「む……ぅ……」
変わらぬ鈍痛の中私は、目を覚ました。お昼ごはんの後風邪薬を飲んで寝たはずだったのに、薬が聞いた感じはしなくて、相変わらず体中がいたい。
頭がぼーっとして、なんだか目を開けるのもおっくう。
(……あれ?)
けど、少しずつ自分の感覚を取り戻してきた私は右手に妙な感覚がしてることに気付いた。
(なん、だろ? 何か手があったかいような? 熱のせいじゃなくて、なんか生ぬるいような……。人の手に握られてる、みたいな……?)
あー、うん。手、だよね?
手……?
ん……? なんで、夏樹がそんなこと、梨奈相手なら、ともかく……夏樹がそんなこと……
「ん、…」
不思議に思ってぬくもりの主を確かめようと、ゴロンと頭を動かして目を開けた。
「あ、れ………?」
そこにいたのは……
「夢、みてるのか、な? みゆ、こがいる、なんて」
私の手を握っていたのは、美優子。ベッドの脇に座って俯きながら私の手を握ってる。
夢じゃないならものすごく嬉しいはずなんだけど……
「……夢じゃ、ありません」
手を握ってくれてる美優子の表情は固くて、その言葉と共に笑ってない美優子というのが皮肉にも現実感はもたらしても、笑顔をもたらすことはなかった。
「…………」
美優子は私を真っ直ぐに見つめてくれない。
私はそんな美優子を真っ直ぐに見つめる。
なんて声をかけていいんだかわからなくて、美優子も何も言い出さなくてしばらくの間私が美優子を見つめる時間がすぎた。
(どうしたんだろう、美優子)
ここにいてくれるのもそうだけど、ずっと黙ったままどうすればいいのかわからないって顔で私から目を背けてる。
梨奈が会いに行ってくれるって言ってたけど、風邪を心配できてくれたようには見えないよね。
わからないことはいっぱいあるけど。
「久しぶりに、美優子のこと、こんな近くで見れた……ふふ、すごく嬉しいな」
内から湧き上がった素直な気持ちを伝えていた。
「……わたしも、……です」
「あは、ありがと」
でも言葉はこれだけ。
これ以上は続かなかった。
私を見てくれない美優子を私はじぃっと見つめる。
美優子の目、黒いつぶらな瞳。
そこに涙はないけど、決して喜悦もなくて、まるで迷いの森でさ迷っているみたいな心細い目をしているように見える。道しるべも何もなくて、今いる場所から一人動けないでいる。
梨奈が、何か言ったからこうなってるの?
梨奈がそんなことをするわけないとも思いながら、とりあえずなにより美優子をこんな森の中で一人にさせたくなんかない。
「美優子……どうしたの?」
「………………」
「梨奈が何かいったの?」
「ちがい、ます」
「じゃ、やっぱり私のせい?」
っていうか、これはそうだよね。美優子が渡しに会いに来てくれてちょっと舞い上がっちゃったけど美優子が私をそう簡単に許してくれてるはずがない。
「そう、だけど……違います」
「??」
美優子の妙な言い回しに私は横になったまま首をかしげる。
なに言ってるんだろう。美優子は……?
「…………朝比奈、さんが………」
「せつ、な?」
美優子の口から一番でにくそうで、一番聞きたくなかった名前が出てきて私は驚く。
何で、美優子からせつなの名前が……。
「せつなが、どうしたの? コホ」
「……今日、来てくれたんです」
「せつなが………」
こぼれてしまう声に驚きを隠せない。色んな可能性が思い浮かんできて私は美優子が握ってくれてないほうの手で拳を作った。
「お話、聞きました」
「どんな、こと?」
美優子はまるで感情を殺そうとしているかのように表情を固めたまま、会話している私を一切見ないで言葉だけを発する。
「色々、です……涼香さんが風邪引いてることとか、わたしと朝比奈さんの誕生日が同じ日だったこと、とか……朝比奈さんが………」
(あ……ああ)
美優子が何を言おうとしてるのかわかって私は心の芯が震えだした。
やだ、聞きたくない。やめて……
「……涼香さんのこと、好きなこと……」
「っ!!」
美優子の口からだけは、聞きたくなかった言葉。
刃のように私の胸に突き刺さった。
もしかしたら気付いているんじゃって思うことはなくもなかったけど、美優子だけには知って欲しくなかった。
思わず視線をそらしたくなったけど、それだけは思い止まった。
「そう、なんだ。せつな、が……」
(……話し、たんだ。せつなが……美優子に。自分のこと。せつなだって美優子にだけは言いたくなかっただろうに……)
せつなは、せつなで今回のことにきっと責任を感じてはいるはずだけど……そんなことまでしたんだ。
……それは……誰のためなんだろう。
「……朝比奈さんが涼香さんに、……告白したのって……いつ、ですか?」
せつなのことで胸は締め付けれる。けど、今は目の前にいてくれる美優子のことを考えなきゃ。
「夏休みに入った日。……その時は、まだ返事もできなかったけど」
「……返事はいつ、したんですか?」
「一回せつなが実家帰って、寮に戻ってきてから。……その時は、待っててって答えた」
「どうして、ですか?」
「答え、られなかった、から。わからなかったの、【好き】って気持ちが」
「……………」
美優子の表情に変化はない。どうすればいいのかわからない感情をもてあまして黙り込んでいる。
「……じゃあ、断った、のは……」
「……私が美優子に告白した日。……せつなは、わかってたみたいだったけど、私が美優子のこと好きだってこと」
美優子のこと好き。
今までなら決して信じてもらえなかった、拒絶された言葉なのに今の美優子はそれに答ええる余裕はないみたいでただ黙ってベッドの端を見つめてる。
美優子、今何を考えてるんだろ……? 私のこと? それともせつなのこと? それとも両方?
美優子が何を考えてるのか、今の私にはわからない。
もっと聞きたいことはあるんだろうけど、今日急に入ってきた情報で頭がパンクしそうになってる美優子は混乱しちゃってるんだと思う。
「どうして、朝比奈さんの誕生日のこと、教えてくれなかったんですか……?」
「……せつながそうして欲しくないって思ったから」
私が美優子と二人で過ごしたかった。それは嘘じゃない。迷いや、せつなへの引け目は確かにあったけど、私も美優子の誕生日を二人でお祝いしたかった。
美優子はもしかしたらそういってもらいたいのかもしれない。
でも、今は美優子の顔色なんか気にするんじゃなくて私の本当の気持ちを美優子に話さなきゃいけない。
「でも、あんまりじゃ、ないですか……朝比奈さんは……」
美優子は自分でもすごく混乱しちゃってると思う。せつなのことを擁護したいんじゃない。きっと美優子は優しいからせつなの気持ちを考えちゃって勝手に言葉が出てきちゃってるんだと思う。
「……うん、わかってる。全部私のせい、なんだよね。でも、私、わかるから。自分が一番じゃないのに、自分を優先されるときのすごく惨めな気持ち……わかるの」
「……でも、そんなことされても……わたし……それに、朝比奈さんは……っっく、ひっく」
「……どうして、泣くの?」
「わ、かんない、わかんないです。ぜ、んぶ、涼香さんのせい、です」
美優子は抑えながらも徐々に体を震わせていって、美優子の心を揺らすその細波は握ってくれてる手から私にも伝わってきた。
そして、瞳からは涙が流れていく。
ただ私にはそれがせつなへの同情なのか、私への怒りなのか、無知だった自分への不満なのかわからない。
はっきりしているのは。
「美優子」
私は重たい体を起こすと、空いている手を美優子の頬へ伸ばして流れる涙を掬った。
美優子のほっぺ柔らかい。美優子が泣いてなければ私から美優子に触れられたってことを喜ぶところだけど、今は涙をぬぐいながらすこしでも私の気持ちが伝えられるようにするだけ。
「泣かないで。美優子の泣いてるところ、みたくないよ」
「…………ひっく、ひぐ……えぐ」
けど、美優子は泣き止むことはなく涙が私の手にも伝わってくる。
「わ、たし……ずる、いです。一人だけ、朝比奈さんの、気持ちも、涼香さんの気持ちも何も……知らないで、涼香さんに甘えて……朝比奈さん……今日、泣いてました。泣いてなかったけど、泣いてました……ひっぐ……。なのに、わたし……何も、いえなくて……どうしたら、いいかも、わからなくて……」
「美優子……」
「……わたし、本当に、ずるい、です。卑怯、です、最低です」
「そんなこと……」
「だって、朝比奈さんの気持ちを知って、もしわたしが反対の立場だったら、朝比奈さんと同じことしちゃうって思うのに……朝比奈さんだってものすごく、傷ついてる、のに……朝比奈さんのこと、……許せないんです。涼香さんとキス、なんて……許せない、です。っはく」
何度も美優子の頬を流れる涙を私はぬぐっていく。そんなことしても、美優子の心に巣くった自己嫌悪や自己否定の気持ちを拭い去ることはできないってわかっても、美優子に触れていたかった。
「それに、朝比奈さんのこと、知っても……やっぱり、……わたし、は……」
美優子は本当に辛そうに胸を押さえた。まるで自分で心を締め付けるみたいで一緒に私の心もきゅっとなる。
「わたしは、涼香さんのことが……………………好き、なんです」
「みゆこ……」
嬉しい。ものすごく嬉しい。嫌いとまで言われて、私の全部を拒絶しようとすらした美優子が好きって言ってくれる。それは、とても嬉しいこと、だけど。
美優子は相変わらず一度も見てくれてない上に、美優子の涙もおさまってなくて歓喜は半減する。
さらには、
「でも……朝比奈さんと……キス、したことも……どうしても、整理、できない、です。わかるのに……朝比奈さんの気持ちも、涼香さんが動けなかった理由もわかる、のに。どうしても、我がままで、自分勝手って思っても、涼香さんのこと、許せない。どうしたらいいか、わからない、です」
こんなことまで言われてしまった。
私の手を伝う美優子の暖かな雫は、今の不安定な美優子を象徴するかのように止まることなく溢れる。
「朝比奈さんからお話、聞いてからずっと考えて、涼香さんに会えば気持ちが整理できるかなって、ううん、ただ、会いたくて、涼香さんとお話もできたのに、やっぱり、どうしたらいいのか、ううん。どうしたいのか、わからないんです」
私も、わからなかった。美優子に言葉を述べればいいのか、それとも抱きしめればいいのか、他に何か美優子の導になるようなことがあるのか。何もわからなかった。
美優子は、本当に迷いの森にいるんだ。そこに入ったばっかりだけど、森のすごい深い場所にいて、地図もコンパスもない。あるのは、不安定な自分の気持ちっていう標だけ。
そんな、美優子に私は……私は……
(私は、美優子の標になりたい。ううん、美優子がどこにいても一緒に手を取って歩きたい)
例え、今の美優子がそれを望んでなくても。
私は、涙をぬぐうことをやめて、その手を優しく美優子の背中に回した。
(手を、取ってあげたい)
しかし、
「……ごめん、なさい。やめて、ください」
「っ……」
ここで、あの誕生日の日みたいな明らかな拒絶をされたんなら私は無理にでも手を離そうとしなかったかもしれない。けど、この【ごめんなさい】は逆に私を躊躇させた。
『……………』
二人してどうしていいかわからないまま。時間だけがすぎていく。
「……目、閉じてください」
唐突に美優子が私の手を離して言った。
「え……?」
美優子のぬくもりが離れたことに不安は感じたけど、私は美優子の言うとおり目を閉じた。
「…………」
もしかしたら……と。胸を鼓動を高鳴らせるけど、しばらくしても何もやってこず、
「……ふぅ」
「っ!?」
美優子の無意識に吐き出された吐息が頬をくすぐった。
そして、数瞬後。
ちゅ。
本当に、一瞬だけ唇に唇が当てられた、キスされた感触がした。
「もう、目を開けても、いいです」
私の目に写ったのは、恥ずかしそうにする美優子でも、嬉しそうにする美優子でも、また勝手にしたという自己嫌悪に浸る美優子でもなく、ただせつなそうに、やはり私を見てくれない美優子の顔だった。
「……涼香さんと、最後のキスしたのが、朝比奈さんなのは……くやしい、です、から」
美優子の気持ちの取りづらい言葉。
「今日は、もう帰ります」
「……うん」
引き止めたい気持ちもあったけど、私も美優子も今は少し時間が必要な気がする。
「……学校、来るので、もう、家にはこないで、ください」
「……うん」
美優子は私の体を心配してくれた。この家に来るなを私はそう解釈して、「お大事に」という美優子を見送った。
「…………美優子」
勝手に口をつく名前を呼びながら、私はベッドに体を倒し、
(…………せつな)
もう一人、考えることすらタブーかもしれない相手を心に浮かべるのだった。