あのキスで美優子との間にあった見えない壁がなくなった気がした。いつも以上に美優子といることが楽しくて、嬉しくて、名残惜しかったけど門限に間に合うように美優子の家を出た。

 帰る途中、もちろんせつなのことも少しだけ頭をよぎった。

 でも、その時の私はもう有頂天で、お花畑にいるようなおめでたさで、これでせつなとのギクシャクした関係もどうにかなるんじゃないか。なんて、なんの根拠もなく思ってた。せつなは私と美優子のことをけしかけてきてたんだから、

これでいいんだ。これで、またせつなとも前みたいに仲良くできるかも、なんて甘すぎることを考えてた。

 だからバスでは結局ほとんど美優子のことしか考えられてなかった。

 そのおめでたい頭のまま寮に帰って、まっすぐ部屋に向かってドアを開けた瞬間。

 一気に現実に引き戻された気がした。

 せつなの顔、まとういいしえない雰囲気、部屋に充満した負の感情。

 当たり前だった。

 せつなが私のことを好きなら、本気で美優子とうまくいって欲しいはずがない。そんな姿を見たいはずがない、聞きたいはずはない。

 好きな人が自分以外人と一緒にいて笑うという絶望。

 そんなものは他の誰よりも私が一番よく知っていたはずなのに。自分のことだけで頭がいっぱいだった私はそれに気づくことはなかった。

 せつなに何もいえなかった。

 せつなの嘘をつく姿。心配しないように、二人の妨げにならないように、なにより自らを守るために嘘をつく姿。自分のために自分を偽る姿。

 私、そのものだった。

 プレゼントがあるんだ。

なんて耐え切れなくなった苦し紛れ。すぐに渡す必要なんてなかった。ご飯を食べて、お風呂に入って、寝る前にでももっと話しやすくなったときに渡せばよかったのに。怖くなっちゃったから。あのまま黙って、せつなの前にいることに耐えられなかったから。

 プレゼント、多分美優子にキスする際に手さげを蹴飛ばしてしまったとき、あの時にこぼれてしまったのだろう。そして、すでにお花畑にいた私は気づくことができなかった。

 ない、って伝えたときのせつな。見られなかった。

私はせつなの気持ちが手に取るようにわかってしまう。せつなは昔の私自身だから。

 期待してしまった分、傷は何倍にも深くなる。それを私は知っていて、でもどう対処すればいいのかなんてわからなくて、気付けば

 

 

「あぅッ!

 背中がベッドにたたきつけられ胸に息苦しさを感じ、急な動きに脳が揺さぶられ血が上ったかのような鈍痛を受けていた。

「涼香!

 次いでせつなの声と共に、体重をかけられて肩を押さえつけられた。

 そう、夏休みのあの日のときのように、完全にせつなは私に覆いかぶさった。

「好き、好きなの……」

「せつ、な」

「……みゆ、この、こと、嫌いになれ、なんて、いわない……好きで、いい。いい、から、でも……お願い。今日、だけは、今夜だけは、今だけは!! 私のことを見て、私のことだけを考えて……」

苦しみに満ちた愛の言葉。

「今だけで、いい、から。いま、だけで……」

「だ、だめ、だよ。そんなの……」

「……どう、して……? 私、言わない。美優子にいったりなんてしない。ううん、誰にも言わないから。今、だけでいいの……美優子のこと忘れて、私のことだけを考えて、私のことを、見てよ……」

 私を押さえつけるせつなの腕は初めから震えてて、頬にはすでにキラキラと光る悲しみの線が出来ている。

 悔やんでる。悔いてる。忸怩しながら言いたくなかった言葉を放ち続けている。

「私、涼香が、好き……あきらめられない。いくら、いいわけしても、自分に言い聞かせても、涼香のこと好きなのは変わらなかった。ううん、それどころか、涼香といれば、いくらでも好きな気持ちが膨らんだ。涼香と話すと、涼香が笑ってくれると、いくらでも膨らんでいく。胸が張り裂けそうになる、もう抑えられない、抑えたくない」

 願いの言葉で、同時に呪いの言葉。

 せつなの言葉が耳から、ううん、体全体から入ってきて私を縛る。

「で、も……わかる、の、わかるのよ。涼香が、好きなのは、美優子なんだって……わかるのよ……入り込めないって……でも、諦められない……好きなの」

 わかる。なんていったらせつなはそんなことないって。この地獄をわかるはずがないって思うかもしれないけど、わかる。

 好きだからわかる。二人の間に入れないのは、一番は自分じゃないってわかるのにでも、自分じゃどうしようもなく好きで、袋小路に迷いこむ。

 私はそこから逃げた。消えた。

 でも、せつなは……

「……………」

 涙が溢れる。でも、私にできたのはそれだけ。何も言えず、何もできず、ただ歪んだ視界に映るせつなを見つめるだけ。

「このままじゃ、私、どうにかなっちゃう、何するかもわからない、だ、…だ、か…っ、は、っく、だか、っら……」

 だから。その三文字を何度も詰まりながらねぎ切れてしまいそうな心から搾り出して。

「だから!」

 俯き、私を見つめられなかったせつなが勢いよく顔をあげ、そこから熱い飛沫が飛んだ。

涙が。

 そして!

「んむッ!?

 目を見開いた。

 唐突にキスされたから、だけじゃなくて

「ちゅむ…!  クチュ! はむ、れろ」

 せつなの舌が私の中に入ってきて、私の舌に乱暴に絡み付いていった。

「ふむっ!? ぁうっ! や、んむ、ちゅく」

 抗議すらさせずに乱暴に私の中を蹂躙していくせつな。

 逃げようともがく私を容赦なく追い詰め、私に絡み付いてくるせつなの熱い、熱い、想い。

 美優子としたキスは優しかった。とっても暖かくて、気持ちを伝いあえた。

「はっあ…ん、じゅる…ちゅぶ…」

 でも、こんなの違う! 乱暴で、一方的で私のことなんて考えてない。こんなの好きな人とするキスじゃない。

「っはぁ、はぁ、はっ…は、あ……」

 唇が解放されると、私は必死になって息を整える。しかし、せつなはそんなことすら許してくれなかった。

「っはぁ! だから、……きら、いになって、……私の、こと、軽蔑して……そうでもしてくれないと……ううん、それでもだめかもしれない……だめ、だと思う。でも、そうしてくれれば、私、涼香のこと、……あき、らめられる……か、も、しれない。だか、ら……私のこと……」

 ポタポタポタ……

 とめどなくせつなの瞳から涙がこぼれて、私の頬に落ちてくる。

「嫌いに、なっ……」

 コンコン。

『ッ!!!??

 最後までいう瞬間、ドアからノックの音がした。

 だ、誰? ううん、誰かなんて関係ない。こんなところ、見られたら……

 私もせつなも固まり、お互い視線は外さないでも意識はドアの向こうに集中される。

「あの、私、です。美優子です。いいですか?」

『っ』

 体に走った衝撃は二人とも同じかもしれないけど、考えたことはまったく違う。

(美優子?!

 なんで! だって、美優子は外にご飯食べにいくって言ってて、それにここに来る理由、なんて……違う! 今はそんことよりも。

「みゆっ、ふぐっ!!??

(せつな!?

 とにかく今の私を見られたくなかった私はなんとかしようと美優子に来るなと言おうとしたけどせつなの冷たい手が私の口を塞いでいた。

(やめて! こんなところ、美優子に……)

「? 失礼、します」

 最初の声だけで部屋にいることは確認した美優子はそのまま部屋に、はいってきて……

 コト。

 なにか、軽いものが床に落ちる音。

 そして、

「え……………………? す、ずか、さ、ん?」

(みな、いで、美優子)

 全身の血がスーッと引いて冷たくなり、心が奈落の底へ落ちてしまうような心地が湧き上がってきた。

(駄目! 見ないで、美優子。お願い)

 現状を飲み込めない美優子と、現実から目を背けたい私。二人とも完全に固まってしまい、

 その中でせつなの時間だけが動いていた。

 せつなは悲しげな顔で美優子を一瞥すると、口元だけに薄く笑いを浮かべて

「っーーー!!?

 涙を流したまま私にもう一度口づけしてきた。

 感触も熱も何も感じられなかった。美優子に見られてるということ以外何にも考えられない。

 ダッ! 

 すぐに息を飲む音と同時に走り去る音が聞こえた。

「美優子、待っ……!?

(せつな!!

 それにどうにか我を取り戻した私は呼びとめようとしたけどせつながまた口を塞いだ。

(やめて! 美優子の、こと、追いかけなきゃ……)

「っぷは、離して!

「いやっ!!!」

 耳をつんざくような、鋭いせつなの声。咄嗟のことに漏れてしまった本音。それは心までも突き刺すけど私は、美優子が……

「んっ、……っく」

 身を捩ってもせつなは完全に私を押さえつけていて身動きがとれない。

「このままなら、美優子、どうするかしらね……?」

「っ、お願い! 離して、離してよ」

「…………」

 せつなは応えない。私がいくらせつなをにらみつけてもせつなは心を殺したような顔でそれを受け止めるだけ。

「…………?」

 しかし、すぐにせつなの力が緩んだ。

「ふ、ふふ……冗談よ……早く、追いかけなさいよ」

 せつなは私の上からどくと私に背を向けて、感情のない声を響かせた。

(おい、かけなきゃ。美優子のこと、早く、早く)

 そうしなきゃ、いけない。そうしたいのに……

 せつなの背中から目が離せなかった。

 十字架を背負ってしまったかのようなせつなの背中。脆そうで、倒れそうで、崩れそうで、手を差し伸べなければ消えてしまいそうで。

 まるで高い場所から下を眺めた時みたいに体が芯から震えてせつなの背中に吸い込まれていった。

 このまませつなを残していったら、どうにかなってしまうそうに見えた。このまま消えてしまいそうな、二度と会えなくなってしまうような、そんな気にさせられた。

 でも、美優子のことを追いかけたい私がいる。

「っ!

「ちょ、ちょっと何するの!

「いいから、来て!」

 私は悩む時間ももどかしくてせつなの手を引いて無理やりある場所に目指して寮を歩いていった。こんな数十秒のことすらもったいないけど、でもせつなが……

「離して!! さっさと美優子のこと追いかければいいじゃない!

「うるさい! 黙ってきて!

 私は目的も場所につくとノックもせずにドアを開けた

!! 涼香ちゃん!?

「ごめん、わたしが戻ってくるまでせつなのことみておいて」

 そして、せつなを乱暴に部屋に押しだした。

「え、え?」

「せつなが何言っても絶対に逃がさないで、それじゃ!」

 私は早口にまくし立てると即座に踵を返して外を目指して全速力でかけていく、

 ああん、もう! 

 靴を履くのすらもどかしい、いいや、部屋履きのままで!

 とにかく、すこしでも早くと美優子を追いかけた。

 すると、予想に反してドアを開けた瞬間、寮の入り口と敷地の出口の中間あたりに美優子の背中が見えて、

「みゆこ!!」

 私は力いっぱいに叫んだ。

 

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