、そんなことありません!

「っ!? みゅーこ!?

 いつの間にかドアが開いていて美優子が顔を赤くして立っていた。

「え? な、何が、そんなことないの?」

「す、涼香さんと会うの嫌なんて……」

「は? あっ! えーと……さっきのはこの子と話してただけで、冗談だったっていうか……」

 といって、部屋に入ってきた美優子に私は今まで話していたライオン君を手に持って美優子に見せ付けた。

「え……ひぃちゃんと?」

「ひいちゃん?」

「あ、えっとそのぬいぐるみの名前です」

「へぇ、名前付けてるんだ」

「え、だ、だってお友だちです、から」

 美優子はちょっと恥ずかしそうに【ひぃちゃん】や、周りのぬいぐるみたちに向けた。

「へぇ、可愛い、美優子らしいね」

「っ」

 美優子は私の持て囃す言葉にも美優子は顔を俯かせた。

 その姿をみてやっぱり怒ってるんだなと思って少し悲しく思うのだった。

 

 

 美優子は部屋に入るとテーブルの前に座って、美優子の対面で私もひいちゃんをぎゅむっと抱きながら気まずそうにする美優子を見つめる。

「…………」

 私のさっきのアレはぬいぐるみと話してて軽い気持ちだったんだけど、美優子は断片的に聞こえたのを本気にしたみたい。

でも、会いたくないのかな? っていうのに、そんなこと無い! って本気で答えてくれたのは嬉しかったな。

 美優子からしたら、ぬいぐるみとの会話を本気にして怒っている対象の私にそんなこと無いだなんて本気で言っちゃったのは不覚なのかもしれない。

 ん? っていうか、ぬいぐるみと会話ってなに? 会話はしてないね。

 まぁ、このことにあんまり突っ込むことは美優子も望んでないと思う。

 そんなことより今しないといけないのは……

「あの、さ。美優子が怒ってるのってやっぱり私がお弁当まずいって言っちゃったから?」

「……わたし、別に怒ってなんかないです」

 さっきのこともあってか美優子はふてくされた感じにそっぽを向いて答えた。可愛いっていうか、今まで人と付き合いがなかったから色々対処の方法知らないんだろうね。

「こんなことで意地はらないでよー」

「怒ってません、ちょっとムってしてるだけです」

「それを怒ってるっていうと思うけど」

「怒ってないです」

 なんで意地張るのよ〜。そんなに怒ってるってこと?

 なら、やっぱり誠実に頭を下げるしかない。

「ごめん、私無神経だったよね。美優子がせっかく作ってくれたのに、あんなこと言っちゃってさ」

「……まずいのは本当ですもん。味見してたから、知ってましたし」

 まずいの知ってるんなら、いくら私に食べて欲しいからって食べさせないでよ。……ってやっぱり味とかも関係なしにせつなの言うとおり単純に私に食べて欲しかったからなのかな。

 そういうことを遠ざけてるわけじゃないはずだけど、なんか……にぶいよね。私、そういうことに関して。結局は踏み込むのが怖いだけなのかもしれないけど。

「み、美優子ほとんどやったことないんでしょ? 始めからうまくいくはずないって」

「でも、一生懸命作ったんです」

「え、あ、うん……」

「なのに、涼香さん、全然……意識してくれなくて、私だけが、舞いあがちゃって……涼香さんが悪くないってわかってますけど……でも、まずいだんなんてやっぱりひどいです。涼香さんがそういう風なのにぶいってわかってますけど……たまには意識、もらいたいです」

「…………」

「いつも、です。いつも、わたしだけで、涼香さんはいつもと一緒でわたしのこと……なんとも思ってない風で……」

 悲しんでるんでもなく、怒ってるのでもなく、美優子は寂しさに溢れながらそういった。見方によってはただいじけているだけにも見える。

 そして、その姿は保護欲をかきたてられるっていうか、状況を差し置いていじけている美優子が不思議なほど可愛く思えた。

「美優子」

 私はライオン君を脇に置くと、美優子の前に来て頭に軽く手を乗せる。

「ごめん、でも、美優子のことはす、好きなのは、本当だよ」

 ナデナデ。

「……子供じゃありません」

 美優子はさらにいじけた感じっていうか、好きだってすんなりといえない私に言葉の上じゃ不満そうなんだけど、顔はちょっと赤らんでいて口元は緩んでいる。

「うん」

 と、言いつつも私は美優子を撫でるのをやめない。

「……ずるいです。好き、だなんていわれたら……許しちゃうじゃないですか」

 今度は自分に対して不満そうに美優子は言ってくれた。

 美優子は多分、結構本気で怒っていたって思う。一生懸命作ったお弁当をまずいって言われたことなんてきっかけで、私の色々不甲斐ないっていうか物足りないことに。友だちから一歩進んだくらいで止まっていることに。

 でも、好きっていう一言で許しちゃいそうになっている自分が情けないんだと思う。

「……ありがと」

 私はめったには好きって言わない。美優子のことは誰よりも好きだけど、軽い気持ちでっていうか……簡単には言いたくない。恥ずかしいとかじゃなくて、慣れてないからなのかもだけど好きって大切に言いたいの。大切な気持ちだから、美優子が特別だから。

「もうちょっと、撫でててもいいです」

「あはは、りょーかい」

 これまた情けない話だけど、せいぜい美優子とは手をつなぐだけだからね。っていうか、むしろ告白してからは気軽に美優子に触れなくなっちゃったかも。い、いやらしい意味じゃないくてね。

 だから、こんなナデナデでも美優子は嬉しがってるのかな。

 美優子が嬉しそうだと私も嬉しい。美優子の幸せが私の幸せとまでは言わなくても、美優子のそういう姿を見るのが嬉しいっていうのは間違いないから。

「なんか、ずっと私のわがまま聞いてもらっちゃってるって感じで、ごめんね」

 私はやっぱりそれには引け目を感じている。一線を引いちゃった気がするから。

「そんなことないです」

 でも美優子は優しく首を振った。

「寂しいのは本当ですけど、でもそれって涼香さんがわたしのこと、特別に思ってくれてるってこと……なんですよね。だから寂しいけど、嬉しいです」

「うん、ありがとう。美優子」

「えへへ、それにこうやって……ひとりじめ、できちゃったりもしますから」

 たまに美優子ってこんな風に恥ずかしいこといってくるんだよね。恥ずかしいけど、それは素直に嬉しい。

「でも、やっぱりお弁当のこと、少しだけ怒ってますから、わたしも我がまま、いってもいいですか?」

「うん、いいよ。何?」

「あの………」

 

 

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