(……寒気がする……)
除々に覚醒していく頭で朝と同じよう涼香のベッドの裏をぼーっと見つめた。それから、少し体を起こす。時計を見ると十一半時を少し過ぎたところ、本来なら四時間目が始まるくらいの時間。
部屋には当然私以外誰もいない。とても静かでさっきまでの夢を彷彿させる。
高校になっても私は独り。
夢の中で感じていた世界に私しかいないような孤独感。病気は人を気弱にさせるっていうけどどうやら本当らしい。
「…………」
さっき夢で見た私は泣いて助けを求める少女のようだった。
今の私も誰かから見たらそうみえるのだろうか。今の私も泣いて助けを求めているのだろうか。
だとしたら、誰にどんな助けを望んでいるんだろう。
ガチャ。
不意にドアが開いて人が入って来た。
最初は管理人さんかなと思ったけど……
(…………え? すずか……?)
部屋にやってきたのは涼香だった。片手でドアをしめて、もう片方の手にはお盆のようなものを持っている。
「あ、起きた?」
涼香は私にすぐに気づいた。手に持っていたお盆をテーブルの上において、私の方へと寄ってくる。
「え、あ……うん。今、起きたところ」
涼香がいるなんてまったく予期していなかったせいかしどろもどろになってしまう。
「ちょうどよかった、そろそろ起こそうかなって思ってたんだ」
「そ、そう……」
色々な考えが頭をよぎる。
学校はどうしたのとか、
どうしてここにいるのとか、
そのお盆はなにとか。
……もしかして私を心配して様子を見に来てくれたの、とか。
(最後のはない、か)
「学校、どうしたの?」
色々な疑問の中とりあえず最初に疑問に思ったのを聞いてみた。
「ん? 自主休校。休んだの」
私の問いに涼香はさらっと答えた。
「え? な、なんで?」
一瞬、さっき即座に否定した可能性をまた考えてしまう。
「えっと、別にそんなたいした理由はあるわけじゃないんだけど……管理人さんにせつなのこと話にいったら今日はどうしても出かけなきゃいけないとか言ってて、そうなるとせつなが今日一人になっちゃうなーって思って……」
「……それで、休んでくれたの?」
私のために……?
胸の中に何かがこみ上げてくる。
目頭が熱くなって……
「ま、そういうこと。風邪でダウンしてるルームメイトを一人にして学校なんていってられないでしょ……ってちょっと! ど、どうしたの?」
「……うん……なんでもない」
涙が、溢れてくる。
夢で見た私も、今の私もやっぱり助けてって思っていた。私をこの孤独から助けてって無言で叫んでいた。私を一人にしないでってそう叫んでいた。病気のときくらい私のことを見て、私のことを心配してって涙を流さず泣いていた。
夢の私を助けてくれる人はいなかった。だから泣いているようにも見えた。けれど、今私には
「え? え? ど、どこか痛いの? 誰か呼ぶ!?」
昨日のことで嫌われたとさえ思ったのに、涼香は私のことを心配して学校まで休んでくれた。
(うれしい……)
言葉にならないほどうれしい。
きっとずっと望んでいた。こんな風につらい時に誰かが傍にいてくれることを。私を心配してくれる人がいるってことを。
今まで我慢してきた感情が涙となりとめどなく溢れてしまう。
「ちょっと、本当にどうしたの? 大丈夫?」
涼香は私のただならぬ様子に心配し、私のすぐ傍まできて私の顔を覗き込もうとした。
私はそれよりも早く涼香の胸に顔を埋めた。
「え…………」
「大丈夫……大丈夫だから、少しだけこうさせて……」
「え、あ……う、うん」
涼香はいきなりのことに戸惑いながらも、私を軽く抱きしめてくれた。
そして、私は様々な思いに駆られながら「友達」の胸で泣きじゃくるのだった。
ひとしきり泣いた後、涼香が私のお昼ご飯にと持ってきてくれた雑炊食べた。少し冷めてしまっていたけどそれは意外なほどにおいしく、それを涼香と伝えてみると「家事には自信あるからね」軽く笑って答えた。その後、何故か二人とも黙ってしまいしばしの沈黙が訪れた。
どこか心地よい沈黙。
その沈黙の中、私はある決心をした。
「涼香……ちょっとだけ私の話聞いてくれる?」
何でこんなことを言おうとしているのはよくわからない。とにかく涼香に聞いてもらいたいって思った。涼香に話して何かが変わるとかを期待しているわけじゃない、多分何の解決にもならない。それでも涼香にもっと私のことを知ってもらいたい。
涼香は黙ったまま頷いて、私の言葉をまった。
「もしかしたら知ってるかもしれないけど、私、一つ違いのお姉ちゃんがいてね……この学校なんだけど、勉強も運動も他のことも何でもできて私の自慢のお姉ちゃんで、私の憧れで目標で……」
うまく言いたい言葉がつむぎ出せない。
「お姉ちゃんはほんとすごくて、いっつもみんなから頼りにされてて、学校の代表とかもよくやってて、私は純粋にそれをすごいとしか思ってなかった。けど、いつからか私には何をしても、この子ならもっとできるんじゃないかっていう、『優秀なお姉ちゃんの妹』っていう目がいつも付きまとうようになったの……お父さんやお母さんまで……」
思い出したくはない思い出。わざわざ誰かに話すなんてことないってずっと思ってた。
涼香はこんな私の話を真剣に聞いてくれている。
「だから私は、周りの目に応えられるようにってがんばった。勉強も、体は丈夫なほうじゃないけど運動だってがんばった。……友達だって作らないで。そうしないと、誰も私を見てくれない気がしたから。周りの期待に応えなくちゃ、お姉ちゃんのようにならなくちゃってずっとそうやって思ってきた……」
自分でも何を言っているのかよくわからなくなってきた。けど、多分それでもいい。今、大切なのは私の中にある感情を涼香に聞いてもらうことだと思うから。話の筋道とかはきっとどうでもいい。
「……髪だってお姉ちゃんの真似をしてずっと伸ばしてきたの……だから前、涼香に髪が綺麗だって言ってもらえた時すごく嬉しかった……」
そこで私は一度言葉をとぎった。
一呼吸置いてから、重苦しく口を開く。
「……でも、いくらがんばっても、どんなに努力したって、周りの目は変わらなかった。さすがあの人の妹だって。でも、私にできることはそれしか、なかったから……」
やだ、なんだか泣きそう……
私が次の言葉を出せないでいるとずっと黙って私の話を聞いてくれていた涼香が口を挟んだ。
「……ちょっと、いい?」
涼香の表情は厳しいって言うほどじゃないけどどことなく神妙は面持ちをしている。
私はそれに気圧されうなづいてしまう。
「こんなこと私が言うことじゃないかもしれないけど、なんか言っておいた方がせつなのためのような気がするから、はっきり言っておくね」
「う、うん」
「せつなさ、言ってることとやってることが矛盾してない?」
「え?」
「だってさ、さっきまでの話からするとせつなは自分を見て欲しかったわけでしょ?」
いきなり核心を突いた涼香の言葉。
「うん……」
簡単に言ってしまえばその通りなのかもしれない。
「それなのに、言い方は悪いかもしれないけどお姉さんの真似事をしてるだけじゃ意味ないんじゃない? っていうか、逆効果な気がする。そんな真似ばっかりして背中を追いかけているだけじゃ、せつなの言うとおりいつまでたっても『優秀なお姉さんの妹』っていうのは変わらないでしょ?」
「…………」
「だって、お姉さんにはお姉さんにしかないものがあって、せつなにだってやっぱりせつなにしかないものがあるでしょ。それなのにお姉さんの背中を追いかけてたら逆にそのせつなにしかないものが霞んじゃうよ」
涼香の言葉に私は何も言えなかった。
涼香の言っていることは中学時代に私がやってきたことを否定する言葉だったけど、不思議とそれを聞いていて不快な気分にはならなかった。
「やっぱり、自分を見て欲しかったらまず『自分らしく』しなきゃ。月並みな言葉かもしれないけどせつなはせつななんだから」
不快なんかじゃない。むしろ……
胸に色々な感情がこみ上げてくる。そして
「……ふふふ……あははは」
笑った。
笑わずにはいられなかった。どこか自虐的に、同時にどこか清々しく。
涼香の言うとおりかもしれない……私は私自ら『お姉ちゃんの妹』を演じていた。『私』を見てもらいたかったはずなのに、気づけば逆のことをしていた。
(……なにしてたんだろうわたしは……?)
まるでピエロにでもなったかのような気分。
でも今こうやって笑っていると何故かそんなことどうでもよくなってくる。心が軽くなっていく、今までずっと背負っていた荷物がなくなったようなそんな感じがした。
「せ、せつな……?」
突然の奇行に涼香はぎょっとして私を見つめる。
私はひとしきり笑うと、涼香をまっすぐに見つめて、
「ありがとう」
はっきりと、ありったけの心を込めてそう伝えた。
色々なありがとうを、今まで何度も言いそびれていたありがとうを。それを今の『ありがとう』の中に精一杯こめた。
そして、もう一回。
心の底から伝えた。
ありがとう、と。
……私にとって涼香の存在は本当に大きかった。
涼香は私に多くのことを与えてくれた。
私が、『私』になるきっかけをくれた。
私の、友達になってくれた。
そして今、私は……
次の日、私と涼香は学校に休みの連絡を入れて、十時頃寮を抜け出して街へと向かった。
この日は私から涼香に一緒に行ってもらい所があるといって涼香に学校を休んでもらった。涼香は自分が二日続けて学校をさぼるということより私の体調のことを心配してくれたけど、幸い私はすぐ風邪をひく割には直るのは早く、完全に直ったわけじゃないが普通には動ける。
来てもらいたかった場所は美容室。
今までの私との決別の証として、私は髪を切ることを選んだ。
お姉ちゃんのようにって伸ばし始めた髪、最近は少しお姉ちゃんに近づけたかなって思っていた髪。
でももう今の私には必要ない。大切なのはそんなことじゃないって気づけたから。
名残惜しくないって言えば嘘になるけど、こうすることが新しい私を始めるための第一歩になる気がした。
涼香は髪を切り終えた私を見ると、「長い髪も綺麗だったけど、短いのも可愛いね。うんっ。こっちの方がなんていうか、せつならしい感じ」と言ってくれた。
お世辞なのか、本気でそういってくれたのかはわからないがとにかくうれしかった。
そのあと、私は帰ろうとしたけど涼香がせっかく学校休んで平日に街にいるんだから遊んでいこうと提案してきた。
今までの私なら、絶対に承諾することなんてなかっただろう。ただ、この時の私は色々あったせいか気持ちが変な風に昂っていた。
こんな風にちょっといけないことをするなんていうのも、新しい私になるのに必要なことかな。
(なーんてね…………)
きっとすぐには変われないと思う。
でも、少しずつでいいから変わっていこう、ちょっとしたことから新しい私になっていこう。戸惑うこともあるかもしれない、もしかしたら辛いこともあるかもしれない、けどきっと大丈夫。
涼香が一緒だから。
涼香が一緒にいれば私は変わっていける。
まだ私さえも、知らない新しい私へと…
そして、あの時も門限を守れず、しかも無断外出したこともあって今と同じように一週間の食堂の雑用を命じられた。その時の私のへたれっぷりといったらなかったと思う。なにやらせても遅いし、食器はいくつか割っちゃうし、それを思えば今は大分ましになった。
ちらりとすぐ横の涼香を見る。
髪を切った次の日、その日は学院祭で私はお姉ちゃんに色々話したいことがあってお姉ちゃんと一日中いたので、涼香がその日何をしてたかは知らない。ただ、「何か」があって先輩のことを好きになったらしい。
はじめそのことを聞かされたとき、素直に応援してあげようって思った。涼香は私の恩人だから、友達……心友だから。涼香に幸せになって欲しいと思った。涼香の幸せが私の幸せくらいに思った。
けれど……
涼香が先輩と一緒にいるところや、涼香から先輩の話を聞いたりするとき、自分の中でも信じられないくらい黒い感情が芽生えた。
私の前で一緒にいるところなんてみせないで。
私にそんな話をしないで。
そんなことばかり考えてしまった。
そして、気づいてしまった。
私の涼香への想いに。
友達になったときにはすでに惹かれているっていうのはわかっていた。でも好きっていうのは「友達」としてだと思っていた。でも涼香と先輩の一件で気づいてしまった。
もう私は涼香のことを友達として見ていないんだって。
「友達」じゃ我慢できないって。
気づいてしまった。
私のこの、想いに。
それは、今はまだ芽が出たばかりの感情かもしれない。
でもその芽は確実に育っている。芽が育ちきるとき、私はどうなってしまうかわからない。
だから、今はまだ涼香と友達としての時間を過ごしていこう。
この芽が花を咲かせてしまう。
その時までは……