整然とした木目、どこか暖かみを感じさせる木製の扉。
決して厚くはないはずのその扉が今は何よりも重厚で堅牢な砦にも思える。
「美優子、お願い、開けて」
私はその扉の前に佇んで、何度も何度もノックをしては中にいる美優子に呼びかける。
「…………」
けど、帰ってくるのはほとんどが沈黙。
美優子とせつなの誕生日から三日。私は毎日美優子の家に通ってはこうして美優子の部屋の前の廊下で自由な時間のほぼすべてを過ごす。
それも多分、無為に。
美優子は私を部屋にいれてくれることはなくて、私は何度もドアをノックしては開けてと懇願したり、じぃっとドアを見つめながら白い壁に背中を預けて座る。美優子と話せてないんだから無為に思える。
でも、そうじゃないとも信じてる。毎日ここで、こうしていること自体が美優子に私が美優子のことを想っているって思ってもらうことだって信じてるから。
「美優子」
扉に鍵はない。だから、入ろうと思えば無理やり部屋に入っていける。でも、それはやりたくない。誕生日の翌日にはじめてここに来たとき、私が部屋の外から声をかけたときなんて【帰って!】と私を拒絶されてしまった。
だから、私からは入りたくない。無理やり入ったって意味はない。美優子が私ことを……完全に信じるのは無理だとしても、少しは信じてくれていなきゃ話したってきっと何も伝わらない。
コンコン。
「美優子、お願い。私の話を聞いて」
この美優子の心の砦を攻略する私の武器は、この言葉と、美優子への想いだけ。でもそれは時に大きな力を持つことがあっても、今は砦に穴を穿つことができない。
「……帰って、ください」
たまに、こうして美優子が言葉をくれることもある。けど、そのすべては私を拒絶する言葉。その度に心を剣で刺されているような心地になるけど、言葉通りにするわけにはいかない。
例え今はまだ美優子が信じてくれなくても、私が今美優子にできるのはこれしかないから。
私は一歩下がると壁に背中を預けて、床に座り込んだ。そのまま黙って美優子の部屋を見つめる。
「……さむ」
私は呟くと膝を抱えた。
この季節、家の中とは言え制服にセーターを着た姿じゃ寒くてたまらない。美優子のお母さんが心配してホットココアを淹れてくれたりするけど、それも一時的なもの。
寒くても、辛くても私はここで美優子が心を開いてくれるのを待ち続ける。それが私にできる唯一のことなんだから。
昨日も、今日も、明日も私は美優子が私の受け入れてくれる日を待ち続ける。
門限のぎりぎりまで美優子を待ち続けた私は、美優子のお母さんの運転する車で寮に送ってもらう。
美優子のお母さんは、私と美優子の間に何かあったことはわかってるみたいだけど深くは聞いてこない。この三日学校に来てすらいない美優子。家でも食事のとき以外はほとんど部屋にこもってるらしい。
娘がそんな尋常じゃないことをしてるというのにその原因となった私には優しくしてくれるし、深く聞いてこないというのもありがたい。優しい、さすが美優子のお母さんだと思える。
「じゃあ、ありがとうございました」
「はい。私がこんなこというのもおかしいかもしれないけど、頑張ってね。友原さん」
「えっと、はい」
門の前でおろしてくれた美優子のお母さんにお礼をいって深々と頭を下げると私は寮へと戻っていく。
ロビーにいる友達や先輩に挨拶をして、自分の部屋へと戻っていく。
「おかえり」
憔悴した私を出迎えてくれたのは
「ただいま、梨奈」
はいと、梨奈は笑顔で湯のみを差し出してくれる。
「ありがと」
私はコートを脱いでハンガーにかけると腰を下ろして梨奈が淹れてくれた緑茶に手を伸ばす。
ゴクン。
はぁー、やっぱり緑茶はいい。体をあっためてくれるのと一緒に心を和ませてくれる。
「……涼香ちゃん、今日は、どうだった?」
梨奈が少し聞きづらそうに聞いてきて、私は両手を湯のみを持ったまま首を横に振る。
「そっか……」
時に、何で梨奈がここにいるかっていうと。実は今梨奈は今私の部屋で暮らしてる。
「……せつなは、何か変わったことあった?」
お茶を一口飲んだ私は寮では一番気にかけていることを梨奈に問いかける。
梨奈は軽く首をふって、別にと答える。
「……そ」
せつなは今、梨奈の部屋で夏樹と暮らしてる。戻りたくないと我を通すせつなに梨奈が一時的に部屋を交換することを提案した。
もちろん、勝手にそんなことは禁止されている。まぁ、今も無断ではしてるけど多分宮古さんは気付いてて見逃してくれてるんだろう。
せつなとはあれ以来話していない。顔を合わせたら……もしかしてひどいことも言っちゃいそうだし、少なくてもまともには話せない。
せつなに怒ったところで美優子が話を聞いてくれるようになるわけでもないし、多分、そんなことをすれば一時的にはすっきりしても後味の悪さを感じるのは目に見えてる。
それにせつなの様子は梨奈や今同じ部屋の夏樹から少し聞く限りじゃ、とてもまともとはいえないらしい。それも当然といえば当然だろうけど、そんなときに私が会ってもせつなのためにだってならないと思う。
「ま、せつなは部屋に閉じこもったりしないのはまだまし、か」
「美優子ちゃん、学校にも来てないもんね」
「でも、連れ出してみせる、から」
「うん」
弱気にはならない。美優子に私のこと信じてもらいたいし、また楽しく過ごしたい。せつなとだっていつまでもこのままじゃいられないし、話をしなきゃいけない。
だから、私が立ち止まっちゃいけない。不幸な偶然が重なったからとしても、私に原因があるのなら私は責任を取らなきゃいけない。
責任じゃない、か。
「よく考えたらさ、私って我がままだよね」
「ん?」
「どんな理由とは言え美優子に嫌われたのは事実なのに、また笑いかけて欲しいなんて。都合いいよね」
「いいじゃない。我がままで。素敵な我がままだよ。涼香ちゃんの場合は」
梨奈は正座をしたまままるで女神様のような笑顔。
ふぅ。毎度のことながら一回りは違うくらい含蓄を含んだ言葉をくれるね。
「はぁーあ。まったく、本気で梨奈のこと好きになっちゃいそうだよ。お茶の趣味もあうし」
「ふふ、今の涼香ちゃんならいいよ。美優子ちゃんと仲直りしてくれればね」
「……うん。頑張るよ。……うん」
私は今唯一安らげる時間の中で明日こそは、と心に誓うのだった。
でも、決意だけじゃどうにもならないことはやっぱり存在するものだ。
「……ただいま」
私は、いつも以上に疲れを感じながら部屋に戻ってきた。
「おかえり、涼香ちゃん」
今日も梨奈は優しく迎えてくれるけど、その優しさだけじゃ今の私を癒してはくれない。
私は思わずため息をついてからテーブルで頭を抑えた。
「一週間、だね。明日で」
「うん。さすがに、堪えるね。色々」
「今日も、話、できなかったの?」
「うん。いつもの通り」
私は片肘をついてまた頭を抑える。
「頭、痛いの?」
「ん、ちょっとね。まぁ、痛くもなるよね。実際」
今日は日曜日ということでずっと美優子の家に行っていた。結局、いる時間が長かっただけで結果は一緒だったし、明日で美優子のところに通うようになって一週間と思うと頭も痛くなる。
今日も、梨奈の淹れてくれたお茶を飲んで暖まりながら軽く、梨奈にこっちも変化のないせつなの様子を聞いたり、今日の詳細を伝えたり。
はぁー、でも改めて言葉にすると沈んでくる。諦めるつもりはないけど、一週間美優子が話すら聞いてくれないのは悲しいから。
「ねぇ、涼香ちゃん」
そんな時間を過ごして、私の話を聞き終えると梨奈がいつものほんわかとした顔じゃなく真剣な目で私に話しかけてきた。
「明日、私も美優子ちゃんのところ行ってみてもいい? 三人に何があったか私は知らないし、無理に聞きたいとも思わないけど、それでも私も美優子ちゃんと話したいこと、あるから」
「うん、お願いしようかな。今の美優子じゃ私だからこそ、信じてもらえないかもしれないし」
出来たら一人で、美優子の閉じた心の扉を開かせたいって気持ちはあったけど、そんな私の自己満足なんかより美優子の心に私の想いを届けるほうが何倍も大切なんだから。
「うん。じゃあ、明日私もお邪魔させてもらうね。私じゃ何にも力になれないかもしれないけど、私も何かしたいから」
「ありがと。こほっ、こほっ」
梨奈にお礼を言いながらも自然と咳が出てきた。その後もなかなか止まらなくて何回かゴホゴホとやっちゃう。
「涼香ちゃん、大丈夫?」
「あーうん。ほら、今日は一日廊下にいたからちょっと冷えちゃっただけ」
「だめだよ、ちゃんと体大事にしなきゃ。涼香ちゃんが寝込んだりしたらみんな、美優子ちゃんだって心配するよ」
「……うん」
わざわざ、梨奈はそういう言い方をしたんだろうけどそれに私は俯いちゃう。
(美優子、心配してくれるのかな)
って、そもそも寝込んだりなんかしたら美優子に伝えるすべはなくなるんだから心配以前の問題だよね。それどころか逆に来なくなったってことで私の気持ちを余計に信じてもらえなくなっちゃうかも。
それはだめ。絶対に、休んじゃだめだ。
「早めにお風呂入っちゃったほうがいいんじゃない? 体、暖めなきゃ」
「そうする」
うん。美優子に私の気持ちを信じてもらうためにも、風邪なんて引いてる場合じゃない。
私はそう決意するとお風呂の用意をして、部屋を出て行った。