「………………………」

 静か、だ。

 涼香が出て行った部屋は物音一つしない。沈黙が部屋を支配していた。

 私は死人のような目でうつむいたままベッドに腰を下ろしている。

 考えてるのはもちろん涼香のこと。

 心を閉ざして、何も考えないようにしていたときもずっと私は涼香のことしか考えられなかった。頭に浮かべるたびに、打ち消して何も考えないようにしてきた。

 だけど、それでも涼香は私の中から現れてくる。

「…………さいてい」

 涼香のこと、最低と思う。こんなことになっても私のことを拒絶しないで、無神経に向かってくる涼香はもう私を傷つけているだけの存在。

 あの誕生日からずっとそう思ってきた。そう思い込んできた。思い込めばいつしか、本当の気持ちじゃなくても涼香のことを……嫌いになれるかもしれないって思ったから。

 だけど、そんなことはなかった。

 涼香のことを嫌いになるのはもちろん、涼香から離れることすらできなかった。私のことを見てもらえなくても、それでも……一緒にいたかった……

 私は涼香に刷り込みしているのかもしれない。鳥が最初に動くものを親と思うように、私を私にしてくれた涼香を盲目的に追いかけているだけなのかもしれない。

 たとえ、そうだとしても……刷り込みは完了している。上書きはできない。

(……だけど……)

 今日は……初めて涼香のことを本気で……憎たらしいと思った。心の底から一切怒り以外の感情が働かなかった。

 せつなの気持ち、わかってるって、思う。

(ふざけないで!

 わかるわけない。こんな地獄を……誰にもわかるわけない。想像なんかじゃとてもたどり着けない苦しみ。

 なのに涼香はあんなことをいってきた。今までだって、無神経なところもあると思うこともあった。だけど、これは許せなかった。相手が涼香だろうと、涼香だからこそ……あんな口先だけで……私の一番踏み込まれたくない心に踏み込まれたことが許せなかった。

そこどころか、踏みにじってきた。

 わかる、よ。

「っ」

 頭に響く涼香の言葉……そこに含まれていた力のある響き。私をみる深い意思を持った瞳。あの私を気圧した雰囲気。

 唇をかみ締める。

 理由はわからない。根拠もない。だけど……

(……嘘、じゃない)

 嘘やでまかせであんな目はできない。いや、この私を前にしてあそこまで言い張ることはできないだろう。

(……あれが……涼香の、闇?)

 私の知らない涼香の過去。私の知らない涼香。

 涼香が隠してきた、誰も知らない涼香の、闇。

 何があったかまではわからない。

だけど、私と同じような痛みを知っているのかもしれない。でなければ、あんなこといえない。

私がここまでひるむはずがない。

 何を言われても、涼香を突き放す自信が、決意があった。

あった、はず。

 なのに……

「涼香……」

 体の内からなんとも言えない感情が湧き上がってそれを抑えるために服を握り締める。 

(けど、だからって……)

 今、私が涼香に傷つけられているのは変わらない。涼香が私の気持ちをわかるとしても、どれだけ苦しいかわかるとしても……痛みを知っている涼香だって私を傷つけることで傷ついているとわかっても! 

「……なに、が、ありがとう、よ……」

 美優子に話にいってくれてありがとう?

 馬鹿じゃないの? あんなの本当は……

それに自分だって苦しんでるくせに……

(……美優子、は?)

 美優子の名前を思い出して、不意に余計なことが頭に浮かび上がってくる。

 美優子は、知ってるのだろうか? 涼香の過去を。涼香の闇を。

 知っている気がする。知っているんだろう。おそらく。

 そして、それが私と美優子の差と思いたいけど、そうではないこともわかる。

「涼香の、馬鹿……」

 頭の中がぐちゃぐちゃだ。同じことを考え続けるのがつらくて思考があちこちに飛ぶ。

 馬鹿よ、馬鹿。私のこと気にしなければ自分を傷つけることもなくなるのに、私のこと捨て切れなくて、私の痛みがわかるのならその分自分だって痛いはずなのに。

 世界一の馬鹿。無神経で、どこまでも……私を……消しきれないで……

「ほんと、馬鹿……」

 ……好きじゃ、なくなれない。これが刷り込みのようなものだとしても……この想いは本物だから。

 私はベッドから降りるとおぼつかない足取りである場所へ向かった。

 それは部屋の隅、さっき涼香のチョコレートを投げつけた場所。

 そこにはチョコの容器と一緒に撒き散らされていたチョコが散乱している。

 涼香の……おろかさの結晶。

 バレンタインの、チョコ。

私の、ための……チョコ。

 私はそれを一つ手にとって……

 パク。

 そのまま口に含めた。

「…………………」

 舌の上で転がして、全体にそのチョコの味をいきわたらせる。

「…………………甘い」

 そうつぶやいて私は胸の内から湧き出る思いを涙に変えるのだった。


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