朝の彼女とはもう会うこともないかなと思っていたけど、再会は意外に早かったというか数時間後だった。
コンコン。
昼間、部屋で涼香と居心地の悪い時間を過ごしていると部屋の外からノックがした。
「? どうぞ」
この寮ではあまりノックしたりなどはしない。住んでいる人ならみんな顔見知りだし、部屋にわざわざ尋ねるのは大体友達だからそこまで気にしないのだ。
「っ!?」
開けはなれたドアの先に見えたのは、予想もしてなかった人物だった。
「月野、さんだったけ?」
「は、はい。覚えててくれたんですね」
部屋の外で緊張した面持ちをしていたのは朝に出会った受験生、月野…………月野……なんだったか忘れてしまったけど、とにかく朝の月野さんだった。
「そりゃ、朝にあったばかりだし」
私は涼香が誰だろうという目で彼女を見ているのを何気なく確認すると部屋の入り口にまで行って月野さんの前にたった。
私はとりあえず涼香に見られてるのではただでさえ居心地よくないだろうに余計に不安をあおってしまう考え部屋から出るとパタンとドアを閉める。
「というか、よく私がここにいるってわかったのね。ここに住んでるって言わなかったわよね?」
「あ、それは……寮があるのは知ってたし、たぶんそうなんじゃないかなって。それで聞いたらこの部屋だって」
「……そう」
朝、最後に見たときは元気のよい笑顔を見せていたが今は対照的に火の消えたように生気がない様子だった。
(……ダメ、だったのかしらね?)
ここは結構レベル高いし。
それに……
私は失礼なこと考えながら目の前の少女を見つめる。
あんまり勉強、できそうに……
(……やめておこう)
見た目で人を判断するのはいいこととはいえない。
「それで、どうしたの?」
「あ、えっと……ちゃんとお礼言いたくて」
お礼なら朝に言われたような気もするけど。
「……もう、会えないかもしれないし」
「…………………………そう」
やはり、出来がよくなかったらしい。
「あの、本当に、ありがとうございました。朝比奈、せんぱ……朝比奈さんに会えてなかったら、今日ほんとに中に入ることもなかっただろうし……一目見れただけでも、嬉しかったです」
(困ったな、こういうときどうすればいいのかわからない)
私は無意識に頬を爪で掻く。
自慢にもならないけど、こういう経験はない。中学のときにはほとんど三年間悩み事を相談されたりもなければ、友人を慰めるどころかその友人すらいなかったから。
「……ずっと小さいころから憧れてて、私も行きたいってずっと思ってたけど、やっぱり憧れだけじゃダメですよね……」
「憧れ?」
「はい……私のお母さんがここの出身で、それでよく話聞いてて、私もいつかって思ったけど……」
まだ、ダメって決まったわけじゃないでしょ?
ここだけが学校じゃないわ。
来年、頑張るっていう手もあるじゃない。
慰めの言葉は浮かばないでもなかった。けど、それはきっとこの子を救う力にはならない。つらいときに必要なのは、そんなうわべの言葉なんかじゃないのだから。
優しさが逆につらくなることがあるのだから。
しばらく言葉も出せない月野さんを見つめながらそんなことを思ってしまう私。この子だって、私に何かを言ってもらうとか考えているわけではないと思う。きっと気持ちを吐き出してしまいたいのだ。
「……でも、受けることも出来てなかったら、すごく悲しいだけでいいことなんて一つもなかったけど、ちゃんと挑戦できて、どんなところなのか自分の目で見れて……それって全部朝比奈さんのおかげです。……もう会えないかもしれないけど、今日朝比奈さんに会えなかったら後悔しかなかったから、ちゃんとお礼いいたかったんです……ありがとうございました!!」
「あっ!? 月野さん!?」
月野さんは涙をこらえたような顔でありがとうと伝えてくると同時に私に背を向けて走り出してしまった。
朝とはまったく違う、絶望を抱いた背中を見つめる私は
(……余計なことしたの、かしら……?)
と考えてしまうのだった。
余計なこと、したかもしれない。
何も出来ずに月野さんを見送った私は部屋に戻らず、その場で月野さんのことを考えていた。
ありがとうって言われた。
その気持ちに嘘はなかったと思う。だけど、そのありがとうがあったからこそあの悲しみが生まれた。
嬉しさがあるほど、その悲しみが大きいのは身をもって知っている。
「……ううん、そんなことない、か」
しばらく考えたあと、私はゆっくり首を振った。
悲しみや苦しみがあったとしても、そこにあった嬉しさを否定してしまうなんてことはできない。
………………涼香と過ごした時間を消せないように、ね。
勝手な自己完結で気持ちを沈めた私は、そんな気持ちのまま部屋に戻った。
こんな気持ちで涼香の前にいることも今はもう、普通なのだから。
「おかえり、誰だったの? さっきの。見かけない制服だったけど」
私が部屋に戻ると同時に涼香は疑問を投げかけてきた。
部屋での私と涼香は傍から見ればおかしくはないだろう。こんな風に普通の会話をしたりもする。もっとも、以前の私と涼香を知っていればこの【友達】としての関係が逆に不自然極まりなくうつるだろうが。
「受験生の子、朝ちょっと面倒見たからそのお礼だって」
「ふーん。じゃあ、後輩になるかもしれないんだ」
「……さぁ? どうも出来がよくなかったみたいだから」
「そうなんだ。でも、私も終わったときはダメって思ったし、案外大丈夫だったりするんじゃない?」
「どうかな。……まぁでも、受かって欲しいとは思うわよね。せっかく知り合いになったんだし」
「っていうか、後輩か……もう私たちにもそんなのができるんだね」
「そう、ね。もうそろそろ一年たつんだから……」
「……そう、だね」
一年、か。言葉にしたらたった二文字なのにその間色々なことがあった。
何もなかった、何も見えてなかった中学生の三年間よりも長く感じる。それだけ、色々なことがあった。
涼香と会って……それから……思い出したくもない大切な思い出が頭の中を駆け巡って私は涼香から顔を背けた。
見つめたくない思い出。そこにあるということは自覚しても、私はそれを見ないふり。それを見つめたらどこで何していようと泣き出してしまうから。だから、見ないふり。見つめていなければ大丈夫。あるってわかっても、ないって見ないふりをすればないものとして振舞えるから。
「……せつな?」
……涼香にそれをわかってもらうのは無理なのだろうか。どんなものか知らなくても、私と同じような痛みを知っているのなら、察してくれてもいいのに。
もっとも、過剰な反応をされてもこっちも……迷惑なだけだ。
「ううん、何でもない」
そう、なんでもない。何でもない振り。
「……そう」
この不自然極まりない関係が私たちの自然。
いくらおかしくても、無意味な行為だとしてもそれを望み演じているのは私なのだ。
(……ほんと、なにやってるんだろ、私)
何度も何度も同じ疑問を頭に浮かべる。
そして、浮かべて。
(……やめよ)
すぐに思考をとめる。まともにそれを考えられるほど私の心は強くなんかないのだ。
「あ、お茶入れるわね」
これで、いい。いいのだ。
「あ、うん。お願い」
友達なんだから。涼香のそばにいてもいいんだから。
一年生が終わって、二年生になっても私は涼香と、世界で一番好きな人と同じ部屋で過ごすことができるのだから。
(だから、これで……)
そうして、心で涙を流しながら【一年】は終わっていく。