月野さんのことは可愛いと思う。私には今まで【後輩】という存在とまともに関わったこともなかったから新鮮な感じで楽しいし、入試のときに面倒を見てあげたということで他の一年生よりも愛着がある。
向こうも入試のときの影響で私のことを【頼れる先輩】に見てくれているみたい。中学生のころは「あてにされる」ことが多かったけど、こうして【頼られる】のには悪い気はしない。
他の一年生よりも圧倒的に接触する時間は多く、学校のことや寮のことを話すし、勉強を教えてあげたりしたこともある。
それに彼女が部屋に来ると涼香の口数が増えるものありがたかった。あの二人きりの息が詰まりそうな空気を彼女がいてくれることでそれがなくなるわけじゃなくても、その時間をやわらげ少なくしてくれる。
それは、誰の目にもはばかることなく涼香との二人きりでいられる時間を確かに削ってはいるけど、それでも彼女の存在は私の苦しみをやわらげてくれていた。
だから、彼女といることは多い。それどころか他の莉奈や夏樹なんかの同学年の友人以上に時間を割いているかもしれない。
ただ……最近は別の意味で彼女と一緒に涼香といたかった。
それは、二日前。
たまたま一緒になった月野さんと食堂で夕飯をとって部屋に戻ったときのことだった。
「あ……ご飯、食べてきたの?」
涼香はまだのようでベッドでごろごろしながら私を見ずに言ってきた。
「うん。月野さんと一緒に」
「ふーん」
もちろん、涼香に深い意味があったはずはない。
あるはずもない。
そんなのわかりきっている。私がなによりもわかっている。
深い意味どころか、涼香にとっては単なる感想にすぎなかったはず。
だけど……
「なんか、最近いつも陽菜ちゃんといるね」
「っ!!」
涼香がベッドにいて私を見ていなくてよかったと思う。
動揺した。声に出したりはしなかったけど、はっきり心と体を震わせた。
「そう、ね。月野さんは入試のときのことで愛着あるから」
しかし次の瞬間には何事もなかったかのように涼香に答えていた。
そんな可能性一パーセントだってあるわけないのに……涼香が嫉妬してくれたと感じ、ううん期待した。
「さて、私もご飯いってくる、ね」
「……うん」
心に大きな波を立たせた私をよそに涼香はベッドから降りると部屋を出て行った。
そう、こんなくだらない理由。
泣きたくなるほどに情けない理由。
自己嫌悪に陥るには十分な理由。
涼香が私と月野さんのことを嫉妬してくれる。
そんなことあるわけないのに。
(……そう、あるわけ……)
「せんぱい? 朝比奈先輩ってばー」
今日も放課後に彼女を部屋に誘っていた。
丁度、美優子が寮から帰っての夕食までの中途半端な時間。
「ん、あ、ごめんなさい。少しぼーっとしてた」
「大丈夫ですか? 先輩ってそういうこと結構ありますけど……」
テーブル越しに月野さんは心配そうに私の顔を覗き込んできた。
心配そうな月野さん。
心が痛む。
「平気。ありがとう」
私は、わざわざ極上の笑顔で月野さんを安心させた。
「あ、い、いいえ!」
「せつなが連れてきたのに上の空なんて陽菜ちゃんに悪いんじゃない?」
「……悪いとは思ってる、わ」
思ってる。悪いなんてわかっている。
月野さんに悪いことをしているなんて。
この子にだってこの子独自の人間関係を形成しているはず。また、しようとしている時期なのに。こんな風に拘束して、それを阻害している。月野さんの立場からすれば先輩である私の誘いを断ることもしづらいのだろうし。
「そ、そんな気にしてませんよぉ」
この子がまったく自覚なさそうなのがまた私の心に棘をさす。
わかっているの? 今あなたは私なんかとばっかりいて、今の時期を逃したりなんかしたら、友達作るのだって簡単じゃなくなるのよ?
なのに、こんなところにいていいの?
私は罪悪感を込めた目で月野さんを見つめた。
「ところで月野さん」
「はい?」
「どう? そろそろ学校慣れた?」
……悪いと思ったところで今さらやめるのなら、始めからしていないのよ。
「えっと、まだ戸惑ったりすることとか結構ありますけ、でもここの人みんな優しいし、楽しいです」
「そう……よかった」
ここで寮以外の友達が出来たとでも言ってくれれば少しは安心……罪悪感を軽く出来るのに。
「そうなんだ。あ、そだ陽菜ちゃん。ちょっと聞きたかったんだけど」
「はい?」
「渚ちゃんって陽菜ちゃんと二人だとどんな感じなの?」
当たり前だけど涼香は私と月野さんが話していようが気にする様子はなく、自分も月野さんと気兼ねなく話をする。
いかに自分がバカらしいことをしているかの証左をいちいち見せられている。
もっとも、これは私も少し気になる話題だ。
「なぎちゃんですか?」
……なぎちゃん。ちょっと前までは渚ちゃんだったのに。少なくても水谷さんとはそれなりに仲良くなっているらしい。
……そんなことを確認したところで私のしていることが許されるわけじゃないけど。
「どんなってほど、特別なことないって思いますけど。あ、でも注意されること多いですね。ちゃんと時間守れとか、朝一人で起きろとか。実は、あんまりここにくるなって言われたりもしてるんですけどね。あ、これ内緒にしてくださいよ」
「あー……やっぱそうなんだ。渚ちゃんってなんか私たちのこと秩序を乱す悪ってな目で見てるなって思ってたんだよね。で、これもここだけの話だけど、ちょっと怖かったりしない?」
「あはは、私はそんな風に思わないですけど、クラスでもそういう人ちょっといますね。きついって」
なんとなくイメージどおり。厳しい人間だなっていうのはわかってる。
と、同時に少しだけなつかしくも感じる。
似ているといえば似ているから。思い出したくもないころの自分に。
「……悪かったわねぇ。きつくて」
「………っ!!?」
聞かれてはまずい話というのはなぜか聞かれてしまうことも多いもので、いつのまにかドアが開け放たれそこに腕組みをして私たちを見下ろす水谷さんが立っていた。
「なぎちゃん!? い、いつからいたの?」
「今来たところ、まさか迎えに来た相手に陰口をたたかれているとは思わなかったけど」
「迎え?」
「今日、一年だけでご飯食べるって約束だったでしょう? 忘れてたの?」
「え、そうだっけ?」
「授業が終わった後話したはずだけど?」
相変わらず水谷さんは年下とは思えないほどの圧力を持っていると思う。笑ったところは見たことないどころかいつも眼鏡の奥からは鋭い瞳がのぞいている。
この二人の会話にはなかなか口を出しづらい。
「まぁまぁ、渚ちゃん。そんな怒んないでよ。忘れちゃうときだってあるって」
「別に怒ってはいませんよ。でも、忘れた陽菜が悪くても先輩たちも責任の一端を担ってるんじゃないんですか? 自覚はなさそうですけど」
何故かいちいち棘のある言葉をもらってしまうから。
「ま、いいです。ただ少しは気をつけてくださいよね。陽菜が断れないのをいいことに、陽菜を弄ぶの」
「も、弄ぶって……」
(っ!?)
涼香は言い過ぎのように感じたらしい。
だが私はおそらくわざと釘をさすためにあんなふうにいったのだろうと思いつつも、それが的を射ているようにも思えて思わず水谷さんから目を背けた。
だから、水谷さんがその敵意を込めた瞳で私を見ているのには気づけなかった。
「さて、とにかくいくわよ? 陽菜」
「あ、うん。それじゃ、先輩たち失礼しますね」
「またね、陽菜ちゃん」
「……また」
パタン、とドアが静かに閉まるとまた二人きりの沈黙がやってきた。
「なんか、さ」
「?」
人の前でだけ気さくに話をし、二人になれば黙ることが多いが、月野さんと水谷さんが来たときにはそのことに関し涼香は口を開くことが多かった。
例え、やきもちを妬いてくれるというのが私の妄想でも二人きりで会話ができる。それだけで嬉しいと感じてしまう自分が……少しだけ憐れでもあった。
「渚ちゃんって厳しいのはいつもっぽいけど、それ以上に私たちのこと嫌ってない?」
「諸悪の根源、みたいには思われてるかもね」
彼女が厳しいのは性格なのかもしれないが、確かに彼女は私たちのことを嫌っている。主に月野さんをたぶらかしているというのが気に食わないのだろうが、それ以上の感情があの瞳には宿っているような気もした。
「そのラスボスみたいな言い方はともかくさ、あの目でにらまれるのは怖いからもう少し仲良くなりたいよね」
「そう、ね」
年下ながら私もあの目は少し怖い。
「あ、でもさ」
なんだろう。今日は少し涼香の口数が多い。会話が出来るのは嬉しいことではあるのだけど。
「ちょっと、前のせつなに似てない。渚ちゃんて」
「……かもね」
涼香からこんな昔の話が出ることに私は少なからず驚く。
今がこんな状況なのにそんなこと、二人でいることが自然だった頃の話を持ち出すなんて。それともだからこそなの? 懐かしく思ってもらえてるから。
(……バカみたい)
すぐこんな都合のいい妄想をする。そんなことあるわけないのに。
心で冷笑する私だったが、頭の別の部分ではそうかもしれないとも思った。丁度去年の今頃にはあんな感じだったかもしれない。規則を破る人を冷ややかに見ていたし、突っかかるわけじゃなくてもとげとげしい口調はしていた。
「あ、でもあの頃のせつなはなんか無理してる感じがあったけどさ、渚ちゃんはなんかアレが素な感じがするな」
「さぁ? わからないわよ? 誰だって普段そうしてるのが自分の素とは限らないし」
もっとも、普段そうしているのなら相手にとってはそれが普通に映るのだろうけど。
今、私が涼香の【ただの友達】を演じているように。
「……せつな?」
っ。涼香の前で落ち込みをみせてしまった私は、
「さて、じゃ私もご飯いくわ」
すぐに何事もないかのように取り付くろって涼香に背を向けるのだった。